第十七話 偽りの約束
かの姫にとって、それは初めての恋であった。
既に二十歳、
そんな姫が恋をした。突然送られてきた文に、心がときめいた。
相手の男はかなりの身分らしい。夢ではないかと思った。
しかし男は言った。妻にしたいと。
ゆえに――姫はその身を投げ出した。
だが、男が姫の前に通ったのはそれが最初で最後。
母は、お前は
そんな
妻にすると。
待っていてくれと。
ゆえに、姫は待った。何日が経ち、歳月が流れ、一年、二年……、姫はずっと待ち続けた。そして、その願いは
「我が背……、ようやく
愛しい男を前に、姫はそう微笑んだ。
◆
王都・
「――何故、お前がついてくる……?」
「いざという時のためさ。お前、こっちの方はまったくだろう?」
隣にいた男――冬真は、自分がいるのは当然とばかり、腰に差した剣を指さした。
「お前なぁ……、
「役に立つか立たないかは、その時になってみないとわからんだろうが」
晴明はやれやれと
晴明の
――急いだ方がいいかもしれない。
藤原有綱邸の門前に立った晴明は、そう思った。
この時点で、嫌な気が漂ってくるのがわかったからだ。
邸の
「よく……おいでになった。晴明どの。隣にいるのは……確か近衛府の……」
「左近衛中将・藤原冬真と申します」
「おお……、そうであった。いつもの姿ではなかったゆえわからなかった。許せ……」
有綱は何か言うたびに、深い息を吐く。
だが晴明は、主殿に通される間に気になっていたことがあった。
「式部小丞さま、女房どのの数が少なくありませんか?」
「そういやぁ……、俺の所より少ないな」
冬真が眉を寄せ、首を
そう、少なすぎるのだ。
この藤原家は
「そ、それは……」
有綱の視線が泳ぎ始め、何かに
「式部小丞さま……?」
「せ、晴明どの……、どうかなにを見ても、決して
「ご子息の惟規さまは、どちらに?」
「晴明どのっ、頼む! 誰にも言わぬと……。あの
有綱の本心が見えた瞬間だった。息子を助けてくれと
一人は
こんな
晴明と冬真はそんな有綱に背を向けて、主殿を辞した。
二男・
「女房どの、この香の薫りは?」
「……以前、お邸にいらした陰陽師が
「陰陽師……?」
「それから……その……」
やはり、問題の男はこの邸に来ていた。
女房に寄れば、惟規がおかしくなったのはそれからだという。
嫌な予感がした晴明である。
「せ、晴明! あれを見ろ!」
動揺する冬真の声に導かれて視線を送った晴明は、目を
軽く
◆◆◆
「うぁ……あ……、やめ……ろ……」
香が煙る室に、男のうめき声がある。
奥に
かの陰陽師は、香と一つ火を決して切らしてならないと女房に告げていったという。普通、陰陽師は、そんなことは言わない。
なぜなら一つ火は――。
「うわぁっ!」
晴明の少し後ろにいた冬真が、声を上げた。
何かと見れば、彼の
「――だから、ついてくるなと言ったのだ……」
だがお陰で、明日は
しかし、これでわかった。なぜこの邸に女房が少ないのか、恐らく何者かが手を下した。それは御帳台にいるであろう惟規か、それとも室に漂う妖気の持ち主か。なによりも、女房のみに何が起きたか、有綱は知っていることだ。惟規が何らかの形で関わったのだろう。それから先は想像したくないが、その惟規本人の様子も変である。
御帳台の中にいるのは間違いはないが、
「――だぁれ? そこにいるのは」
御帳台から、若い女の声がした。
「あなたは、誰か?」
「わたくしは――、惟規さまの
「妻……?」
有綱は惟規に妻がいるとは言わなかった。他の人間もだ。
「ええ。惟規さまがお約束してくださいましたの。
「あ……ぁ、くる……な……」
晴明は、冬真に向かって叫んだ。
「冬真!
「香炉?」
香炉は二つ。
冬真は晴明に言われるまま、剣を鞘から抜く。
だが――。
「くっ……」
「冬真!?」
冬真の呻きに晴明が振り向くと、叩き割ろうしていた冬真の刀剣に、黒いモノが巻き付いていた。
『邪魔ヲ、スルナ……!』
「うあぁぁぁ……っ!!」
惟規が絶叫する。
晴明は
「オン、マカビジャニヤ、ジャニヤノウビイブゥソワカ」
浮かんだ
「
晴明の
「晴明、やったか……!」
冬真が隣に立った。
「いや、まだだ……」
晴明は、御帳台を
そう終わってはいない。おそらくここからが、本番だろう。
「晴明、一緒にいる女は誰なんだろうな?」
「この世のモノではないことは間違いないな」
焚かれている香は死者を呼び出すという
「どうして? どうして邪魔をするの? わたくしは惟規さまに
「――彼女たちはなにゆえ?」
妻と名乗る女に、晴明は
「惟規さまに近づいたからですわ。妻であるわたくしがいるのに、
おそらく、事実は違うのだろう。
晴明がなかなか口を割らぬ
陰陽師と名乗る男がやって来たのは、それから数日経ってからのことだったらしい。ご子息の
しかし惟規の状態は、さらに悪化した。もう自分では隠せなくなった有綱は晴明を頼った、そんなところだろう。お陰で事態は、最悪である。
「失礼する!」
晴明は、御帳台の
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