第三十四話 野心渦巻く内裏、狙われた藤原北家

「例のバケモノ――、よほどほつの者がと見える」

 おそろしげなことを言うおんなあるじに、側で控えていた女房は返答にきゆうした。

 人には、言って良いことと悪いことがある。やしきの中ならともかく、ここは内裏である。

 女房が使える女主は、殿でん殿でんしやの主であった。

 主が言っているのはおそらく、都で次々と見つかるというむくろのことだろう。そのほとんどが、藤原北家に連なる者だと言う。

 女主の顔に彼らをいたむ様子はなく、こくはくな笑みを開いたおうぎしにのぞかせていた。

にようさま、他の者に聞かれまする」

「良いではないか。悪口など他の者も言っている。それに――、北家の力が弱まれば、かみとてわらわを無視はできぬ。それにあの女になにかあれば……」

 女御と呼ばれた女主は、そう言って自信たっぷりにれいしようする。

 男たちがしようしんのためにことをはかるなら、女たちも帝のちようあいを得るために身を磨き、競争相手に対抗心を燃やす。

 さらに女御は言った。

「いっそのこと――、あの女も喰われてしまえばいいのに」

 じゆなど後宮としようするこのなな殿でんしやでも珍しくはないが、人があやかしわれて政敵が減るというのはなんと怖ろしいことか。だと言うのに、それをほくそ笑む主の顔に、かの女房はりつぜんとし、〝あの女〟とは誰のことか考えないことにして、しゆ殿でんを出た。

 

                   ◇


 内裏・殿てんじようにて、ぎようたちがの外にさんくさそうな視線を送っている。声を発することはなかったがいちように眉を寄せ、扇でくちもとを隠している。

 関白・藤原頼房は、そんな彼らから少し離れた場に座していた。

 彼には、彼らのはらがおおかた見当がつく。 

御簾の外は庭があり、白一色の直衣に髪を流した男がいる。

 きんじきの白で直衣、まげも結わえていない人間と言えば一人しかいない。

 陰陽師・安倍晴明――、内裏のおきてしばられぬ彼の存在が面白くないのは当然であろう。

 頼房も、晴明に抱く思いは同じである。元は(※内裏に上がれない五位以下)でありながら、帝の信を得て今やじゆ。しかもはんようである。

 晴明は、庭や内裏を歩き回っていた。結界を張るのだと言う。

 いつもの頼房ならげきこうしていたが、彼は黙っていた。晴明が歩き回っているのは、帝の許可を得ての行動だからだ。


 

「なに……、中宮がねらわれているだと……?」

 清涼殿・ひるのおましにて、帝は声を発した。

「なにゆえ今回だけは内裏の中で怪異が起きたのか、おそらく敵は中宮さまが狙いかと存じます」

 晴明曰く、これまでの怪異の裏に術師がかいにゆうしていると言う。その術師は中宮・藤原瞳子を狙うため、鬼の間を開けさせ、壁にじゆをかけたらしい。

鹿なっ! なにゆえ、鬼に狙われねばならぬ!?」

 頼房のごうに、晴明がそくとうした。

「中宮さまが、関白さまの姫君だからです」

「な……に……?」

 がくぜんとする頼房である。

 これまで王都やその周囲で発見される骸は、藤原一門でも北家の縁者がほとんど。迫るきように、頼房は言葉を失った。

「――晴明、狙われているのは中宮だけか?」

 御簾越しの帝の声に、晴明は言い切った。

「今のところは。ですが――、このようなやり方は断じてゆるせませぬ。壁に掛けられた呪を解くしよぞんにございます」


 

 良房は怖ろしかったのだ。まつりごとの頂点に昇りつめ東宮のがいとなっても、いつその地位が揺らぐか、怖かった。

 すでよわいは六十後半、いつまでまつりごとの座にいられるだろうか。一族を率いる長としてはんえいを保つために、政敵をとしてもきた。その前に現れたのが、安部晴明である。

 帝の信を得たその力が、さらに怖かった。鬼神を操るという半妖の陰陽師――、彼がいずれ、自分を脅かす存在となる。

 実際に、妖を使って北家を狙う術師がいると言う。

 その気になれば、妖でさえ操れるという能力――。

 はたして晴明はこれから先、良房を脅かす存在となるのかいなか。

 

 ――安部晴明、そなたにはわからぬであろう。権力に取りかれてしまった者の想いなどは。

 

