第三十六話 十六夜姫

 ――必ず迎えに行く。


 かの姫はその夜も夢を見た。

 こんじきの満月が照らす野、そこに無数に咲く青い彼岸花。

 迎えに行くと告げるその顔は、いつも見えない。

 真っ黒に塗りつぶされた人影が、そこに立っていた。

 

 ――まだ足らない。


 声の主は、そうつぶやく。

 足下には白いモノが転がっている。それがなにかがわかったとき、姫は悲鳴を上げた。

 それは、人のむくろだったからだ。


 ――姫。


 月明かりが、男の顔を明らかにした。

 人ではないその顔を。


               ◆


 その日――清涼殿の東庭で宴が開かれた。本来ならば宴の場所としてはしん殿でんだが、宴と言っても小規模なものであったのと、帝の個人的な理由によるものとあって、宴への出席は強制的ではない。

 そもそも、災難に見舞われた中宮をなぐさめようと帝の好意からのもよおしである。強制ではないとはいえ、参列するぎよう殿てんじようびとおもわくは様々だったようだ。

 なにしろ中宮は後の国母、実父は関白・藤原頼房である。出席しなかったことで、のちに関白ににらまれるより、笑顔を浮かべてでも言って、めちぎっておけば身はあんたいと、参列している何人かは思っているのではないだろうか。

 師・賀茂忠之が晴明にも参列をうながしてきたが、晴明は退たいした。内裏から来るなといわれたわけではなかったが、せっかく落ち着いたばかりの内裏に波を立てることは控えようと思ってのことだ。

 翌――、晴明の姿は壬生大路にあった。

 たちばなとしみち邸からの依頼に応えるためである。

 門扉を叩くと、しぼに水干、膝丈のくりばかま姿すがたの男が顔を出した。

「――お待ち申し上げておりました。殿が中にてお待ちにございます」

 そう言って案内されるやしきは、現在はれいらくしているとはいえ、しっかりとした寝殿造りで、さすがは中宮と公卿を内裏に送っただけのことはある。

「よくぞ、参られた。貴殿が、噂に名高い安倍晴明どのか?」

 主殿の奥――、正面の畳にて、その男は晴明を待っていた。

「いかにも。橘俊通さまにはお初にお目にかかります」

「当家の舎人とねりから聞いたのだが、壬生大路にて鬼に襲われていた所を救ってくれた術師がいたという。それは貴殿か? 晴明どの」

 かわほりおうぎを薄く開き、橘俊通は目を細めた。

 俊通の言葉に、晴明の記憶が蘇る。

 他家に依頼されたれいを届けに行く際にそうぐうした事件――、壬生大路にて牛車が鬼に襲われていた。晴明は、どうもくした。

「ではよいひめは……」

 あのとき、牛車にずいこうしていたらしき舎人は晴明に「十六夜姫が中にいる」と訴えた。

 晴明が驚くとともに、俊通がたんそくする。

「我が姫の名じゃ……」

 十六夜姫――、橘俊通曰く、孫ということになっているが実際は血縁ではないという。彼がのかみであった頃、かの地でとうさわぎが相次いだ。十六夜姫は、夜盗の被害に遭った家の姫で、まだ七歳だったという。

「あれから九年……、姫は当時のことは覚えておらぬ。ひどありさまだったからの。だが、いまになって姫は得体の知れぬ影に脅えるようになった。記憶を取り戻したのかと思ったのがそうではないという。それに……、バケモノに襲われたのは初めてではないのだ」

 そう語る俊通の顔が強張っていく。

「九年前の事件は、本当に夜盗の仕業だったのですか?」

 晴明の言葉に、俊通はきようがくした。

「せ、晴明どの。それはいったいどういうことか……?」

「ただ、そんな気がするだけです」

 橘俊通はそのさんじようを実際に見た訳ではなく聞かされたそうだが、まるで獣にでも襲われたようなきがらが数体転がっていたという。

「晴明どの!姫を……、姫を助けてくれ。もはや我が橘家は消える運命、それは構わぬ。ただ、姫には幸せになって欲しいのだ」

 むせびながらこんがんする俊通に、晴明は十六夜姫に会う必要を感じた。

「十六夜姫にお会いすることは可能にございますか?」

 橘俊通は会わせていいものか迷っているようだったが、こうしてはらちがあかないと判断したのか一人の女房を呼んだ。

 十六夜姫はたいのにいるという。

 晴明を案内していた女房は室の前まで止まり、中に声をかけた。 

「――姫。陰陽師・安倍晴明さまがごあいさつしたいとお越しになっておられます」

 女房の声に、中から衣擦れとためいがちな声が聞こえてくる。

「……安部……晴明さま……?」

 きよを得て御簾を潜ったが、姫の姿は几帳の陰である。

 ただ涼やかなこうこうを刺激し、さくらつじかさねに散る黒髪がかいえる。

「突然来てしまい申し訳ございません」

「いえ。私もお会いしたいと思っておりました。先ほど舎人から伺いました。あのときお助け頂いた方があなた様だと。いつぞやは、危ういところを助けていただきありがとうございました。もっと早くお礼をと思っておりましたが、なにぶん急なこと。なにとぞお許しくださいませ」

