第三十八話 燃え上がる憎しみの炎

『赦さぬ……、お前が殺した。お前が……っ』

 三条大路・ふうともひさてい――。

 晴明が息子の名前を出した途端に、富貴智久はひようへんした。

 三条大路で見つかった二つのむくろ――、一つのきがらは彼の息子・晴信ではないかと訪ねた瞬間である。 

 富貴智久は、既に六十を過ぎたとは思えぬ力で晴明の首を締め上げる。

 目は赤みを帯び、たがが外れた智久は鬼化きかしていた。

「……っ」

『お前のせいで……息子は死んだのだ……!』

 酷い言いがかりだが、鬼化した智久には通じない。

 おそらくこれは、暗示――。

 術をかけたのは、叢雲勘岦斉むらくもかんりゆうさいだろう。晴明が邸にやってくることを予想して、彼は晴信の父親に暗示をかけた。お前の息子は、安倍晴明ので死んだのだと。

 晴明が息子の名を出す事で、その暗示が発動するようにあの男は術をかけた。

 徐々に強まる締め付けに、晴明は息ができない。

『晴明――』

 天将の声に、晴明への締め付けが止まる。

 けんげんしたのは、玄武である。

 彼の放ったみずほうの技が、智久を跳ね飛ばしたらしい。

「玄武! 乱暴はよせ……っ。彼は暗示にかけられているだけだ!」

 解放された晴明は首を押さえてみ、玄武を制した。

『お前とあろうというものが引っかかるとはな』

「説教はあとで聞く」

 晴明は呼吸を整え、結印する。

「ノウマクサンマンダバザラダン、カン」

 智久のからだかんする。

「邪なる気よ、かの者より出でよ!」

 晴明の呪に。智久の躯が崩れ落ちる。

 目が覚めれば、何が起こったか忘れているだろう。

『なぜこの男はお前を襲ったんだ? お前に殺された――とか言っていたが』

「暗示の術をかけたのは叢雲勘岦斉だ」

 晴明は断言する。

『なんのために?』

「決まっている。私を始末するためだ」

 こうもさかいなくあらゆる手を使ってくるとなると、叢雲勘岦斉は、おのれの目的のために動いている気がする。彼にとっては青龍さえも、駒の一つとしか思っているのかも知れない。

 となれば、あの自尊心の塊のような男が、勘岦斉に従うとは思えない。

 想像するのも恐ろしいが、青龍が現在どんな状態にいるのか、天将たちの顔を見れば推測できる。力には力をもって対処する――、彼がそう思って行動しているとしたら、青龍の躯は傷だらけになっている可能性もある。

 ――主である私がたおれれば、十二天将が傾くと思ったか? 叢雲勘岦斉。

『しかし親の情を利用して、駒にするとは許せん奴だな……』

 人間でなければ制裁を下してやるのだがなという玄武に、晴明も同感だった。

 しかし晴明は、たとえどんな極悪人であれ、人に手をかけるつもりはない。とがびとを裁くのは検非違使やきようしきの仕事であり、陰陽師の仕事ではない。

 さらに言えば、じゆで人を呪う仕事も彼はぴらめんである。他の陰陽師は依頼されれば呪詛を引き受けかどうかは定かではないが、少なくとも晴明は、己の手で人の命は絶つつもりはない。

 だが、心はどす黒いものが渦巻いている。

 玄武が半眼になった。

『晴明……、今のお前、凄くぶつそうな顔になっているぞ?』


               ◆


 池の水面を、心地よい風が滑り込んで来る。

 つり殿どののきにぶら下がるとうろうによって、白蓮華びやくれんげの浮かぶ庭は幻想的に照らされている。 なれど、池を見つめるかの青年の心は池をでる余裕はなく、手にしたかわらけも一口に運んだっきり停止されたままだ。 

