終章 1
雲の形のテーブルに、A0サイズの紙を広げる。新しい町の設計図だ。
町の入り口は商業施設が集まる場所だ。日帰り温泉から広がるように新風とセレクトショップ、薪釜のパン屋、手打ちそば屋、地鶏玉子のレストランが並ぶ。それらの店は、大きな広場を囲んでいる。広場は多面体のドームで、硝子製の温室のようだ。太陽光が差し込んで、冬でも雨の日でも屋外にいるように外気を感じて過ごすことが出来る。
広場の中央には、高いツリーハウスがあり、その周りを何本もの太い柱で支えられた保護ネットが覆っている。ネットに下にはアスレチック遊具が並んでいて、その幾つはかはネット上と地上を往き来する通路になっている。階段やはしご、ポールや滑り台。様々な仕掛けを通って上下に移動し、トランポリンのようなネットで跳ね回る。そんな風に子供達はダイナミックに全身を使って遊ぶだろう。
遊具の周りにはベンチやテーブル席が置いてある。木製のキッチンとキャビネットもある。勿論セルフサービスだが、珈琲や紅茶などが用意されている。子供が伸び伸びと遊ぶ姿を眺めながら、親たちがくつろいで過ごせるように。
商業施設の奥には、体育館のような建物がある。ホールでは音楽や絵画や各種スポーツの教室を開くことが出来る。唐松の天井と壁はそれ自体が楽器であるように音を反響させるから、ミニコンサートを開いても良い。廊下は町内のアーティストが絵画やクラフトを展示するギャラリーだ。ここは文化を発信し、感性を育てる場所だ。
ホールの奥のスペースには幾つものテーブルが並び、数人が作業できるオープンキッチンがある。夜、ここは食堂になる。はねもの野菜やスーパーの売れ残り食材を使い、安価で定食を提供する。誰でも利用できる子ども食堂をイメージしている。家庭の事情で日々の食事に窮している人、親が仕事で一人で食事を取らなければならない子供、独居の高齢者、「疲れたから今日は料理をしたくない!」という主婦とその家族。「誰かに料理を振る舞いたいけれど、作る相手がいない」という人は、調理係になってくれたらいい。人との繋がりを欲した人々が、緩く繋がりながら心と体の栄養を蓄える場所だ。
食堂の二階は個室が三室ある。簡易ベッドを備えたその部屋は、何かから避難して心と体を休める場所だ。避難対象は何でも良い。DVのような深刻なものでも、家族関係への疲弊でも、夫婦げんかでも。長期の利用は出来ないが、本当に深刻な問題を抱えている人がやってくれば、行政などの専門機関に引き継ぐ。
多目的ホールの隣には診療所と訪問看護ステーションといった医療施設と、保育園や放課後に小学生を預かるプレイハウスを置く。
これらの人々が集まる場所と個人宅の居住地を隔てるように、町の中心には農園が広がる。町内で活躍する福祉事業所がそこを活用したいと申し出てくれている。
そこは精神疾患を持つ人が働く、農業を主体としたA型の福祉事業所だ。利用者は事業所のスタッフに指導を受けながら野菜を育て、最低賃金以上の給料を受け取る。
利用者が一人前の農業家として働くには、仕事内容をかみ砕き、丁寧かつ繰り返し指導する必要がある。その指導者としてうってつけなのが、認知症を患い止む無く引退した高齢の農業家だ。
認知症のため記憶力が悪くなると、同じ事を繰り返し話すようになる。この特性を指導力に活かして貰うのだ。指導内容は慣れ親しんだ農業経験であり、高齢者達の誉れだ。何の苦もなく、何度も丁寧に利用者達に指導してくれる。
病気のために仕事の効率が悪いとされ自信をなくした利用者は、丁寧に育てて貰うことで立派な農業家に成長する。指導者達は再び役割を得ることで活力を取り戻す。
実に素晴しいシステムを構築している福祉事業所なのだ。