 御簾越しに晴明を見つめ、頼房はほうすそを強く握りしめた。


                ◆◆◆


 深更しんこうの、弘徽殿こきでん――。  

 天には湾月わんげつ(※弓形の月)が昇り、庭では既に秋虫が鳴き始めている。

 そんな月明かりの中を、一人の女房が殿舎でんしゃ簀子縁すのこえんに歩を進めている。は外していたが、しっかりと女房装束を纏い、衣擦れの音がしていた。

 この刻限こんげんに、まだ人が起きているとは珍しい。今日中に済ませておかねばならなかった仕事があったのか、それとも寝付けずにいたのか、かの女房の足は中宮・藤原瞳子が眠る塗籠ぬりごめへと、遠慮なく向かっている。

これはさすがの晴明も、予想外である。

 かの女房が何処からやって来たかと思えば、麗景殿れいけいでんである。

 こんな真夜中に、他の殿舎の女房が弘徽殿を訪ねるなど不審でしかない。まさか呪詛じゅそでもしにきたのかと思ったが、彼女は塗籠の前で足を止め、中へと滑り込んでいく。

 晴明は、庭の立木たちきに身を隠していた。鬼を待ち伏せ調伏ちょうぶくするためだが、やって来たのは鬼ではなく人間の女である。

 しかし、彼の勘は間違いなく今夜、鬼が現れることを告げている。

 ――なるほど、そういうことか……。

 弘徽殿・塗籠に向かうにつれ、邪気じゃきが濃くなる。

 御帳台みちょうだいの前に、その女房はいた。

「呪われろ……、藤原北家……」

 彼女がとばりに手を掛けるより早く、中から乱暴に帳が開く。

「――鬼が来るかと思いきや、どうして女が来るんだ?」

「……っ」

 彼女はさぞ、驚いたことだろう。中にいたのは中宮ではなく、冬真だったのだから。

「残念だったな。中宮さまならここにはいないぞ?」

 晴明は、ようやく声を発した。

「――冬真、女性に乱暴はいかんぞ。彼女は操られているだけだ」

「……だろうな。尋常じゃない形相だ」

 その場にそぐわぬのんびりとした冬真の口調に、女は口唇こうしんを噛みしめる。

 晴明が感じた、邪気。間違いなく、彼女からだった。

 ことは――、夕刻までさかのぼる。



「はたして今夜あたり、鬼の奴は出てくると思うか?」

 内裏の隅々まで結界を張り直した晴明に、冬真が眉を寄せつつ視線を天に向ける。

「おそらくな。今日は闇が濃い」

「そういうものなのか?」

 普通の人間にはわからない闇。あやかしによるものもあれば、人が生み出すものもある。晴明が感じた闇はどちらかと言えば、人が生み出した闇のほうだ。

 まさか、帝が座す内裏でこれほど闇が深いとは――。

 晴明は内裏に参内してくることがあっても、長居するのはこれが初めてである。

 権力を得るためには、呪詛もいとわぬ一部の貴族。晴明の元にもそうした依頼は来たが、すべて断った。それから彼らはどうしたかはわからないが、ここはそういう場なのだと、闇が告げる。

「それより、ちゃんとやってくれよ」

 晴明の言葉に、冬真は渋面で嘆く。

「なんで俺なんだよ。弘徽殿には、女はたくさんいるだろうが」

 晴明の策は、中宮・藤原瞳子の身代わりを冬真にさせることだ。

「女性を真夜中に、怖がらせるのは酷じゃないか」

「くそっ、鬼め。とっ捕まえてやる!」

 憤慨する冬真に苦笑し、注意を加えた。

「ほどほどにな。元は壁に書かれた鬼なんだ。元に戻ったら傷だらけだったなんてことになってみろ。あの関白さまが修復代をまかなえと言いかねん」

強突ごうつりだからな、あの御仁ごじんは……」

 そう鬼と言えど、元々は壁に描かれてあったもの。入れられた魂が抜ければ元のに戻るだろう。

 

 

小賢こざかしい真似まねを……!』

 弘徽殿に侵入した女房は、そう言って晴明と冬真を睨む。

「晴明、どうする!?」

「どうやら鬼は、女房どののからだに入り込んだようだな」

『我が主は……、中宮の死をお望みじゃ……。あの女が消えれば……、我が主が……次の中宮となる』

 呪いの言葉をつむぎながら、かの女房はわらった。

 

 

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