俺たちを雇ってください
退院してきた聡を見て、佳音は思わず息を飲んだ。
覚悟はしていたが、想像以上に痩せていた。背が高く、筋肉質の身体は悠然とそびえる山のようだと思っていた。だが、不必要なものどころか筋肉までそげ落ちた身体は薄く、手足は針金のようだ。
錬は父に背の高さだけは似たものの、どんなに食べても肉が付かない。余り似ていない親子だと思っていたが、体つきが似てくると顔まで似て見える。
痩せてはいたが、聡の表情には力があった。
「じいじ!」
ようやく会うことが出来、喜びを隠しきれない大地は聡の姿を見るなり抱きついた。いつもは抱き上げるのだがその力が無いらしく、聡は頭をくしゃくしゃと撫でた。
雪は止んでいたが、強い風が雪を巻き上げている。錬の実家に先に入り、部屋を暖め、テーブルに食事を並べた。膵臓癌の手術後だから、消化の悪いものや脂質の多いものは避けなければならない。そうすると、どうしても地味な料理になる。軟らかく煮た人参とほうれん草を鶏胸肉で巻いたり、味噌漬けにした豆腐をスライスしてトマトを重ねたりと華やかになるよう工夫した。
聡の癌は幸い切除可能なIb期であったが、手術の前後に抗癌剤による補助療法が必要だった。今回の退院は術前の抗癌剤治療と手術を終えての退院で、体力が回復してから術後の補助療法を受ける事になっている。この宴は、辛い治療に耐えた事への労いと、次に待つ抗癌剤治療に向けて英気を養って欲しいという、二つの想いが込められている。
「これは美味そうだ!」
「佳音ちゃんの料理の腕、どんどん磨きがかかるわね」
聡と藤乃が明るい声で言い、食卓につく。佳音は微笑んでそれを見守り、自分の手をそっと握り合わせた。
樹々に立ち寄って、美葉と正人に今日の決意を伝えた。二人は東京で大きな山を乗り越え、帰りに美葉が流産をすると言う衝撃的な時間を過ごしたばかりなのに、両手を握って「大丈夫」と力強く言ってくれた。
聡は水、大地はオレンジジュース、その他はウーロン茶で乾杯をした。酒を口にしていないのに聡は上機嫌で、入院中の珍事を面白おかしく披露した。上品で美人な看護師が夜勤帯に大きなくしゃみをし、その声が病棟中に響き渡った話や、研修医の腕が悪く点滴の翼状針を刺すのに二度も失敗し、次失敗したら承知しないとプレッシャーを掛けたら手が震え、見かねたベテラン看護師が澄ました顔で代わりに針を刺した事など。
聡の話に藤乃も佳音も錬も笑い、大地は普段と違う料理に夢中になっていた。
話が落ち着き場が和んだ時、錬が佳音をチラリと見た。佳音は、聡と藤乃に悟られないように頷いた。
錬が、姿勢を正す。
「あの、お願いがあります」
ピーマンにハッシュポテトを詰めたものを頬張る大地に視線を注いでいた聡と藤乃が、いつもと違う声音の錬に訝しげな視線を向けた。錬は緊張した面持ちでその視線を受け止めた。
「俺と佳音を、栄田農機で雇ってください」
錬が頭を下げる。二人は、外国の言葉で話しかけられたような顔をしてから、その事実を確認し合うように顔を合わせた。
「今更ですけど、お父さんの仕事を継げるように、お母さんの仕事を継げるように、私達に指導して頂けませんでしょうか」
佳音も頭を下げた。
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