第二十九話 決断のとき

 しろたえ(※白色)のきりに、かの男は眉間にしわを刻む。自然に発生する霧ならば何のことはないが、これは何者かによるさくてきなものだ。

 その何者かは、神である男――、青龍をここへ閉じ込めた。敵は、それだけのじゆりよくゆうしていることになる。

 霧は青龍が放つしんをものともせずに跳ね返し、逆に彼の皮膚を傷つけた。

 果たしてここに彼を閉じ込めた何者かは、何が目的なのか。

「いい加減――、何か言ったらどうだ? 神をおそれぬらちものめが」

 しんに燃える青龍に、霧の壁が僅かに動いた。

『十二天将・青龍――、われはずっと待っていた。この手に、神を従えることを』

「俺が何者か知っているというということは、貴様、陰陽師か」

『吾が何者かなど、とっくに理解っていように。青龍よ、吾に従え』

 男の声に、青龍の怒りが爆発した。

るな! 何様のつもりだ? 従えだと?」

『ならば問う、十二天将・青龍。安倍晴明はお前たちを使役するに値する器か? あの男の力は、お前たちが従うだけの価値があるのか?』

「――言いたいことはそれだけか? 叢雲勘岦斉むらくもかんりゆうさい

『じっくり考えることだ。どちらがすぐれているか』

 青龍は唇をんだ。

 彼の中では、既に結論は出ていた。晴明はあるじの器にあらず――、そういつも口にしていたことだ。人間のぶんざいで、神に連なる十二天将全員を、式神として下ることを望んだ。

 はんようのあの男の心は、常に揺れている。いつ、くらがりにちてもおかしくはない男である。叢雲勘岦斉はどうかといえば、考えたくもない。

 青龍は不意に込み上げてくるものを吐き出した。血である。

 どうやら勘岦斉という男は、青龍をただ閉じ込めて置く気はないらしい。どくはらんだ霧は、青龍の内部から痛めつけるようだ。

 ――こんなことで、俺を支配できると思うな!!

 ぎりっとぎしりし、青龍は霧の壁をめつけた。



 一条・晴明邸のいらかにて、その男は両腕を組んで立っていた。あんりよくしよくの髪にすいそうぼうはなろくしようかたてと、同色のぎよくを配した剣をいている。十二天将・とうである。

 玄武・太陰の次に人界に降りる事が多くなった男だが、性格はやや青龍に似ている。青龍のようにすぐにげきこうはしないが、気に入らない事があれば顔に出ることが良く似ている。

 玄武は彼より斜め上の上空にて、降りようか降りまいか悩んだ末に、騰蛇のかたわらに降りた。案の定、鋭い視線が飛んでくる。

『何のようだ』

『別にお前に用があるわけじゃないが、様子見ってことさ』

 玄武はおおぎように溜め息をついて、騰蛇が見下ろしていた方へ視線を向ける。

 寝殿造りの晴明邸――、貴族ほどのさはないものの、こうしてみると広いやしきである。しゆ殿でんを中心にむねろうつながれ、池には張り出したように造られたつり殿どのもある。

 玄武の「様子見」という言葉に、騰蛇が口を開く。

『ここに来る前、しんぜた気配を察したが、あれはお前か? 玄武』

玄武は彼の問いに、敢えて「そうだ」とは答えない。

 彼はいつものように昊を飛んでいた。妖の気配を探っていたのだが、不意に強い妖気を晴明邸で察した。彼が見たのは、人間のどうの成りをした〝式〟によって、晴明が弾き飛ばされた姿だった。

 幸いその〝式〟は玄武がはらったが、意識を失った晴明を邸の中に運ぶのはひとろうであった。騰蛇や青龍のように身長があり、たくましいからだであればぞうはないだろうが、玄武が成る人型は人でいう十五、六の子供だ。

 姿は子供でも、人の何百倍、いやそれ以上の歳月を生きている天将である。人にとって致命傷というような傷を負っても死ぬことはないし、病にもかからない。

『晴明が、相手に後れを取るとは――』

 騰蛇のどくはくには、いきどおりがにじんでいる。

 そう、いつもの晴明なら、あんなヘマはしていないはずだった。

 彼のかんにぶらせたのは、恐らく王都に立ちこめるしようせいだろう。 

『敵はいよいよ、俺たちと晴明に宣戦布告をしてきた。騰蛇、お前もわかっているだろ』

『青龍が消えたのは、敵が奴に何かをした』

『あり得ないことだが、あの青龍を捕らえているとしたら、敵はかなりのじゆりよくゆうしていることになる。となると――』

 玄武はその先の言葉は言わなかった。それも考えたくないほど、あり得なかったからだ。

『奴が真に我らの主たる器か否か、俺たちに決断のときが来ているのかも知れん』

 騰蛇の言葉に、玄武はひとつ瞬きをする。

『青龍の開放は、晴明次第だと?』

『そう言いたかったのではないのか? お前も』

 はらを読まれた玄武は、軽く肩をすくめた。

 敵は十二天将の一人である青龍を網にかけたほどの術師、晴明にとっては最強の敵となる。現在の晴明に勝てるかどうかは、疑問である。

『俺たちが決断するのは、今じゃないだろ。てんくうが動けば別だが』

 十二天将をまとめる天空――、最終決定は彼が下す。そうあの時――、晴明が十二天将の力をいに来た時に、決断したように。

 

