第二十五話 羅城門の鬼、再び! ①

 ――まさか、またこうしてこの門を見上げるとは、な。

 晴明は、かんがいぶかげにその門をあおいだ。

 しらかべしゆりの柱に抱かれた二重の屋根、平安王都のおもてもんじようもん。ここをあやかしや鬼に突破されれば王都は彼らのそうくつとなる。まさに、この門をじろした鬼が二匹いた。

 一匹はねり(※内裏の宿直や雑役に従い、行幸の警護にあたった武士)・わたなつなによって討たれ、もう一匹は五年前、晴明との戦いに敗れ姿をくらました。名を羅将らしようという。

 あの時の鬼が何処どこにいるかなどわからず、晴明の中では終わったことと、忘れていたはずであった。

 それが再び都に鬼が出没した。彼の足をここに運ばせたのは、あのとき、鬼を完全にはらえずに逃がしたおのれの未熟さゆえの後悔からなのか。

 羅将に、もう当時の力はない。武器は鋭い爪と牙のみ。それでも彼はぎようの鬼である。からだも大きく、顔もいかつい。人間にとっては大きかろうが小さかろうが、の存在だろう。

羅将は門の上部、こうらんから身を乗り出してこちらをにらんでいた。

 現在いまの晴明なら、羅将を倒せるかもしれないだろう。だが晴明はけついんすることもなく、しゆを唱えることもしなかった。昔の自分ならどうしていたかわからないが、晴明が再び羅城門にきたのは、羅将を倒すことが目的ではない。

 妖だろうと最大の味方になることを、晴明は知っている。

 晴明が告げたことに、羅将は金色の目をかっと開いた。


 ――力を返すゆえ、式神となれ。

 

 きよを突かれた羅将はわらった。

 そんなことをして、なんになると嗤った。

『鬼にも鬼のきようがある。われをこれ以上見くびるでない……!安倍晴明』

 彼のいきどおりは最もだろう。


 ――にんげんぜいに誰が……!


 かつて――、ある男にそう言われたことがある。いまなお、晴明に厳しいその男は、己のりようぶんにある務めは果たし、たまに姿を見せてはひとにらみして鼻で笑う。

 つくづく困った男でこの上なく扱いづらい彼だが、彼の力あってこそ、この王都は護られている。

結局――、羅将は承諾しなかった。あの門を鬼が通ったか――、など同じ鬼に訪ねるのもどうかと思ったが、過去の因縁はそうあっさりとは覆らないもののようだ。



『――あの鬼を〝式〟とするとはまことか? 晴明』

 いちじようほりかわ沿いのていに戻った晴明は、風もないのに激しく揺れる御簾や几帳に眉をひそめた。けんげんしたてんしよういちべつし、腕を組む。

 燃えるような赤い髪に金のそうぼう、大剣を斜めに背負った天将かれは、おうちで晴明をめつける。十二天将の一人にして南方の守護、朱雀である。

 本来、式神というのはしようかんしなければ出てこない。しかし最大にして最強の式神・十二天将は、そのはんちゆうにはないらしい。

 何しろろくじんしきばんにも名が刻まれ、陰陽師なら大抵はその名を知っている〝神〟である。

 その陰陽師のなかでも、彼らじゆうはしらまとめて指揮下においたのは、安倍晴明だけだろう。

 指揮下といっても相手は〝神〟。服従しているわけではなく、あくまで力を貸しているに過ぎない。中には招喚しても出てこない天将もいれば、太陰や玄武のように用もなく顕現するものもいる。

 滅多に異界から下りぬ朱雀が顕現したということは、登場の仕方から察するにかなり憤っていることが窺い知れる。

「やはり、気にくわんか?」

 羅城門は王都の正面、南に建つ門である。

 南方を守護する朱雀にとっては、己の警戒範囲に鬼が堂々と居座っていることになる。確かに面白くはなかろう。

 ゆえに、朱雀はふんがいした。

『当然だ。そもそもあの鬼は、お前が逃がしたものだろう。それを今度は味方にする? お前、なにを考えている? 正気のとは思えん』

「奴にも同じ事を言われたよ。しかし今回の件――、人を喰い骨にしている妖は何処から王都に侵入したと思う? そらからなら、嫌でも他の陰陽師や、お前たちに気づかれる。ならばどうするか――」

 朱雀がどうもくする。

「羅城門を――堂々と通ったというのか?」

「そうだ」

『ばかなっ。吾が見落としたと? ありえん。そんなことは絶対に!!』

「お前に気づかれず、王都に正面から入る方法は一つだけある」

 そう、あるのだ。誰にも怪しまれず、正面からこの王都に入れる方法が一つだけ。

『なに……?』

 朱雀が、ろんに眉を寄せた。

「人間が妖を隠していたとしたら、ぞうはない」

『無理だな。人間が妖を連れて歩くなど、よほどの能力があるじゆつか――』

 そこまで言いかけた朱雀が、はっと息を呑む。

「気づいたようだな? 朱雀」

「あの男か!?」

 叢雲勘岦斉むらくもかんりゆうさい――、恐らく彼だ。ふじわらのなりちかの二人の息子がきんを犯したという地、その地にあったという沼に潜んでいたモノを、彼が王都に持ち込んだ。たくみに妖の気配を消し、羅城門を難なく通れるとしたら、彼しか晴明は思い浮かばなかった。

