第三十三話 宣戦布告! 奪還と正義のために

 はくえんごとくののう、果たしてこの方角が合っているのか青年にはわからない。

 もはや、精神力も体力も限界である。無事に元の世界へかえれるかさえ、疑わしい状態にあった。だがそれでも、青年は前へ進んだ。時折見えぬ力が壁となり、彼をはばんでくるが、既にそれは経験済みである。

 結わえず背に流しただけの髪が、湿り気を帯びて狩衣に絡みつく。近づけば近づくほど、相手の強さに圧倒される。

『――何者だ? お前は』

 がれていた声音に、青年は歩を止めた。

 ――ようやく、お出ましか……。

 霧が引き、明らかに人間でない男が青年をめつける。

 相手は立っているだけだが、青年のほうは気力まで持って行かれそうになっていた。

 男は青い髪に青いそうぼうたくましいたいいろの武具をまとい、腕にはからませている。とがった耳には金の耳飾り、ひたいや手首にも金の装飾品があるが派手さはない。

 ――この男が、東のとうしよう……。

 その姿を見たことがない一般民衆でも、一度は聞いたことがあるだろう男の名前。

『答えろ、人間。ここに何をしに来た?』

 れつな視線ですいされ、青年はぐっとえる。

「私は陰陽師・安倍晴明、理由あって十二天将招喚のじゆつを行った者」

『ふん。貴様か? 我らの所に乗り込んできたという、身の程知らずは』

 十二天将の一人である東の闘将は、鼻で笑ってなおもへいげいしてくる。

 十二天将招喚の秘術――、数いる陰陽師の中で、十二人纏めて式神に置こうとしたのは、安倍晴明だけだろう。

 かの秘術は命を失いかねない危険なものであり、ここにいる躯は精神が作り出したもので、本体はぼうせいを描いた中心に座したままだ。

 彼らの住む異界に精神を飛ばすだけで体力は消費し、十二天将一人一人と交渉をする。比較的神力が弱い天将もいたが、強い天将とたいするとなると、立っているだけで体力が減る。そしてこの男だ。めきそうになる躯を必死に堪え、晴明は男に視線を合わせた。

「力を借りたいのだ。我が式神として」

 晴明の言葉に、男はげきこうした。

るな! たかが人間のぶんざいで、我らの力が欲しいだと? ここまできたこんじようだけはめてやるが、俺は人界に降りる気はない。あしだったようだな? 安倍晴明』

「力が欲しいのではない。貸してくれと言っている」

『同じことよ。他の天将たちはどう言ったかは知らんが、お前のようなはんものに就くつもりはない』

 東の闘将は、晴明がはんようであることを見抜いた。

 晴明は隠すつもりはなかったが、ここであきらめるわけにはいかなかった。

「確かにこの身には、もう一つの血が流れている。しかし、私は人間であり陰陽師となった。十二天将はせんろくじんしきばんにも名が刻まれる神。うやまってるべき存在。ゆえに陰陽師としてもう一度頼む。私の式神として、力を貸してほしい」

『――お前が、奴らのりよういきかたむかぬという保証がどこにある? 我ら全員をしたがえる器がどこにあると言うのだ? 力はおのれで磨くもの。我らに頼るとはがましい!』

 確かに力は己で努力して、身につけるもの。だが――。

「己のためではない。国のため、人のためだ。王都はもうりようばつしている。これからさらに、強い力を持ったモノが出てくる。なんじに問う。東の闘将として、国や人がむしばまれていくのを、だまってここから見ているつもりか」

『……言わせておけば……!』

 彼のきようあおってしまったかも知れないが、晴明にも意地がある。

「私は招喚の秘術を行ったことも、ここに来たことも悔いてはいない!」

 晴明の決意に、男がちんもくしてすうはく

『――ならば我が名を言え』

 彼は他の天将と同じ言葉を放ってきた。

「十二天将・青龍――、我が式神に下れ」



 さぁ――……と、音がする。

 その音にまぶたを上げた晴明は半身をしとねで起こした。

 どうやら外は、風が吹いているらしい。

(参ったな……。よりにもよって青龍との出逢いを夢見ようとは……)