 彼は怒っていた。

 胸の中に沸くげきふんを、あましていた。

 彼が怒っているのがわかるのか、邸に棲み着く雑鬼は寄っては来ず、式神としたようかなうくりやに行ったまま戻っては来ない。

 こんなにいきどおったのは、いつ以来か。

 いきどおあえようを、あの男は何処かに隠れてあざわらっているのだろうか。

 ――安倍晴明は、たいした事はない男だと。

 ののしりたければ、好きなだけ罵るがいい。だが――。

 

 ――この世から憎しみは消えぬ。


 以前にそう言われたことがあった。

 誰から言われたのかは覚えてはいないが、その言葉は心に色濃く残った。

 耐えることよりも、人を憎んでいることがいい。

 その気持ちは、晴明にもる。

 子供の頃の自分は、人を嫌って憎んで生きていた。

 はんようであるがゆえに人の目は厳しく、言葉はしんらつである。

 いまもなおそうした目や声はあるが、晴明は振り切っている。気にすればそこで立ち止まり、またくらがりを求めてしまう。

 ただ。それでも前を向くしかないのだとさとったのは、いつの頃であったか。

 

 ――お前の所為で、息子は……。


 操られていたとはいえ、富貴智久の言ったことはある意味、正しいのかも知れない。

 妖の出現を予知できていれば、人は襲われずにすんだ。

 しかも今回は、明らかに晴明を誘い出すためのもの。

 二つの骸で挑発すれば、安倍晴明は出てくる。実際にそうなった。

 池を見つめる晴明の目がきつくなる。

 怒りがこみあげ、握る拳が震える。

 人の亡骸さえ己の駒にする叢雲勘岦斉。

 人を人とも思わぬ男。


 ――安倍晴明、お前にもあるはずだ。えんの炎が。


 何者かに言われた言葉通り、晴明の心にもあった。

 ただ、憎しみに任せ、力を使すればどうなるかはわかっているつもりである。

 ――私は陰陽師、安倍晴明。

 池の百蓮華を鋭く視界に捉え、晴明は手元の酒を一気にあおった。


                 ◆◆◆


 ぱりんっと、何かが壊れる音がした。

 男はまぶたを押し上げ、それを確認する。

 それはこうだ。かれていたのは、操心香そうしんこう

 その名の通り、心を操る香である。その香が焚かれていた香炉が、無残に砕け散った。

 ――やはり、そう易々とは消えてくれぬか……、

 はちぼうせいを描いた魔方陣の中でめいもくしていた叢雲勘岦斉は、策の失敗を悟る。

 捕らえた十二天将は未だ屈服せず、主である晴明が消えれば従うと思ったが、人を介しての術では破られてしまうようだ。



『あの男は――、貴様が思っているほどおろかではない』

 とらわれるおりの中で、青龍は傷だらけであった。

「意外なことを言う。お前は安倍晴明を主の器ではないと断じたではないか」

 しようする勘岦斉を、青く冷え冷えとした青龍の目が見てくる。

現在いまは、という意味だ。我ら十二天将はアレを主とし、やくじようを結んだ。その約定は晴明が死するまでは続くのだ』

「ならば、奴が死ねば、我に従うか?」

『――やはりお前は、なにも理解っていない』

 青龍は勘岦斉の再度の求めをいつしように付し、たんそくした。


 

 勘岦斉の前では、大きな黒いバケモノがいる。自在に形を変えながら〝にえせ〟と訴えてくる。たいあやかしで絶大な力を持っていると聞いたが、役に立つことがあっても勘岦斉に力を与えはしない。

 ――所詮、お前も駒の一つ。お前の力など、最初から期待はしておらぬ。

 きんいきの沼で目の前のばけものを解放したとき、勘岦斉はある大きな目的があった。

 彼がこの世に生まれてからの最大の目的。

 陰陽師となったのは、かくみのにしか過ぎない。

 ゆえに――、力が欲しかった。

 神をも統べる能力が。

 安倍晴明にできて、この私にできぬ筈がない。

 勘岦斉は唇を噛みしめると、目の前のバケモノをへいげいした。

「消えろ。もうすぐ次の依頼人がやってくる頃だ」

 勘岦斉の言葉に、ばけものは闇に紛れた。

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