憑依型の役者

 自分は斜に構え、一定の距離を保って世界を見ている。だから、そんなに感情を動かすことはない。


 陽汰はそう、思っていた。

 しかし台本を読んでいて、自分の内側に激しい情念が隠れていたと気付き、驚いた。


 愛する人を、無残な形で失った絶望と怒り。復讐を唯一の支えに行動を起こす。亡き恋人を思いながら、儚き姫に心を奪われる戸惑い。その姫が恋人を喰らったと知ったときの驚きと憎悪。姫がさらなる大きな悪に操られていると知った安堵と悲哀。全ての元凶である魔王へ不倶戴天の念を抱き戦いを挑む。


 激情に次ぐ激情に疲れ果ててしまうのだが、その感情を保存し、必要なときに必要な分だけ取り出して再生しなければならない。


 演じるってなんてエネルギーのいる事なんだろうと、陽汰は思う。


 撮影は順調に進んでいる。貧しい村の貧しい青年の衣装に身を包み、メイクをし、長髪を高い位置で結んだカツラを身につければ、野々村陽汰は影を潜める。


***


「はい、カット! カット! ……ストップ! 誰か止めて!!」


 思考の隅に声が響き、両腕を掴まれた事に気付く。陽汰の意識が現実に引き戻され、目の前にいる壮年の男の表情に驚く。まるで怪物に出会ったように蒼白になり、目を見開き、唇の端に涎を垂らしている。彼は腰を抜かしたように地面に尻をつけ、ガクガクと震えていた。陽汰はTシャツ姿のスタッフ二人に押さえつけられていた。


 魔王と戦い、倒すシーンを撮影していた。相手は大御所俳優のアクションシーンを担当しているスタントマンだ。陽汰は自分が「やりすぎた」という事にやっと気付く。


「本気で、殺されると思った……」


 スタントマンは苦笑いを浮かべて立ち上がる。陽汰は謝罪の意を込めてぺこりと頭を下げた。役にのめり込みすぎて我を忘れてしまうことがある。相手を怪我させる前に止めて貰えて良かったと、肩を竦めた。


 スタジオの壁際に簡易のベンチがあり、陽汰は座ってペットボトルの水を飲んだ。身体から力が抜ける。


「きゃー! ひなたん格好良かったぁ!」


 加山がやって来て、陽汰の隣に座る。きちんとくっつけた両膝を左側に流し、両手を組んで右頬に当てている。思わず溜息が出た。


「何の溜息!?」

 案の定簡単に気付かれてキッと睨まれる。別に、と陽汰は首を横に振った。


「目覚めたわねー。天才俳優野々村陽汰」


 思わぬ言葉にギョッとして水を吹きそうになる。


「憑依型の役者よね、ひなたんは。これからどんどん色んな役に挑戦しなさい。経験を積めば積むほど深みが増して、良い役者になるわ」

「……俺、ミュージシャンなんで」

「いいじゃん、両立すれば」


 ぶんぶんぶんと陽汰は首を横に振った。


「第一、ちっせーし」

 平均的な女子よりも頭一つ分小さい。こんな役者有りかよ。


「有りよ。大有り」

 人の心の声を読むなと、陽汰は加山を睨む。加山はうっとりとした視線を空に向ける。


「ここまでちっちゃいと、強烈な個性よ。背の高い俳優は格好いいけど、最近じゃみーんな高身長。中途半端に背が低けりゃ背の高い女優から嫌がられるけど、ここまでちっちゃけりゃそういう気も遣わなくていいしね」


 ちっちゃいちっちゃい言うな。陽汰は口をへの字に曲げた。


「ひなたんは、どんな役にも入り込んで演じる役者。のえるはその反対ね。どんな役でも、のえるの色に染めてしまう。……これはこれで、良い役者」


 膝の上に肘をつき、加山はにやりと笑んだ。その視線の先に、監督と言葉を交わすのえるがいた。


 二人の間には親しみなど欠片もない。監督と女優が言葉を交わしている風景にしか見えない。


『未だに何も、言ってこないんだよね』

 昨日ものえるが呟いていた。その顔は、見捨てられた子供みたいに寂しげだった。


『お父さんをやって欲しいわけじゃない。お母さんの夫をちゃんとやってくんないかな』


 酒に酔ってしか本音を言えないのえるに、酒に酔っても何も言えない自分が歯がゆい。のえるはアル中の母親に羽交い締めにされて苦しいんだと思う。親が子供にぶら下がって、前に進もうとするのを邪魔するなんて、間違っている。離婚していないのならば、旦那が面倒を見るべきだ。


 このままでは、何一つ進展がないまま撮影が終わってしまう。のえるが自分からどうにかしようと動くことは無いような気がする。のえるを守る為に、自分が何とかしなければ。


 そんなことを考えたら、喉が引きつっていき、声が出なくなる。

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