 あのあと――、青龍は式神に下るとは晴明に返事をしてはいない。現在もそうだが、気に入られていないことだけは変わらない。

 他の天将はと言えば従順な者がいれば、玄武やたいいんのように様子見に出てくる者、青龍ほどではないにせよ、そんな態度で従うとうや朱雀など様々だ。

 その中で最も扱いづらいのが、東の守護神でもある青龍なのである。

 そんしんが高い上に、招喚しても来やしない。来たら来たで、はすに構えて顔も向けず、向いたと思えばにらみ付けてくる。

 しかし別れてみて、彼を失うことがこれほどこたえるとは思ってもみなかった。

 式神の中には、命を宿すモノもいる。

 彼らは晴明の式神であるが、個々が晴明を支え、力となる。その一つが欠けた。

 晴明の元を自ら離れた訳ではないにせよ、己の未熟さをつうかんさせられる。


 ――お前が、奴らの領域に傾かぬという保証がどこにある? 我ら全員を従える器がどこにあると言うのだ?


 あのときの、青龍の言葉が今になって突き刺さる。

 青龍をからった何者かは、おそらくあの男だ。あの青龍をりようする実力を、叢雲勘岦斉むらくもかんりゆうさいは有している。たが実力があったしても、青龍は勘岦斉に従うことはないだろう。

 十二天将とは神に連なる者。悪には決して傾かぬ。

 奪われたものは奪い返す。

 彼らのあるじとなったからには、命がきるまでその務めを果たす。それが、彼ら十二人と取り交わしたやくじようである。


 ――ああ、なにゆえに。


 晴明は、久しぶりに聞く声に目をみはった。

 風に乗り、誰とも知れぬ声が聞こえてくる。

 


 ああ、なにゆえに。

 我はなにゆえに、ちた。

 なんのとがゆえに。

 答えよ。

 我が声が聞こえるならば、我が問いに答えよ。


 

切なくもいきどおりにいろどられたこく

 その声が聞こえてきたということは、何処どこかでまた人があやかしに襲われて死んだことになる。

 晴明は勢いよく立ち上がった。

 ――いいだろう、叢雲勘岦斉むらくもかんりゆうさい。この勝負、受けて立つ……!

 青龍を取り戻すため、人にあだなすモノをはらうため、晴明の闘志に火がついた。

 

                 ◆◆◆


 清涼殿・鬼の間の壁から消えた鬼は、いまだそこだけが抜け落ちた状態であった。修復するにしても、それだけのりようを持った絵師はそこそこ見つかるものではない。

おそおおくも帝がおわす場で、なんたるしよぎよう……!」

「壁の絵をぎ取るなど、あり得ぬ」

 ぎよう殿てんじようびとこうする殿てんじようを通り過ぎようとしていた冬真は、しに聞こえてきた声に足を止めた。

「いかにも。これもあの男が神聖なる内裏をけがしたゆえ」

「天はお怒りなのじゃ」

 彼らが誰のことを言っているのかわかり、冬真の中に怒りが沸いた。

「――言いたいことはそれだけですか……?」

「さ、左近衛中将……っ!? い、いつからそこにっ」

 御簾奥にいた貴人たちは、慌て出す。

「通りかかりましたら、下らぬ悪口雑言が聞こえてきましてね。よくも言えたものだと感心しております」

「ぶ、無礼であろうっ!」

「無礼はどちらか? おくそくでものを言われるのはいい加減やめられよ。あなた方も、かの者の力に、頼っておられましょうに」

 いまなお、止まぬ晴明への誹謗。

 彼らの中では晴明は、妖の血を引き、じんを操り、おそろしげな術を使する――、という思いが強い。それでいて、彼のれいはよく効くと知るや飛びつく貴族たち。

 そこをたくみにつくと、彼らは押し黙った。

(ふん。ざまぁ見ろ)

冬真にとっては、晴明は友である。

 その友を侮辱されて、言い気分なわけがない。

「――さすが南家の若君」

 数歩進んだ先で、男がかわほりおうぎを開く。

 その姿を捉えた冬真は、渋面になる。

(またもかいな男が……)

 男が纏っているのは冬真のような闕腋袍てつけきほうではなく、こきほうえきほう(※腋が縫われている袍)である。右近衛府・左近衛府の違いはあるものの、ともに位はじゆくろうどのかみを兼ねる右近衛中将は、冬真にとってはなるべくなら顔を合わせたくはない人物だった。

「……皮肉ですか? とうのちゆうじようさま」

 藤原冬房――、藤原宗家・北家のこうけいにして、恋多き男。彼のこうに、転ばぬ女性はいないと言い、ついたあだにおうきみだとか。

 今や頭中将へと一歩出世した彼だが、男が相手となると態度は冷淡になる。

 じっと見つめてくる目もなることながら、嫌味を言うのだから好きになれと言うが無理である。何せ父親は、関白・藤原頼房である。

めているつもりなんだけどねぇ……。しかし、安倍晴明はそんなに信用できる人物なのかい?」

 目を細め、扇越しに一笑する冬房に、冬真も皮肉を返す。

「少なくとも、どなたかのお父上が警戒されるような男ではありません」

「どうも私と父は、君に嫌われているようだ」

 冬房は気にした風でもなく、ゆうしやくしやくきびすを返した。

 

                 ◆


鬼の間での事件から間もなく――、三条の辻で女の骸が見つかったと言う。

 聞けば女は、御匣殿みくしげどの(※衣服裁縫をする女房たちの場所)の女房だと言う。

 実家に下がっていく最中に、襲われたらしい。

 しかし晴明よりも、他の他のことでふんがいしていた男が目の前にいた。

「まったく、腹の立つ……っ」

 刻限はいのいつこく(※午後二十一時)――、酒を呑み始めて怒りだした冬真のけんまくに、晴明は半眼で彼を見据えた。

「お前なぁ……、ざけなら他で呑め」

「あのへびおとこに、お前も一度会ってみるといい。あれは完全に、父親似だな」

 冬真が蛇とするからには、藤原冬房という人物は相当の性格をしているのだろう。

「それで――、内裏では例の件はどうなっている?」

ばんぜんきた――というところだな。とどきな何者が絵を剥がしたとなればそいつを捕らえ、絵師に新たに画を描かせることになるだろうが、相手が人間でないとなると、お前たちに頼るしかない。だが晴明、そいつはどうやって内裏の奥まで侵入できたんだ?」

 鬼の間は清涼殿の西にしひさしなんたんにあり、なんぼくけんとう西ざいいつけん。北はだいばんところ(※女房の詰め所)、東は母屋、南は殿上の間にそれぞれ接するへやだと言う。

「恐らく――、その場にいても怪しまれない人間の仕業だな」

「おいおい、妖が絡んでいるんじゃないのか?」

「絡んではいるが、内裏にも陰陽寮の人間が結界を張ってある。入り込もうとすれば、すぐに気づかれる。私なら、人間を術にかけかいらいにするが?」

「怖ろしいことを、さらっと言うなよ……」

 晴明の勘は、傀儡とされたのは三条の辻で襲われた女房だと告げていた。

 傀儡に仕立て挙げ句、妖のにえとした相手に、晴明の憤りは増す。

「安心しろ。そんなことはしないさ。人を手駒にするなどこつちようだ」

「つまり、何処かの術師が内裏にいる誰かを術に掛けた?」

「ああ。傀儡のすることは簡単だ。壁にじゆふだを貼るだけでいい。あとは、呪札が効いて鬼だけが抜け出す」

 そこまで晴明の話を聞いて、冬真の顔が次第に強ばっていく。

「ちょっと待て。結界は外から入るのは難しいのなら、抜け出すのは――」

「壁の鬼は、まだ内裏内にいる」

 これも勘だ。

 急ぎ鬼を、壁に戻す必要があった。

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