光を灯そう
嘗て経験したことの無い吹雪が身体を覆う。空から振る豪雪に加え、風で舞い上がる雪が顔を突き刺し、正人は目を開けていられない。ただでさえ一歩先に何があるのか定かではないのに。地を這うような風の音が余計に方向感覚を奪っていく。先ほど、「隣なのに」と笑ったが、毎日往き来していた場所がどこにあるのか分からなくなる。
「こっちだ」
和夫が先頭に立って歩く。美葉が腕を絡ませて来た。その腕に手を添え、和夫の背中を見失わないようについていく。和夫の歩みは、綱の上を行くように慎重だった。三十秒もあれば辿り着ける樹々の玄関が、何キロメートルも離れた場所のように感じた。悠人の家は歩いて二十分ほど先にある。幸い一本道だが、この中を桃花は一人で歩いてこられるだろうかと不安になる。つま先立ちになり、ずっと先に視線を移す。そこにはただ、真っ白い豪風が吹き荒れるだけであった。
やはり、迎えに行こうか。
浮んだ言葉を察知したのか、腕に絡む美葉の手が正人を強く引いた。思わず視線を向けると、咎めるように口を結んで睨んでいる。
「まずは部屋を暖める」
手をさすりながら和夫が中へ入っていく。体育館の灯りは淡く、フローリングの床は氷のように冷たい。リビングスペースに置いてある大きなガスストーブに火を灯す。ボウッと音を立てるオレンジの炎に、正人はほっと息を付いた。三人は自然とストーブを囲い、炎に手を翳した。手の平を暖めるぬくもりは、体と心の強ばりを僅かにほどいた。
「桃ちゃん、ちゃんと辿り着けるでしょうか……」
その綻びから、不安がこぼれ落ちた。美葉が目を伏せる。気休めの言葉も言わないが、現実的な観測も口にしない。たった三十秒の場所に辿り着くのがこんなにも困難なのだ。交差点を二度渡り、ここまで歩いて辿り着き、樹々の建物を見付けることがどれだけ難しい事なのか、想像しなくても分かる。
「体育館の灯りがもっと強ければな……」
和夫が天井を見上げた。体育館の電灯は、建物が古いせいもあり暗い。幾つか切れたたままになっている蛍光灯もある。吹き抜けの天井なので交換が難しいのだ。
吹雪の中車を運転していると、看板やコンビニの灯りに出会い安堵する。自分が今いる位置を再確認できるだけではなく、そこにある人の気配が、くじけそうになる心に力を与えてくれるのだ。そんな光が樹々にあればいいのに。
「あ……」
美葉が小さく声を上げた。身を翻し、男子トイレと女子トイレの間にある倉庫へ走る。両開きの扉を開けると真っ暗な闇が広がっていた。美葉が電灯のスイッチを入れると一気にそこにある物が姿を現す。マットや跳び箱、平均台。嘗て体育の授業で使われた物品が並んでいた。美葉はその奥を指さし、声を上げた。
「あった! ピンスポット! サイドスポットもある!」
「ピンスポ……?」
正人の鸚鵡返しに、美葉は得意げな笑みを返した。
「舞台で主役に当てるライトのことだよ。直線的な強い光は、遠くまで届くはず。サイドスポットは少し光が弱いけど、色んな色で照らしたら何か特別なものだと遠くからでも分かるわ」
「……つまり……」
正人は美葉の意図することを理解し、目を見開いた。正人が言葉にする前に、美葉がはじけるような声で言う。
「灯台みたいに辺りを照らそう。方向が分かれば、そこへ向かって少しずつでも歩けると思う」
「音もあればなぁ……」
入り口で和夫がそう呟き、くるりと向きを変えて歩き出した。いつもの歩みに比べて倍ほど速い。工房へ続くドアを開けて尚早足で進み、突き当たりの舞台に上がり、緞帳の奥へ姿を消す。追いついた正人が緞帳に手を添えたとき、舞台に明かりが灯った。
舞台の横には放送室がある。和夫は淀みない動作でスピーカーを舞台側に押しだした。
「アンプと、音源をならすデッキ……。カセットテープしか使えんのか、年代物だな……」
和夫が銀色の機械を手で払うと、埃が舞った。美葉が少し顔をしかめてから、興味深そうにその機械を覗く。
「お父さん、詳しいね」
「一応、元放送部だからな。と言っても、俺が小学生の時は拡声器だった。元放送部だからと、祭りの時は放送機材担当を押し付けられたのさ。だから、ここにあるもんは大体把握してる。……カセットテープ、カセットテープ。ああ、あった」
のそのそと壁際の棚を漁り、段ボール箱を探し当て、抱えて戻ってくる。
『夏祭り用』と、布テープにマジックで書いてあった。
その一つをしげしげと翳し、何か思い出したように大きく瞬きをした。デッキに入れ、再生のスイッチを押す。ざらざらとした音が数秒流れ、割れた音が聞き覚えのある音階を奏で始めた。
その歌声に、正人と美葉は思わず視線を合わせた。
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