第三話 若菖蒲の君
その夜――、
世の男たちは愛しの姫のもとに通うそうだが、帝ともなるとそうはいかない。一度やってみたいと思うものの、内裏の外に
彼が
だが、梨壺の更衣が暮らす
庭に青い
だが今上は、声を上げることはしなかった。自分の前に現れた火霊は
一度は愛し、東宮となる男子を産んでくれたその女人を忘れることはできようか。
「出たわね? この
「え……」
なにゆえこの声は、背後から聞こえてくるのだろう。
今上が振り向くと、
「――ねぇ、聞いた? また幽鬼が出たんですって」
内裏・
そんな彼女から少し離れた先で、書の片付けをしていた
「やはり、
彼女たちは藤内侍の表情に気づいていないのか、話をやめる気配はない。
(そろそろ、
内裏に
なにしろ、幽鬼が目撃されるのが現在は誰もいない
それに関白・
「まさか、先の――」
「いい加減になさいっ!」
どうやら彼女たちは、
藤内侍の怒りが、ついに破裂した。
「藤内侍さま……っ」
「あなたがたは、ここを何処だとお思い? 恐れ多くも、
温明殿の南側には、その天照大神のご神体・
さらさらと
「
そう藤内侍に呼ばれて、菖蒲はもはや
冷ややかに見つめられ、何を言われるのか
若菖蒲の君とは、菖蒲の周りにいる者たちがつけた名で、勝ち気な姫という意味合いが強いらしく、菖蒲としては気に入らないのだが。
藤内侍が若菖蒲の君と呼んでくるときは
「……なにか? 藤内侍さま」
「あなた、かの安倍晴明どのと
ぱらりと
(ああ、そっち?)
これまで以上の雷を落とされ、長い説教がくどくどと始まるのかと覚悟したが、どうやや違うらしい。
「昵懇というよりは……、
「ならば、頼まれていただけないかしら? その従兄どのに伝えて」
「はぁ……」
気の抜けた返事をした、菖蒲であった。
◆
『喰ッテヤル……、喰ッテヤル』
ぎょろりとした大きな目に、口から
「
と言っても、
着るものも
『人間……、喰ウ』
どうやら目の前の鬼には、こちらの事情など関係ないようである。
晴明は
「オン、サンマンダバサラダン、センダンマカロシャダソハタヤ、ウンタラタカンマン」
「
呪符に刻まれる
『ギャ……!』
晴明の手を離れた呪符が鬼の動きを止め、黒い
門の前に、
「お前なぁ……、人の都合というものを考えたことはあるのか? 冬真」
常識がある者なら、
なにしろ、自邸に帰っても晴明の仕事あるのだ。依頼された霊符、星の運行を読んで吉凶を判じ、さらには関白・頼房から言われた幽鬼の件と盛りだくさんだ。
「危うく、首が飛びかけたらしい」
「は……?」
◆◆◆
ああ、なにゆえに――。
待てど暮らせど、誰も答えぬ。
聞け。聞け。
我が嘆きを聞け。
早く、我が問いに答えよ。
さぁ――……と、
またも聞こえてきた『それ』は、いったいなんなのか。風に混じり、何か別の音がするのだがはっきりしない。
目の前の男には、聞こえていなさそうだが。
晴明は冬真を
冬真の話に寄れば、昨夜またも内裏に幽鬼が出たという。
「それがどうして、誰かの首が飛びかけたことになる?」
「菖蒲どのが……?」
藤原菖蒲は
「あのおてんば、
「確かに……、首がとぶな」
菖蒲は〝若菖蒲の君〟とも呼ばれ、
「だろう? 主上は〝夜中に
「まさか、ただ菖蒲どのの
「今回は主上が火霊をご覧になったらしい。菖蒲の所(内侍所)では、幽鬼の正体は藤壺の女御さまではないかと噂になっているそうだ」
「確か内侍どのは、関白さまの
内侍は、帝の声がかかってもおかしくはない女官の最高位である。
しかも
「既に関白さまからその件は言われている」
「そうだが、彼女にすればかの女御の死因が、北家の呪詛だったなんてことになると内裏からはいられなくなる。関白さまは居座るだろうが」
早い話が、晴明に何とかしろということらしい。
関白といい、藤内侍といい、北家の安倍晴明を何と思っているのか。
晴明は、冬真を
「お前も、藤原だったな」
「あの
冬真の目が
冬真の言う古狸が誰のことを指しているのか、いうまでもない。
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