第十二話 人が鬼となるとき
「あと、もう
「もう、十分なのでは……? お父さま」
父と呼ぶその人物の前で、娘は
「なにをいう。せっかくの
父親の言葉に、娘は何も言えなかった。
権力というものに取り
――わたくしは、なにもしてはいないわ。
彼女は
これまでそうだった。お前のため――と言われて、彼女は見ない振りをしてきた。彼女に
だがはたして、自分は本当になにも悪くはないのか。
彼女の脳裏に、ある男の顔が浮かぶ。
その男は、口を開くことはなかったが、彼の目がなにもかも見透かしているようで不安になる。
「――申し上げます」
我に返った彼女は、ゆっくりと視線を運ぶ。女房の一人が
「何か?
「安倍晴明さまが、お越しになっております」
「陰陽師の……?」
なぜここに、陰陽師がくるのか。
手にする檜扇が、
いや、大丈夫。いつものように微笑んでいればいい。そういつものように。
彼女はそう己に言い聞かせ、顔を上げた。
◆
なにゆえ、わからぬ。
なにゆえ、届かぬ。
なんどもなんども、よんだのに。
だが、わかった。
わが声が聞こえないのは、おまえがあのモノたちと同じだからだ。
ゆえに、聞こえぬ。
ゆえに、わからぬ。
ちがうというなら、答えてみよ。
この心が奴らに
風を入れるために上げた蔀のそこからは、
『どうかしたか?』
晴明が座る
「いま、あそこに何かいたような気がしたんだが……」
『そんなもの、いなかったぞ。
雑鬼の言葉に晴明が
『あぶねぇなぁ。髪が
頭を
「次はその口に
雑鬼は飛び上がりそそくさと
晴明は最近、こうした気配を感じることがある。
黙って見つめられているというのは、どうもいい気分ではない。用があるなら出てくればいいものを、無言のまま消えるのは
お陰で依頼された
黒々とした墨の文字がぐにゃり曲がっている。それはまるで、池で見た
こうなると、仕事どころではなくなる。
心を静めて書かねば霊符に意味はない。
だんだん近づいてくるそれは、いつもなら迷惑この上ないのだが――。
「――ちょうどいいところにきたな? 冬真」
◆◆◆
さらさらと風が吹く。
「――
冬真が切り出した話題に、晴明は口に運んだ
形代というのは
「……やはりな」
「なんだ、知っていたのか? 晴明」
「まぁな」
内裏で
突然の陰陽師の
しかし晴明が昭陽舎を訪ねたのは自身の目的の他に、帝の依頼も受けてのことだ。
梨壺の更衣は、中宮に次ぐ今上帝ご
だが幽鬼騒ぎが起きてから、梨壺の更衣の顔色が優れないという。帝はそれを気にしたのだ。
「――恐れながら、この
「え……」
梨壺の更衣から、顔の半分を覆っていた檜扇が落ちた。
「気の流れは心身を病みます。これは
「わたくしが、呪詛をされている……と?」
「ご安心を。すぐに呪は返します。もう二度と愚かなことを考えぬよう、少し荒っぽい呪詛返しとなりますが」
「そこまでする必要はございませんわ。このとおり、害はありませんませもの」
「それでは、かの者は消えてくれません」
「かの者……?」
「本物の幽鬼ですよ。梨壺の更衣さま」
梨壺の更衣は、びくっと
彼女の視線は、晴明が退室するまで絡むことはなかった。
だが晴明には、それでもよかった。陰陽師としての勤めを果たせばそれで――。
「――しかし、昭陽舎に呪詛を仕掛けたのは何者なんだろうな? 晴明」
晴明の酌を受けながら、冬真が胡乱に眉を寄せた。
晴明は、それは誰かとは口に出すことはなかった。陰陽師は
恐らくそれは、晴明の前に現れた
聞けばかの人物は、
生きていれば、将来は
ゆえに、晴明はその依頼を受けた。
冬真と二人で昭陽舎に駆けつけた際、晴明が目撃した人影。あの人物はなぜあの場にいたのか。
昭陽舎に不穏な気が漂っているというと、梨壺の
視線を
呪詛返しをしたとなると、その顔は急に青ざめた。呪詛された側が、呪詛返しで青ざめる――この違和感に、呪詛の形代は本来ならば違う場所に置かれるべきものだったのではないかと。まさか、それが呪詛する側におかれた。
恐らく呪詛の依頼主は、間違えたのだ。
その去って行く姿を更衣は幽鬼と勘違いし、晴明に後ろ姿を見られた。
何ともお
帝はこの件に関しては、晴明が多く語らなかったため追求することなかった。帝としては、藤壺の
「これで、内裏が静かになるといいが……」
(それは無理だな……)
内裏もまた、
権力に群がる者たちは、これからもあの手この手で
以前、冬真が言った。
――俺は、人間のほうが怖い。
それら負の念が闇をつくり、
人はいつなんどき、
かくいう晴明も、
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