この笑顔溢れる農園の奥には、防風林に寄り添うように住宅が並ぶ。一区画は百坪の広々とした住宅街だ。ここにも工夫が施されている。
通常の住宅街はみんな肩を並べるように、土地に対して同じ場所に同じ方向を向いた家を建てる。だがここの住宅街は、宅地のどの場所に住居を建てるのか、施工主が自由に選択出来る。お陰で眺望が開け、住宅街の空間が一層広く感じられる。
美葉の説明に珍しく保志が満足気に笑む。その隣で、リゾート開発会社社長の三上が眼鏡の奥の目を細める。四十台前半の、女社長だ。
「この町には、何というか、美葉さんの『願い』のようなものを感じます。率直に伺いますが、あなたが込めた願いとは、どのようなものでしょうか?」
銀縁眼鏡がよく似合う生真面目な口調に、美葉は背をしゃんと伸ばした。
「私の周りには、いつの間にか個性豊かな人々が集まっていました。みんなどこか生きにくさを抱えています。それでも今、真っ直ぐに前を見つめて生きています。でも、今に至るまでには紆余曲折あり、中には辛い思いをした人もいます。そしてこれから生きて行くに当たって、色んな事が待ち受けていると思います。でも、みんながお互いに手を繋いで、肩の荷物を持ち合って生きていけば、きっと何とかなる。そう、気付いたんです。ある、嵐の日に」
猛吹雪を思い出したのか、保志がひゅっと唇をすぼめた。
「人と人が繋がる場所があって、一人で膝を抱える場所があって、そのどちらも安心できる場所であれば、人は元気でいられる。そんな場所がある町を、創りたいと思います」
「良いと思います」
三上が頷いた。
「私もリゾートは単なる遊びの場では無く、生きるための英気を養う場所にしたいと願っています。美葉さんの想いに、全面的に賛同します」
「ほな、スポンサー契約成立ということでよろしいな!」
保志が身を乗り出す。三上は、目をすっと細めた。銀縁眼鏡の内側が、きりりと引きしまる。
「……もうかりまっか?」
意外な言葉に、美葉はぽかんと口を開けた。
「勿論でんがなっ!」
ガハハ、と保志が笑った。
美葉も思わず笑ってしまう。
この町の片隅に正人と美葉は家を建て、隣に二人の仕事場を造る。悠人の一家と佳音達も、同じ町に住むことになるだろう。
ふと、三上が笑みを消した。
「ところで、町の一番奥にセレモニーホールが在りますが、ここは冠婚葬祭を執り行う施設だとお見受けします。もしかして特定の宗教法人を招く予定ですか?」
美葉は首を横に振る。
「冠婚葬祭でも、何かの祝い事でも法事でも、何にでも使えれば良いと思います。特定の宗教法人は招きません。結婚式は神父さん、家を建てるときは神主さん、お葬式はお坊さん、苦しいときは何か分からないけどとにかく神様。そんなフレキシブルは宗教観が、日本人らしいと思うんです。……でも、鐘を置きたいと思っています」
「鐘……?」
三上が首を傾ける。美葉は彼女に向かって大きく、ゆっくりと頷いた。
「何かの折に、鐘を鳴らしたいと思います。例えば当別町では、農家の人に時間を教えるため、午前七時と午後六時に『恋は水色』が流れるんですけど、そんな感じで……」
「それやったら、人が生まれた時と、死んだ時や」
腕を胸の前でがっしりと組み、保志が言う。
「生まれてきた命を迎えて、死んでいく命を見送る鐘や」
産まれた命を 鐘の音が迎え
町が支え 町を支え
育ち 育み
守り 守られ
旅立つ命を 鐘の音が見送る
いつか見た詩編を思い出す。
「そうだね」
美葉は目を閉じ、鐘の音が響く空に思いを馳せた。
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