 十六夜姫は今年、十六歳だという。

「おはございませんか?」

「はい。こちらに来られましたのは――、妖のことにございますか?」

 姫の言葉は、やはりどこか何かを気にしているようであった。

「姫があやかしに狙われていると伺いました」

 晴明の言葉に、姫は切り出した。

「……晴明さま。私に過去の記憶はございません。思い出すのが怖いのです。もしかしたら私は、見てはいけないものを見てしまったのかも知れません」

 はたして彼女は、なにを見たのか。記憶を失うほどのそれは、明らかになることによって、姫にどう影響するのか。

「あとで、魔除けの札を届けさせましょう」

「それで妖を防げますか?」

「少なくとも、当家からお出にならなければ、禍となるモノは近づけないでしょう」

 晴明はそういって、橘邸を辞した。


                    ◆◆◆

 

かぐひめに会ったぁ!?」

 橘邸を訪れた三日後、晴明はやって来た冬真のこうしように半眼になった。

 酒を呑みながらの会話で出た話だったが、十六夜姫が〝輝夜姫〟らしい。しかし、晴明は冬真以上に女性に無関心である。

「……そんなに驚くことではないだろう」

 晴明の言葉に、今度は冬真が半眼である。

「お前なぁ……、貴族の子弟連中がかの姫に会うために必死だというのに」

 噂では、十六夜姫は美姫だという。

 月を見ては溜め息をつくのだという。

 かの姫は、こうも言った。

 毎夜夢を見るという。月を背にした男が「お前を必ず迎えに来る」というらしい。

 ゆえに姫は、月夜が怖いという。

「会ったと言っても、顔は見てはいないぞ」

「お前、男として女性に感心がなさ過ぎる」

「お前がいうか? それを」

 お互い恋には縁遠いが、避けているつもりはない。いや、晴明の場合は人との関わり自体を自分から避けているが。

「しかしなぁ、どうして奴らは彼女を狙うんだ?」

「さぁな」

 晴明はそう答えて、ぶんだいで筆を走らせる。

「それは?」

「橘邸へ届ける霊符だ。橘俊通どのからは姫を助けてくれとは言われたが、ずっと貼り付いているわけにはいかんだろう。これはいちしのぎしか過ぎんが」

 妖に狙われているかも知れない十六夜姫。

 その理由は今のところわかっていないが、少しは防げるかも知れない。


 それからまもなく、王都に雨が降り始めた。

 しばらく地も人も容赦ないにちりんあぶられていたため、まさにかんあめ(※恵みの雨)である。

 晴明は橘邸に届ける霊符をようやく仕上げると、かたしろを取り出し呪をかけた。

 呪がかけられた形代は人の姿に変化し、片膝をつく。それは形代から作り出される〝式〟(※式神の一種)で、命じられた任務が終われば忽ち元の形代に戻ってしまうが、使いに出すだけなため、それは問題ではない。

「これを、壬生大路にある橘邸へ届けろ」

 命じられた〝式〟は霊符を受け取ると、すっと消えた。

『晴明、助けてくれよ』

 すのえんをよじ登ってきた五寸ほどのぞういちべつし、晴明はなく言い放つ。

「――きやつだ」

『まだ、何も言っていねぇぞ?』

「ろくなことではないのはわかっている。これ以上、やつかいごとはたくさんだ」

 雑鬼が陰陽師に助けを求めてくる――、普通ならばありえない話だが、晴明邸に棲み着く雑鬼はそうではない。

『人は助けておいは見捨てるのか? 薄情者め』

 勝手にくされる雑鬼に晴明は嘆息し、半眼で腕を組んだ。

「人の家に勝手に棲み着き、いたずらし放題のお前たちを、陰陽師の私が助けねばならん? 追い出されてしかるべきだと思うが?」

『追い出されるんじゃなく、喰われちまうだよ』

「誰に?」

『得体の知れないバケモノさ。己等はまだ見たことはないが、黒くて大きい奴らしい。そいつが人間だけじゃなく、己等たちまで喰らい始めているそうなんだ』

 そこまで聞いて、晴明はがくぜんとした。

「――今……なんと言った?」

『己等の話、聞いていなかったのかよ……? 晴明。だから、己等たちがそいつに喰われているんだよ』

「その前になんと言ったか聞いている」

『黒くて大きいバケモノが人を喰っていると言ったが?』

 雑鬼の言ったそれは、かえるしようが言っていたみずちではないだろうか。

 人を喰らい、骨にしてしまう蛟――、再び動き始めたその存在に、晴明は憤怒する。そしてその裏にはあの男――、叢雲勘岦斉むらくもかんりゆうさいがいるのだ。


 ああ、ようやく。

 我がこくに答えるか。

 我がなにゆえ、むくろさらすのか。

 誰一人、答えてはくれぬ。

 我が鬼哭に耳を貸さぬ。

 聞くがいい。

 我が鬼哭を。

 答えよ。

 

 お前が真の陰陽師ならば――。

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