第三十五話 壁の鬼
「つくづく、人には
男はじっと前を見据えて
霧に煙る彼だけの空間――、
だというに「こんな依頼はしていない」と、依頼者は言う。
望んでいながら、よく言えたものだ。人を呪えばどうなるか、その後のことなど知ったことではない。
それでもこの世から、人の心の闇は消えぬ。
「お前も同じ思いだろう?」
勘岦斉が視線を向けた先には、霧に囚われる十二天将・青龍がいた。
もはや抵抗する力はなくしたのか、それとも従う気になったのか、青龍は
「我は――、神さえ従える。我こそが選ばれし者」
「――
「まだ
「当たり前だ。俺をなんだと思っている。貴様、神にでもなったつもりか? 馬鹿らしくて嗤う気も起きぬ」
「ふふ、今にわかる。我が駒となる
勘岦斉にすれば、十二天将も駒でしかなかった。ある目的のために。
「貴様……っ」
◆
そんな彼女から、妖気が漂う。
壁の鬼は、誰にも怪しまれずに侵入する方法として、彼女に取り
『おのれ……、陰陽師!』
女房の発する声は、男の声だ。
「晴明、このままだと女房どのが危険だ!」
冬真の声に
「彼女の中から出てもらうぞ!」
「オン、アミリトドハンバウンパッタソワカ」
光の玉が浮かび、女房を包む。
『ギャァ……』
光の中で、女房の躯から鬼が抜ける。
「晴明っ、奴が逃げるぞ!」
冬馬は意識を失った女房を抱き支え、叫んだ。
「冬馬、女房どのを頼む!」
晴明には、鬼が何処に行くのかわかっていた。
昼間――、晴明は内裏の結界を張り直した。一つ一つ張り直すのは面倒だったが、場所は帝が座す内裏である。妖は帝も狙いに来るかも知れない。
晴明は弘徽殿を出ると、まっすぐそこへ向かった。
◆◆◆
「たまには、そなたとこうしているもいいものだね」
清涼殿の
「たまには、というのは余計ですわ。
今上の物言いを
言葉の
「怒らないでおくれ。私が
今上は他の
「
瞳子は意地悪そうに笑って、首を
やはり、彼女には
今上帝と中宮がなぜ塗籠にいるのかといえば、
清涼殿・鬼の間の壁から鬼だけが消えた。
その鬼が、中宮を狙っているのだという。
よって危険を回避するために、帝である今上も中宮と塗籠に隠れているのである。
「それで――、鬼の間から消えた鬼は、
塗籠のなかには、いざというときに
「晴明が申しますには、討伐はしないとのこと」
忠之の言葉に、今上は
「何故だい? また飛び出すかも知れないだろう?」
「ご安心を。あの男が自信をもって言うからには、なにかよい策があるのでございましょう。しばしここにて、お待ち頂きとう存じます」
忠之の
人は彼が
人は彼を
「それは構わぬ。昔、ここで
帝位に就いてからはなくなったが、東宮時代は内裏の外や中を駆け回ったものだ。
今上は懐かしく想いながら、笑むのだった。
◆
弘徽殿から出た晴明は、そのまま清涼殿に入った。
何も知らない
夜中に陰陽師が内裏を
――さすが壁の鬼だな……。
晴明は、そう思った。
宿直の彼らの様子から、鬼とは
壁の鬼からすれば、殿舎の柱や
ただ、晴明が張り直した結界により、後宮・七殿五舎の各殿舎内部はもちろん、内裏の各室に鬼は入ることは不可能。一つの場所を除いては。
晴明は夜中に内裏に入るのも初めてだが、そこに足を踏み入れるのは昼間でも一度もなく、これが初めてであった。
清涼殿・鬼の間――、
『我を
鬼は牙をむき出しにして、晴明を睨む。
鬼の背後は、
「お前には、壁の
晴明の言葉に、鬼が瞠目する。
『貴様、陰陽師であろう? 鬼を見逃すのか』
「見逃しはせぬ。お前を
なにしろ鬼は、元は白沢王と供に描かれていたものだ。鬼を祓えば、画から鬼は完全に消える。傷などつければ画も傷つく。
晴明としては、無傷のまま、鬼を画に戻さなくてはならない。
『我が首は誰にもやらぬ』
鬼は壁を向くと、爪を画に向けた。引き裂くつもりなのだ。
晴明は即座に結印した。
「オン、アミリタテイセイカラウン」
『誰が……我が首を……っ』
「ノウマクサンマンダバザラダン、センダマカロシャダソワタ、ウンタラタカンマン……!」
鬼は画に手を伸ばすが、青い光にその腕も飲まれた。
光が消え、そこに鬼はいなかった。
壁の画は、勇ましく刀を振り上げた白沢王と、鬼が描かれている。
この画の先は、晴明にはわからない。
果たして画の鬼は、これから首を討たれるのか否か。
ただ、この画がここにあることの意味ならばわかる。画が描かれているのは清涼殿南東――つまり裏鬼門である。
この画を描いた絵師は、なにゆえ鬼を討ったあとの画ではなく、鬼を討つ前の画を描いたのか。帝が座す場所に
おそらく鬼門封じのために、鬼を討つ前の必要があったのだろう。
ゆえに画の先は、見る者の予想でしかない。
白沢王の刀をはじき飛ばし、彼とこれからまだ戦いを始めるのか。それともこのまま勝敗が決するのか、画を見て思う心は人それぞれ。
晴明はしばらく画を見つめたあと、鬼の間から退室した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます