第三十三話 宣戦布告! 奪還と正義のために
もはや、精神力も体力も限界である。無事に元の世界へ
結わえず背に流しただけの髪が、湿り気を帯びて狩衣に絡みつく。近づけば近づくほど、相手の強さに圧倒される。
『――何者だ? お前は』
――ようやく、お出ましか……。
霧が引き、明らかに人間でない男が青年を
相手は立っているだけだが、青年のほうは気力まで持って行かれそうになっていた。
男は青い髪に青い
――この男が、東の
その姿を見たことがない一般民衆でも、一度は聞いたことがあるだろう男の名前。
『答えろ、人間。ここに何をしに来た?』
「私は陰陽師・安倍晴明、理由あって十二天将招喚の
『ふん。貴様か? 我らの所に乗り込んできたという、身の程知らずは』
十二天将の一人である東の闘将は、鼻で笑ってなおも
十二天将招喚の秘術――、数いる陰陽師の中で、十二人纏めて式神に置こうとしたのは、安倍晴明だけだろう。
かの秘術は命を失いかねない危険なものであり、ここにいる躯は精神が作り出したもので、本体は
彼らの住む異界に精神を飛ばすだけで体力は消費し、十二天将一人一人と交渉をする。比較的神力が弱い天将もいたが、強い天将と
「力を借りたいのだ。我が式神として」
晴明の言葉に、男は
『
「力が欲しいのではない。貸してくれと言っている」
『同じことよ。他の天将たちはどう言ったかは知らんが、お前のような
東の闘将は、晴明が
晴明は隠すつもりはなかったが、ここで
「確かにこの身には、もう一つの血が流れている。しかし、私は人間であり陰陽師となった。十二天将は
『――お前が、奴らの
確かに力は己で努力して、身につけるもの。だが――。
「己のためではない。国のため、人のためだ。王都は
『……言わせておけば……!』
彼の
「私は招喚の秘術を行ったことも、ここに来たことも悔いてはいない!」
晴明の決意に、男が
『――ならば我が名を言え』
彼は他の天将と同じ言葉を放ってきた。
「十二天将・青龍――、我が式神に下れ」
さぁ――……と、音がする。
その音に
どうやら外は、風が吹いているらしい。
(参ったな……。よりにもよって青龍との出逢いを夢見ようとは……)
あのあと――、青龍は式神に下るとは晴明に返事をしてはいない。現在もそうだが、気に入られていないことだけは変わらない。
他の天将はと言えば従順な者がいれば、玄武や
その中で最も扱いづらいのが、東の守護神でもある青龍なのである。
しかし別れてみて、彼を失うことがこれほど
式神の中には、命を宿すモノもいる。
彼らは晴明の式神であるが、個々が晴明を支え、力となる。その一つが欠けた。
晴明の元を自ら離れた訳ではないにせよ、己の未熟さを
――お前が、奴らの領域に傾かぬという保証がどこにある? 我ら全員を従える器がどこにあると言うのだ?
あのときの、青龍の言葉が今になって突き刺さる。
青龍を
十二天将とは神に連なる者。悪には決して傾かぬ。
奪われたものは奪い返す。
彼らの
――ああ、なにゆえに。
晴明は、久しぶりに聞く声に目を
風に乗り、誰とも知れぬ声が聞こえてくる。
ああ、なにゆえに。
我はなにゆえに、
なんの
答えよ。
我が声が聞こえるならば、我が問いに答えよ。
切なくも
その声が聞こえてきたということは、
晴明は勢いよく立ち上がった。
――いいだろう、
青龍を取り戻すため、人に
◆◆◆
清涼殿・鬼の間の壁から消えた鬼は、いまだそこだけが抜け落ちた状態であった。修復するにしても、それだけの
「
「壁の絵を
「いかにも。これもあの男が神聖なる内裏を
「天はお怒りなのじゃ」
彼らが誰のことを言っているのかわかり、冬真の中に怒りが沸いた。
「――言いたいことはそれだけですか……?」
「さ、左近衛中将……っ!? い、いつからそこにっ」
御簾奥にいた貴人たちは、慌て出す。
「通りかかりましたら、下らぬ悪口雑言が聞こえてきましてね。よくも言えたものだと感心しております」
「ぶ、無礼であろうっ!」
「無礼はどちらか?
いまなお、止まぬ晴明への誹謗。
彼らの中では晴明は、妖の血を引き、
そこを
(ふん。ざまぁ見ろ)
冬真にとっては、晴明は友である。
その友を侮辱されて、言い気分なわけがない。
「――さすが南家の若君」
数歩進んだ先で、男が
その姿を捉えた冬真は、渋面になる。
(またも
男が纏っているのは冬真のような
「……皮肉ですか?
藤原冬房――、藤原宗家・北家の
今や頭中将へと一歩出世した彼だが、男が相手となると態度は冷淡になる。
じっと見つめてくる目もなることながら、嫌味を言うのだから好きになれと言うが無理である。何せ父親は、関白・藤原頼房である。
「
目を細め、扇越しに一笑する冬房に、冬真も皮肉を返す。
「少なくとも、どなたかのお父上が警戒されるような男ではありません」
「どうも私と父は、君に嫌われているようだ」
冬房は気にした風でもなく、
◆
鬼の間での事件から間もなく――、三条の辻で女の骸が見つかったと言う。
聞けば女は、
実家に下がっていく最中に、襲われたらしい。
しかし晴明よりも、他の他のことで
「まったく、腹の立つ……っ」
刻限は
「お前なぁ……、
「あの
冬真が蛇と
「それで――、内裏では例の件はどうなっている?」
「
鬼の間は清涼殿の
「恐らく――、その場にいても怪しまれない人間の仕業だな」
「おいおい、妖が絡んでいるんじゃないのか?」
「絡んではいるが、内裏にも陰陽寮の人間が結界を張ってある。入り込もうとすれば、すぐに気づかれる。私なら、人間を術にかけ
「怖ろしいことを、さらっと言うなよ……」
晴明の勘は、傀儡とされたのは三条の辻で襲われた女房だと告げていた。
傀儡に仕立て挙げ句、妖の
「安心しろ。そんなことはしないさ。人を手駒にするなど
「つまり、何処かの術師が内裏にいる誰かを術に掛けた?」
「ああ。傀儡のすることは簡単だ。壁に
そこまで晴明の話を聞いて、冬真の顔が次第に強ばっていく。
「ちょっと待て。結界は外から入るのは難しいのなら、抜け出すのは――」
「壁の鬼は、まだ内裏内にいる」
これも勘だ。
急ぎ鬼を、壁に戻す必要があった。
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