半妖の陰陽師～鬼哭の声を聞け

第十九話 雑鬼のトモダチ

　ああ、なにゆえ。

　我がなにをしたというのか。

　なにゆえ、ここにいるのか。

　我が声を聞け。

　我が問いに答えよ。

　なにゆえ、我が死なねばならなかったその理（わ）由（け）を。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　◆

『ちょっと、汚（よご）さないでくれる？　やっと床（ゆか）を拭（ふ）き終わったところなんだから！』

　そう言ったのは、十（じゆう）二（に）天（てん）将（しよう）・太（たい）陰（いん）だろう。

『お前なぁ、人（じん）界（かい）に染まりすぎだぞ？　そもそも、掃（そう）除（じ）など他（ほか）のものがすればいいだろうが』

　答えのは、同じ十二天将・玄武か。

　どうやら太陰は、邸（やしき）の掃除をしてくれているらしい。だが――。

『その他の者がどこにいるのよ？　雑（ぞう）鬼（き）は当てにはならないし、誰かを呼んでくるなんてもっと無理だわ』

『だからってなぁ、それは天（お）将（れ）たちの仕事か？　太陰』

　二人の口論はかなり騒（そう）々（ぞう）しいもので、晴明は半眼で唸（うな）った。

「うるさい……」

『ほらごらんなさい。晴明が起きちゃったじゃない』

『俺の所為（せい）かよ』

　膨（ふく）れっ面（つら）となる玄武に、躯（からだ）を起こした晴明は、茵（しとね）の上で両腕を組んだ。

「いい加減にしろ！　さっきからごちゃごちゃと」

『晴明、まだ横になっていた方がいいわ。風邪（かぜ）ってどういうものかわからないけど、熱があるみたいしだし。それにあなたがそうなったのは、青龍の所為だもの』

「あいつがなにを？」

『昨夜の土（ど）砂（しや）降（ぶ）りのことよ』

　太陰に言われ、晴明は「ああ、あれか」と思い出した。

昨夜――、晴明は依頼されいた霊（れい）符（ふ）を届けに貴族の邸を訪れた。いつもなら依頼された霊符は晴明が明るいうちに届けるか、依頼主の舎（と）人（ねり）か雑（ざつ）色（しよく）が取りにくるのだが、妖（あやかし）が再び人を喰（く）うために出てくるかも知れぬと、外に出た。

　あいにく妖に遭（そう）遇（ぐう）することはなかったが、自（じ）邸（てい）に戻る途中で雨に祟（たた）られた。

　朝となり、いつものように陰陽寮に出（しゆつ）仕（し）したが、帰ってからの記憶がない。

　太陰曰く、晴明は彼女の前で倒れたらしい。

　昨夜の雨は、青龍が運んだ雨だったようだ。

　青龍としては妖（あやかし）を捜（さが）して飛んでいたのだろうが、妖とそれを使（し）役（えき）している人間に対しての怒りの感情が漏（も）れていたようだ。雷（らい）雲（うん）を招き、大量の雨まで呼んだ。

(しょうがない奴だな……)

　呆（あき）れる晴明だが、太陰は式神として、主に風邪を引かせた責任を感じたらしい。青龍の代わりに晴明の看（かん）病（びよう）をし、室（へや）の掃除をしていたようだ。

　なんとまぁ、律（りち）儀（ぎ）な天将である。十（じゆう）二（に）柱（はしら）、みなそうならいいのだが。

　玄武が嘆（なげ）いた。

『まったく、あいつの短気な性格のせいで、俺までずぶ濡れだ』

　昊（そら）を飛んでいた玄武も濡れたらしく、彼の衣からはポタリと水（すい）滴（てき）が落ちている。

『あなたはいいの！　体調は崩さないでしょ。ほらそこ、また濡れたじゃないの！』

　掃除用の布を手にした太陰は、玄武の足（あし）許（もと）にビシッと指を差しまた怒りだした。

　今になり、彼らを使（し）役（えき）したことを間違いだったのでは？　と自身に問いたい晴明である。

「――それで、例の男の所在は判明したのか？」

『それがさぁ、上手い具合に隠れてるんだな。これが』

『感心してどうするの！？　玄武。見つけたら、あんな奴、八（や）つ裂（ざ）きよ！』

　怒る太陰に、玄武の目が据（す）わった。

『いや……、それはやめておいたほうがいい』

　晴明も同意見だが、かの人物はそれほどの罪を犯した。

　依頼を受けて、呪（じゆ）詛（そ）を行う陰陽師は確かにいる。晴明は、人を害することになる呪詛の依頼は断っているが、それも陰陽師の仕事でもある。

　だが妖（あやかし）を使役し、その腹にいれてしまう行（こう）為（い）は、もう人のすることではない。それが赦（ゆる）せなかった。直接手を下していないにせよ、彼のしていることは人に仇（あだ）なす妖と同じ。

