第二十八話 消えた十二天将・青龍

 どのくらい、そのままだったのか。

 彼はゆっくりとまぶたを押し上げた。

 まわりは一面のきりである。霧自体は見慣れたものだが、何かが違う。

 手を伸ばせば霧が壁となり、その先へはいけない。

(この俺を、閉じ込めたつもりか……?)

 れつまなこいからせて、彼はその正体を探るために神経をとがらせる。しかし、彼の能力ちからを以てしても霧のおりくだけない。

 ――ゆるせぬ……!

 こともあろうに、敵は神に挑んできた。からだくつじよくと怒りに震え、青い電光がほとばしった。

 いったい何者が、彼を檻に入れたのか。

「だから俺は、人間に関わるのは……っ」

 吐き捨てるようにいって、最後は言葉をむ。んでいる異界を離れたのは自分だ。あの男は何も命じていないし、呼んでもいない。

 人界に異変を察知して自分で降りた。そしてこのざまである。

 こういうのを、人は八つ当たりというらしい。

 ――面白い。正体を確かめてやる。

 閉ざされた空間というのは、冷静に考え事をするのはもってこいといよう。うるさどうほうに邪魔されず、ゆっくりとものが進んでいく。ただ――、いつまでも閉じ込められているつもりはないが。

 

                ◆


 最近、どうも気が重い。

 何がどうというのでないが、考え事一つにしてもおつくうとなり、書を開いてもすぐに閉じてしまう。こうなると、食も減る。

 食べ残した干し魚を、これ幸いと盗みに来たぞうに目を留め、しばらく見つめ合った。

『だ、だって、もつたいないだろう? こんなだ。くさっちまう』

 必死にべんかいする雑鬼に、晴明は無言ではしを延ばす。食べ損なった雑鬼は『あっ』といったが、くれてやるほど彼は優しくはない。

『……そういえば、最近おかしいよなぁ? おいの仲間も、何匹かからびる寸前なんだ』

「雑鬼が干からびようと困ったことではない。むしろ人間にとっては、いたずらをされることなく、せいせいすると思うがな」

 なく言い放つ晴明に、雑鬼の目が据わる。

 づき(※八月)に入って早々、日照りが十日続いている。王都にはしようが流れ、病にす者が増えた。まさに、人間も干からびるかも知れない事態である。

『あの半人前、やはり半人前だなっ』

 雑鬼がいう半人前とは、晴明をあやかしと勘違いしているようの子・かなうのことだが、いつもなららかわれると物を浮かせたり雨を降らせるが、屏風の陰できつねとなって揺れていた。

 どうやら瘴気は妖もむしばむのか、本来の狐に戻る能力さえいでしまったらしい。

『まさかと思うが……、お前の呪力は平気なんだろうな? 晴明』

 雑鬼の背後に狐火と化した叶も重なり「助けてくれ」という圧と、庭のせみぐれに、晴明は眉間に一本のしわを刻む。

 ――ああっ、うつとうしい!


 

 大内裏・陰陽寮では、内裏から戻ったおんようのかみもんが渋面で唸った。

いかされましたかの? 陰陽頭どの」

 ぬりごめで書に視線を落としていた賀茂忠行は、入っていた土岐に顔に眉を寄せた。

「関白様の、いつもの無茶振りだ」

「今度は何と?」

疫神祭えきじんさいり行えとのことだ。この炎天下の中でだ」

 疫神祭とはえきびようの流行を防ぐために、やよ(※三月)に行われたえきがみしずめるさいである。 内裏のすみであるうしとら(北東)、たつ(南東)、ひつじさる(南西)、いぬ(北西)やない(※山城・大和・河内・和泉・摂津の五国の総称)の境界に、疫神をまつる。

(確かにこの瘴気……)

 忠行も、何とかしなければとは思っていた。

 日照りが続けば田畑に影響が出る。そして今度はしやが増える。

「上は民のことなどより、ご自分の腹が痛むことしか気にしておられんのだ」

 陰陽頭・土岐亜門は関白・藤原頼房とはけんえんなかだという。

 土岐家は藤原北家に比べればけんは低いが、彼自身、のかみたじのかみほうじゆりようから出世し、姫をじゆだいまでさせた。

 努力家の彼にすれば、関白・頼房は力に任せてのし上がった男といい、歳も変わらぬとあって、顔を合わせれば火花を散らすらしい。

 確かにきんとなれば、有力貴族のしようえんにも害は出る。

「して――、祭祀はいつ?」

かみが下り次第、準備にかかろうと思うが? 賀茂どの」

 土岐の提案に、忠行は「しかるべく」と答えた。

 

