半妖の陰陽師～鬼哭の声を聞け

第二十三話 妖狐・叶の弟子入り志願

　それは、ゆらゆらと揺れていた。

　闇（やみ）夜（よ）の中で、一つだけ揺れる青い火（ひ）玉（だま）。

　火玉は逃げていく人間を見ていた。幽（ゆう）鬼（き）が出たと駆（か）けていくその後ろ姿を。

　――違うのに。

　火玉は揺れながら、彷（さま）徨（よ）った。

　そして、呟（つぶや）いた。

「お腹が空いたな……」

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　◇

　この時（じ）季（き）の昊（そら）は、実（じつ）に気まぐれである。

　先ほどまで晴れていたと思えば、急に暗くなり滝のような雨が降る。そして何事もなく晴れて、日（にち）輪（りん）が容（よう）赦（しや）なく人も炙（あぶ）る。だからいって、天の神に悪気はないのだろうが。

　しかもこの日は晴れているにもかかわらず、雨が降ってきた。

　お陰（かげ）で着ていた出仕用の直衣はしっとりと濡れて、額（ひたい）にかかる前髪からポタリと雫が落ちた。半眼になる青年に、一歩前を行く芋（いも）の葉が振り向いた。

『だから今朝、言ったろ？　雨になるって。たまには己（おい）等（ら）のいうことも信じろよ。晴明』

　芋の葉から覗（のぞ）いたのは、自（じ）邸（てい）に棲（す）み着（つ）いている雑（ぞう）鬼（き）である。

　晴明は大内裏から帰宅中、朱雀大路を堂（どう）々（どう）と動く、芋の葉に唖（あ）然（ぜん）となった。

　それを目撃した人間は青ざめ、また或（ある）る者は逃げ出した。

　なにしろ雑鬼は、大抵の人間には視えない。芋の葉だけが移動しているように見えるのだから、驚くは無理はない。しかもその時は晴れていたのだ。

　晴明にはしっかり視える雑鬼は、晴明を見つけると嬉（うれ）しそうに声をかけてきた。

　見なかったことにして足を進める晴明を、雑鬼が追（お）い越（こ）した途（と）端（たん）この雨である。

『晴明も使えよ。便利だぜ？　これ』

　確かに芋の葉は水をよく弾（はじ）く。しかしそんなものをさせるわけがない。要（よう）は恥（は）ずかしいのだが、すると雑鬼がそんな晴明の心中を読んだか『人間って、妙（みよう）な自（じ）尊（そん）心（しん）があるんだな』と揶（や）揄（ゆ）してきた。

そんな晴明の足が、自邸を前にして止まる。雑鬼も止まった。

『なぁ？　門の前にあんなモノ、あったか？』

　晴明邸の門前に、大きな毛玉があった。

　 ――狗（いぬ）……？

　王都では、この手の野犬が転がっていることがある。

　縄張り争いに負け、群れも外れた彼らは食い物にも困り、最悪こうして餓（が）死（し）する。

　晴明は眉を寄せた。

『どうする？　この狗』

「とりあえず、中に入る」

　このままでは、二度目の風邪は確実である。

　門に手を翳（かざ）すと、差袴（さしこ）(※指貫の裾を短くした、括りを入れない袴?)の裾がなにかに引っ張られた。

　視線を落とすと、毛玉から人間の子供の手が伸びていた。

『……狗……じゃない……』

　毛玉の否定に、晴明は嘆（たん）息（そく）した。

　どうやら、妖の行き倒れらしい。

『晴明、この狗っころ、生きてるぞ』

『だから、狗じゃない……！』

「やめんかいっ！」

　更に強く否定する毛玉と雑鬼のやり取りを晴明が一（いつ）喝（かつ）し、それに雨が反応した。

　お陰で、ずぶ濡れになった晴明であった。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　 ◆

「――それで、お前はまた風邪を引いたというわけか……？」

　大内裏・陰陽寮――、摂（せつ）津（つ）国（のくに）から帰っていた晴明の兄弟子・賀（か）茂（も）保（やす）憲（のり）は、なんともいえぬ顔をしていた。呆（あき）れているような、同情しているような、それでいて笑いを堪（た）えているのか、口許がふるふると震えている。