　なにゆえ――。

　喰（く）われて野（の）に打（う）ち捨（す）てられた骸（むくろ）の嘆（なげ）きが、晴明に聞こえる。

　以（ま）前（え）は朧（おぼろ）げなものであったために、気のせいとしてしまった声が、今ははっきりと聞こえるのだ。

　なにゆえ、我らは死なねばならぬのか――と。

　また何処（どこ）かで、誰かが妖に喰われたのだろうか。

　そこに、ここにいるのだと告げる青い華（はな）が咲いているのだろうか。

『晴明、横になった方がいいわ。本（ほん）調（ちよう）子（し）ではない今は、何をしても無理よ』

　太陰の言葉に、晴明は横になった。風邪によって体力を削（そ）がれた躯（からだ）は、忽（たちま）ち深い眠りに落ちていく。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　◇

　雨に祟られたモノが、ここにもいた。

　ぴっちゃぴっちゃっと水を跳（は）ねさせながら、彼は芋（いも）の葉（は）越（ご）しに昊（そら）を睨（にら）んだ。

『まったく、こっちは人間のように蓑（みの）なんかないんだぞ。俺たちにも気を使えよなっ』

　誰に対しての文句なのか、蝦（が）蟇（ま）とさほど大きさの変わらぬ雑（ぞう）鬼（き）は降る雨に不（ふ）貞（て）腐（くさ）れた。

　雨よけとした芋の葉は大きさもちょうど良く、茎（くき）も丈夫な太さで、彼がずぶ濡れになることはなかったが、この季節は雑鬼にとっても迷惑な時（じ）季（き）なのであった。

『それにあいつ、己（おい）等（ら）が濡れて邸に入ると床が濡れると煩（うるさ）いのなんの！　もう少し、同居相手に優（やさ）しくしたらいいものを』

　何（ど）処（こ）かの邸（やしき）に潜（もぐ）り込んだ彼は苛（いら）々（いら）の矛（ほこ）先（さき）を、現在棲み着いている邸の主に向けた。

　おそらく数日姿を見せなくても心配する家（や）主（ぬし）ではないが、そんな邸でも彼には居心地が良かった。

　朝には雨は上がり、外に出た雑鬼は人間の気配に振り向いた。

　気配は数人、やがて雑鬼の前に蹴（け）鞠（まり）が飛んできた。

　おそらくその蹴鞠を拾いに来たのだろう。長い黒髪を鬟（みずら）に結った直衣姿の少年が走ってきた。

　どうやら雑鬼は、貴族の邸に潜り込んだらしい。だが人がいても雑鬼は怖いとは思わない。寧（むし）ろ、人間の方が怖いと彼らを嫌う。と言ってもそれは彼らのようなものが視（み）える見（けん）鬼（き）の才（さい）を持った一部の人間だが。

「君、だぁれ？」

　――え……？

　雑鬼は、目（め）を瞠（みは）った。

『お前……己（おい）等（ら）が視えるのか？　言っておくが、己等は鬼だぞ』

「鬼なんだ。君、小さいんだね？」

　少年は屈（かが）んだ姿勢で、にっこりと笑った。

『わ、悪かったな、小さくて！　ほ、他の妖（あやかし）連（れん）中（ちゆう）に比べりゃあ迫力には欠けるが、怖くはないのか？』

「どうして？」

　少年のこてんと首を傾（かし）げ、雑鬼は焦（あせ）った。

　見鬼の才をもつ人間には何度か遭（そう）遇（ぐう）したことがあるが、悲鳴を上げられるのがほとんどだ。少年のように笑いかけてくれる人間は、一人もいなかった。

『ど、どうしてって、普通は忌（い）み嫌（きら）うもんだぞ。妖は人を襲うし、喰（く）うし……』

「君も人間を食べるの？」

『食べないが……』

「じゃ僕は、君の最初のトモダチだね？」

『トモ……ダチ……？』

　雑鬼は『トモダチ』の意味はわからない。だが、いい響きだ。

「僕の名前はね、〝キミヒト〟っていうんだ」

　少年はそう言って、優しく微笑んだ。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　◆◆◆

　文（ふ）月（づき）(※七月)も乞巧祭会（きこうさいえ）(※七夕の祭祀)を過ぎると、気温がさらに上がる。まもなく王都は蒼（そう）穹（きゆう）の下に置かれ、日（にち）輪（りん）の厳（きび）しさを受けることになるだろう。　

あれから――、人の骸（むくろ）が見つかったという話は聞こえてこなくなった。かの陰陽師が人を襲うことを諦（あきら）めたのならそれはそれでいいが、人を喰（く）らうことに慣れてしまった妖（あやかし）はそう簡単に諦（あきら）めはしないだろう。