                ◆◆◆


 この日もそらは恨めしいほどに晴れ渡り、日輪がようしやなくからだあぶってくる。

 依頼されたれいを届けに貴族のやしきを訪れていた晴明は、その帰りにおくり(※死者を埋葬地まで見送ること)を目撃した。

「これで、死人が出たのは五人目だそうじゃないか」

おそろしや怖ろしや。また何かに祟られているんだよ。この都は」

 一般民衆のうわさいくつか拾い、晴明は渋面で昊をにらむ。

 出来れば刺激したくない相手だが、ここはあの男の出番だろう。

 東の闘将、十二天将・青龍――、雨を運ぶとされる竜神でもある彼に、ここは出て来てほしいところである。

ひるに、何て顔をしているんだよ? 晴明』

 ふっと降りたしんに、晴明はたんそくした。

「何だ……、お前か。玄武」

 素気ない態度に、北方守護神にして天将・玄武は半眼でいった。

『お前なぁ……、少しはうやまえ。わさわざ下りて来てやっているんだ』

「青龍はどうしている?」

「何だよ。あいつに用か? ま、おおかた雨でも降らせろというんだろうが、あいつがすんなりいうことを聞いた試しがあったか? それにその依頼は、俺でも下らん」

「……だろうな」

 再び嘆息する晴明である。

 雨を降らせてほしいが、そんなことを晴明がいえば、青龍は返事もしないだろう。

 神である十二天将を使役する主が、人間なら誰でも口にするような依頼はするなというのだ。

「それにあいつ……、いないぞ?」

 玄武の言葉に、晴明はろんに眉を寄せた。

「いない……?」

天将おれたちは、何処どこにいようと気配でるが……」

 玄武によれば、その気配も掴めなくなったという。

 これまで青龍は、東方守護神でもあっても滅多に異界を離れず、式神として晴明の元に下ってもなお、よほどのことがなければ降りる男ではなかったという。

 最近は自身の意思で降りることもあるそうだが、同胞に気配を探らせまいとすることは一度もなかったらしい。

「よりによって、めんどうなあいつが……」

 主を主とも思っていない青龍が消えた。

 ついにあいかされたかと思ったが、そうでもないらしい。

『あの日――、俺たちはお前の元に下ると決めた。お前を主として、貸すと。てんいちおきながいっていたよ。十二天将は一人も欠けてはならない。それは我らの道理に反するってな』

 ゆえに、青龍が同胞に何も知らせずに消えるなどあり得ないと、玄武はいう。

 天一は十二天将の一人であり、他十一人を纏めている存在だという。晴明はまだ一度しか逢ったことはないが、老人の姿をしていることだけは覚えている。

 ならば、青龍に何か起きたというべきだろう。

 だがこれにも、玄武は否定的だった。

『あの青龍をなんとかするって、どうやったらできるんだ?』

 逆に問われ、晴明は渋面で言った。

「神族のお前にわからないものを、私がわかるわけがなかろう」

 玄武とのやり取りに何人かの視線を拾って、晴明はてい辿たどり着いた。

 ――まったく……。

 十二天将はしようかんしなければ出てこないのが普通だが、玄武や太陰は用もないのに降りてくることがある。彼らはいんぎようしているため、普通の人には視えず声も聞こえないのだが、話しかけてくれば応じないわけにはいかない。へやの中など誰もいない場所ならばいいのだが、道のおうらいで話しかけられると、晴明は独り言を言いながら歩くとになるため、周りの視線をさらってしまうのだ。これだけはいまだに慣れない。

  もんを開けようとすると、背後に人の気配がした。

「こちらは――、陰陽師・安倍晴明さまのお邸でございしょうか?」

 立っていたのは水干姿のおとこわららである。

「そうだが?」

「我が主より、ふみを預かって参りました」

 晴明がその文に触れる瞬間、何かがはじけた。

 しまったと思ったときには、晴明のからだは門扉に強く叩きつけられていたのである。

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