「保憲どの……、笑い事ではありません」

　半眼で抗議する弟弟子に、保憲は視線を落としていた書を閉じた。

「いや、すまん。しかし、私が王都を離れている間に、いろいろあったようだな。それでその化（ば）け狐（ぎつね）は祓（はら）ったのか？　晴明」

「祓おうとすると雨が降るんですよ……」

「は……？」

　そう、雨が降るのだ。

　下（へ）手（た）に刺激すると、周りの物が宙に浮き、外は晴れていようと雨になる。

　晴明邸の門前に転がっていたのは狗ではなく、妖（よう）狐（こ）の子供で名を叶（かなう）と名乗った。

　使える術は人間に化けることとのみ。物が浮いたり雨を降らせてしまうのは、意識的なものではないらしい。

「修行を積めば、他の妖狐のように使える術も増え、尻（しつ）尾（ぽ）の数も増えると思いまして――」

　嬉（き）々（き）として事情を語る妖狐の子は、最後にとんでもないことを言い出した。

「なので、これからよろしくお願いします！　お師（し）さま」

　このあと――、雑鬼に大笑いされ、否定しようものなら妖狐の子は忽（たちま）ち涙ぐみ、書や巻物などが浮き始め、外は雨になった。幸い、邸の中まで雨を降らすことはできないらしいが、物が浮くのは問題である。

　しかし、なにゆえ〝師〟と呼ばれなければならないのか。

　思いだし、嘆（たん）息（そく）する晴明に、保憲が話題を変える。

「実は、鬼が一匹、王都に逃げ込んだようなのだ」

「この王都に鬼が？」

「私が摂津に行ったのは、その鬼を祓うためだったのだ」

　絶（ぜつ）句（く）した、晴明である。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　◆◆◆

　王都に鬼が逃げ込んだ――。

　保憲曰くその鬼は、摂津国でかなり暴れていたらしい。

　六（ろく）壬（じん）式（しき）盤（ばん）を前に両腕を組んだ晴明は、にこにこしながら歩いてくる童（どう）子（じ）を睨（にら）んだ。水（すい）干（かん）を纏（まと）い、長い黒髪を一つに括（くく）った童子が晴明の前に座る。

「お師さま、どうでしょう？」

「どう……とは？」

「上手く、人間に化けられてますか？」

「叶」

「はい」

　晴明は呼吸を整えると、一気にまくしたてた。

「その呼び方はやめろ！　お前を弟子にした覚えはないっ」

「でも、お師さまは術（じゆつ）に長（た）けていて、葛（くず）葉（は）さまの血筋だって聞きましたけどぉ？」

　いったい誰から、そんなことを聞いたのか。

　葛（くず）葉（は）とは、晴明の母の名前らしい。

　顔も知らぬ母だが、名前だけは人の噂で聞かされていた。

　叶の言っていることは間違っているようにいないようなものだが。

「お前なぁ……」

　妙な頭痛を覚えた晴明は、脇（きよう）息（そく）に片（かた）肘（ひじ）をつくとこめかみを揉（も）み解（ほぐ）す。

　叶を一（いち）瞥（べつ）すれば期（き）待（たい）満（まん）々（まん）に、ふさふさの尻（しつ）尾（ぽ）を出して左右に振っている。　

おそらく彼は〝陰陽師〟の弟子ではなく、妖に弟子入りしたと思っているのだ。晴明は人間に化けて、多彩な術を使っている――と。

　人間扱いされないのは慣れていたつもりだが、妙なモノに懐（なつ）かれてしまった。

　と言って追い出そうとすれば、また物がが宙に浮き室（へや）が散らかるのだ。

「式神としてなら――」

「僕、頑張りますっ！　お師さま」

　嬉（うれ）しそうに尾を振る叶に、晴明は嘆（たん）息（そく）した。

　誤った使い方をしなければ、妖を式神とするのは間違ったことではない。

　叢雲勘岦斉（むらくもかんりゆうさい）は、明らかにその方法を間違えている。

　そんな晴明邸を、いつものように冬真が訪ねてきた。

「――お前、いつから子守をするようになったんだ？」

　廂（ひさし）の下に立った冬真は瞠（どう）目（もく）した。

(ここにも勘違い男がいたか)

　晴明はどう説明しようかと思案していると、叶が口を開いた。

「僕、お師さまの弟子で叶といいます」

(だから、違うというに……！)

　晴明は叶の背を睨んだが、すっかりその気になった叶は舞うような足取りで、簀（すの）子（こ）縁（えん）に出て行った。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　 ◆

　急がねば。

　もうすぐあいつがやっくる。

　早く。

　早く。

　我が声を届けるのだ。

　すべての始まりを。

　そして、終わらせるために。

　なにゆえ、あのバケモノは目覚めてしまったのか。