◆◆◆


 ああ、なにゆえに。

 聞こえているか。

 見えているか。

 我が声を。

 我が姿を。

 さぁ、いまこそ我がこくの声を聞け。

 ねんの叫びを。

 なにゆえに、我がここにいるのかそのを答えよ。

 


 たぷんと、水の揺れる音がした。

 くらがりの中で、無数の青いはなが揺れている。

 久しぶりに見る冥がりに、晴明は乱れた髪をき上げた。

 彼らは必死に訴える。

 何故、死なねばならなかったのか。

 何故、誰もその理由を答えてくれぬのか。

 ちる躯から離れたこんぱくりんとなって燃え、自分の居場所を華でしらせる。しかし、おのれがなにゆえ死に至らねばならなかったのか、その理由はわからない。

 あやかしわれて骨にされ、さらされる。そんな死など、誰が望んでいようか。

 限られた一生を精一杯生きて、がんにわかることを望むのではないか。

 そんな晴明の前で、黒く小さなかたまりが立ち上がった。

『やっと……、お前にえた』

「私をここに引きずりこんだのは、お前か?」

『お前のしきならば、奴も手が出せないと思ってな』

「私も落ちたものだな。妖を躯に入れようとは……」

『すぐに出てさ。我はもうすぐあのバケモノに全て喰われる』

 黒い塊は、すうっとその色を剥がした。

「お前――、あの時の……」

 現れたのは、水干を纏ったかえるしようである。

『全てはあの沼から始まった。おろかな人間が沼にみずちを起こし、奴が沼から連れ出した』

 蛙の化生がいう沼とは、おそらく貴族・藤原成親の二人の息子が禁を犯したという禁域だろう。まつよしたかは行方不明、次男は王都で妖に喰われた。

「藤原芳隆という男は知っているか?」

『知っているとも。奴は直ぐにむくいを受けた。だが安倍晴明、あのバケモノと奴だけはゆるせぬ。奴は我の大事な者まで奪った。消えるのが報いというなら受けよう。だが――、彼らの声を聞き、それを叶えられるはお前しかいない。それが我の最後の罪滅ぼしだからな』

「どういう意味だ?」

『陰陽師・安倍晴明――、彼らの鬼哭の声を聞け。あのバケモノと叢雲勘岦斉をたおせ。彼らの無念を――』

 蛙の化生の姿は闇に溶け、そこには青い華が揺れる光景だけになった。

 果たしてかの化生は、何の罪を犯したのか。


 ――たぷん。


 再び水の揺れる音がして、晴明は視線を上げた。

 華の中心に、直衣姿の青年が立っていた。

 すぐにその姿は掻き消えたが、その青年こそ沼で消えたという藤原芳隆ではないか。

 晴明はかの人物に会ったことはなく、顔も知らない。ただ、かんが告げている。

 叢雲勘岦斉――、彼はついに晴明に挑んできた。

 〝式〟を放ち、晴明に仕掛けてきた。

 彼の目的はいまだ謎だが、このまま大人しく引き下がる安倍晴明ではない。

 この借りは必ず返す――。

 晴明の決意に、冥がりは去った。



「晴明!」

 どのくらい眠っていたのか、晴明は目を向けると、冬真の顔が視界に飛び込んで来た。

 渋面で半身を起こす晴明に、冬真が半眼になる。

「お前なぁ……、心配して駆けつけてきた友に対して、その仏頂面はないだろう」

 冬真曰く、右大臣邸に叶が報せに来たという。

  ――おさまが妖に襲われて倒れました。

 そう聞いたという冬真は、馬をここまで走らせたらしい。

 板の間には、すのえんから続く水をこぼしたであろうみずまりが続き、晴明はたんそくした。どうやらこれも叶の仕業のようだ。

 かんびようしようと思ったのか、みずおけを運んだのは良かったが、慣れぬ為か大半を床に零したようだ。ましてや冬真は、叶がようとは知らない。

 人間の弟子と思っている彼に、敢えて真実を告げる必要はないだろう。

 門に叩きつけられた背がまだ痛むが、外傷は手の火傷ですんだ。

「しかし、お前がやられるとはなぁ……」

「内裏の方は今、どうなっている?」

「寝込む廷臣が、また一人増えたよ。てんやくりよう(※朝廷の医療機関)は大忙しさ」

「そうか……」

 冬真が腕を組み、眉を寄せた。

「疫病の正体、妖の仕業なのか?」

 昔から、病は怨霊のたたりや妖の仕業と信じるこの国である。そのため、そうによるとう、陰陽師によるはらえのさいが行われてきた。

「妖がどうかはわからんが、かいしようが流れ込んでいるのは間違いないな」

 おそらくこの裏に、あの男――叢雲勘岦斉は潜んでいる。

 晴明の勘は、そう彼に告げるとともにけいしようを鳴らしていた。

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