　問題はそのどちらとも、気（け）配（はい）を探らせてくれないことだ。

　さすがの晴明も、六（ろく）壬（じん）式（しき）盤（ばん）を前に唸（うな）った。

　六壬式盤――、天（てん）穹（きゆう）の星々と十二支、方角に吉と凶、そして十二天将・十二柱の名が刻まれ、吉凶を占う占（せん）具（ぐ）。

　だが、問題の件に関しては、何度占っても答えは出ない。

『よぉ、晴明。風邪というやつは治（なお）ったのか？』

　視線を式盤から少し斜め上の床（ゆか）板（いた）に運ぶと、芋の葉を振り回している雑鬼がいた。

「……なんだ。戻ってきたのか」

　雑鬼も妖の一種で、人の家なら貴族の邸だろうと最低一匹は棲み着いている。ただ人を襲うことはなく、物を落としたり、邸の中を駆け回ったりするだけで特に害という害はないが、晴明邸の場合は放置していたためにかなり図々しくなってしまった。

『お前なぁ……、その性格直した方がいいぞ。トモダチ、いないだろ？』

「余（よ）計（けい）なお世話だ。それよりまだ居（い）座（すわ）るつもりか？」

　晴明としては彼らに出て行ってもらいたいのだが、そんな気はさらさらないようだ。そもそも、祓（はら）われておかしくはない陰陽師の邸に、居（い）着（つ）くというのもおかしいのだが。

『己等たちがいたほうが寂（さび）しくないだろ？　うんうん、己等ってなんて人間想いな優しい雑鬼なんだろ。やっぱりあれか？　人間で言う人（じん）徳（とく）ってやつか？　なぁ？　晴明』

　晴明は、半眼で嘆（たん）息（そく）した。

「……そのくだらん妄（もう）言（げん）は、あとどのくらい続くんだ？」

『酷（ひど）い奴（やつ）だな。トモダチだろ？』

　雑鬼の言葉に、晴明の思（し）考（こう）が停止した。

　妙な間が空く。

「……誰と？」

『ここに己等とお前以外、誰がいるっていうんだよ』

　聞いていて馬（ば）鹿（か）らしくなった晴明は、文（ぶん）台（だい）に向かうと、雑鬼に対し背を向けた。

　友達――、その言葉から遠ざかってどのくらい経（た）つのか。

　半（はん）妖（よう）である自分に友など出来はしないと、そのまま大人になった彼の脳（のう）裏（り）に、〝友〟として浮かんだのは藤（ふじ）原（はら）南（なん）家（け）の御（おん）曹（ぞう）司（し）・藤原冬真だけだった。

　自分から他人との距離を置いていた所（せ）為（い）もあるかも知れないが、人（ひと）付（づ）き合（あ）いの下（へ）手（た）さはそう簡単には改（かい）善（ぜん）はしない。ただ、雑鬼と友達になった覚えはない。断じて。

　晴明は「うん」と一人納得して、文台に霊（れい）符（ふ）用（よう）の料（りよう）紙（し）を広げた。

『それにさぁ、トモダチがまた出来たんだぜ？』

「それは良かったな。なら、そっちへ行け」

『あっちは広すぎるんだよ……。あの子（が）供（き）はいい奴みたいだけどさ』

どうやら雑鬼が潜り込んだ邸の子供は、見鬼の才があるらしい。

『そいつ、キミヒトっていうんだぜ』

「キミヒト……？」

料紙の上で筆をピタリと止めた晴明は、胡（う）乱（ろん）に眉を寄せた。

　何処かで、聞いた名前のような気がしたからだ。

　雑鬼曰く、その子供は以前に棲み着いていた中納言・三（さん）条（じよう）公（きみ）康（やす）邸（てい）の所にいた子供ぐらいだという。

　晴明は三条公康邸には、以前に霊符を届けに訪れたことがある。若君はあれから少し成長し、現在は十三歳ぐらいだろうか。だが、その若君の名は『キミヒト』ではない。

　晴明は記憶を辿（たど）るが、何処でその名を聞いたのか、このときは思い出すことはできなかった。

（――あ。思い出した……！）

　内裏――。

　帝への拝（はい）謁（えつ）のため、簀（すの）子（こ）縁（えん）を進んでいた晴明は思わず足を止めた。

　雑鬼が言っていた『キミヒト』の名、それがこの内裏にいた。

　晴明はまだ会ったことはないが、おそらく『彼』だ。

　式（しき）部（ぶ）宮（みや）皇（きみ）仁（ひと）親（しん）王（のう）――。

　弘徽殿の中宮・藤原瞳子を母とする、東宮の名前である。