じゆつちゆうはつ、間違いないだろう。ゆえに、王都への侵入を防ぐために、羅城門をきようなものにする必要がある。結界を張ればいいが――」

 それには、かなりの呪力を要する。まずは羅将と再戦し、彼を門から出さないと行けない。疲弊した躯では、頑丈な結界は無理だろう。

なさけない奴め』

 朱雀が、する。

「ただ、羅将はしようだくしてはいない。断ってきたら他の手を考えるさ」

 朱雀はまだ不満そうな顔をしたままもくし、そのまま異界に去った。

まるで嵐が過ぎ去ったかのせいじやくの中、だいたんともいえるこの策を思いついた自分もおかしく、晴明はちようの笑みをふっと漏らしたのだった。


              ◆◆◆


 天空にえんの月が昇ったその夜、五条大路を牛車が進んでいた。

 その牛車にぴったりとじようの馬を寄せながら、冬真は武官装束のまま駒を進めていた。

 このままとうしんすれば、清水坂を上る道とかもがわに架かる五条橋がある。

「――どうでもいいけど、大丈夫なんでしょうね?」

 牛車から、若い女の声がした。だが女性にしては派手すぎる衣擦れに、冬真はたんそくする。

「俺はお前の方が心配だぞ? あや。果たして鬼が食いついてくれるかどうか……。いいか? 今のお前はある貴族のしんそうの姫――だ。忘れるなよ?」

 冬真の従妹いとこにして、中宮・藤原瞳子のそばづかえ、男勝りの性格ゆえに〝わかしようきみ〟と呼ばれる菖蒲を『さる高貴な深窓の姫君』と仕立てたことに、冬真は内心後悔していた。

 大人しく演じてくれればいいが、早くも化けの皮をがし始めた彼女に、この策が上手くいく自信が薄れてきた。

「わかってるわよ。でも、にいなかったわけ? おとりをかってでるようなつわものは」

「いたらお前には頼んでないよ」

 冬真は半眼で、再び嘆息した。

そもそも、囮で鬼を誘い出すという案は、晴明によるものだった。



「――鬼を誘い出す?」

 晴明邸にて、かわらけを口に運んでいた冬真は眉をしかめた。

「ああ。少し荒っぽい策だが、ここは貴族にふんしてもらう」

 おそろしいことを、さらりというのが晴明である。

 彼の性格は理解しているつもりだったが、今回は冬真のきよようはんを超えてきた。

「お前なぁ……、そんな貴族がいると思うか? 確かに王都に出没している鬼は貴族ばかり狙っているが、鬼とか妖と聞いただけで、頭を抱えて震えているような連中だぞ?」

 冬真の反論に、晴明が笑った。

「彼らにやってもらおうとは思っていないさ」

 こういうときの晴明の笑みは、危険だ。嫌な予感を堪えつつ、冬真は聞いた。

「じゃあ、誰に……?」

「いるじゃないか。鬼と聞いて悲鳴も上げず、震えもしないしようしんしようめいの貴族が」

 不敵に笑う彼に、冬真は「やっぱりか……」と天を仰いだのだった。

 冬真も貴族だった。藤原一門・なんちやく、父は右大臣である。

 しかし晴明は、冬真では囮にはならないという。

 鬼は馬鹿ではない。相手が腕が立つかどうかは瞬時に見抜く。さすが貴族だけあって牛車は用意できるが、問題は中身だ。

 中で座っているだけでいいにしても、このわけがわからない行動に、衛府の人間は全力で拒んできた。

 そんな冬真の脳裏に浮かんだのが、菖蒲である。

 鬼と聞いて悲鳴も上げず、震えもしない正真正銘の貴族――、まさにぴったりの存在。


 

「よく私に、深窓の姫君を演じろなんて言えたわね?」

 牛車の中で、菖蒲が嫌味を言った。

「自分でも、それが誤りだと今ごろ気づいたよ……」

 づなさばきつつ肩を落とした冬真だが、彼の愛馬・がねが歩を止めた。

 どうやら牛車を引く牛も異変を感じたらしく、牛車も止まった。

「……どうかした?」

 冬真は「しっ」と菖蒲の口を閉ざさせ、視線を前へ戻した。

 牛車から一六五寸ひやくろくじゆうごすん(※5メートル)先、何かがいた。

 闇にまぎれていたが、何かの気配がする。冬真はゆっくりと腰の剣に手を伸ばした。

 ――晴明あいつの、言っていた通りだな……。

 冬真がへいげいする前で、それはゆっくりと姿を見せた。

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