第3話
――午後十時。
現在悟円はベッドの上に横たわっていた。隣を見れば、デジャブかなと思う光景が広がっている。簡単に言えば、琴乃が悟円の手を握りながら幸せそうに眠っているのだ。
耳を澄ませばどこからか両親の話し声らしきものが微かに聞こえてくるので、まだ彼らは起きているのだろう。夫婦で晩酌でも楽しんでいるのかもしれない。
悟円はゆっくり上半身を起こして、視線の先にあるテーブルの上を見る。そこには家族が用意してくれたプレゼントが置いてあった。
一つは可愛らしい封筒に入った手紙と絵本。これは琴乃からのもので、自筆で書いた手紙と小遣いで買ったという絵本だ。絵本を心から楽しめる精神年齢ではないが、それでも嬉しさだけは一入である。
そして両親からは最近流行っているアニメの主人公が所持する刀の玩具をもらった。これも気持ちは嬉しいが、さすがに振り回して遊ぶのはちょっと恥ずかしい。
(まあ、五歳なんだからこれが普通なんだろうけど)
大人としては気恥ずかしいものがあるが、今日みたいに誕生日を祝ってもらったことがなかった悟円は、夕食時にパーティを開いてもらったことを思い出し、自然と笑みが零れてしまう。
(いいもんだな、家族ってのは)
初めて心に温もりを感じる家族という繋がりに、理不尽な死を迎えてしまったことなど忘れていた。いや、生まれ変わって良かったとさえ思っている。
ただ思うことはある。それは前の人生でも、自分がもっと積極的に行動し親同士を繋ぎ合わせることも可能だったのではないかと。それはもう過ぎ去ってしまったことではあるけれど、だからこそ今度はこの絆を守っていきたいと心の底から思えた。
「んぅ……ごっくん……おめでほー……」
不意に琴乃から寝言が聞こえてきた。そんな彼女を見て悟円は微笑む。
(それにどうやら僕が生きてた前の世界と似てるみたいだし、平和なとこで良かった)
確かに剣と魔法の世界も興味はあったが、前の日本のような平和な国に生まれ落ちたのも考えてみれば良かった。戦争とか盗賊とかモンスターとか、そういう理不尽な暴力で家族が奪われるようなことはほとんどないだろうから。
(はは、僕が得た戦闘に関する知識も活躍の場なんてないだろうな)
もしそういう野蛮な世界に生まれた時のことを想定しての転生特典ではあったが、別に平和な世界でも通じる知識もあるので困ってはいない。むしろこの前世の記憶だけでも良かったとさえ今は感じている。
(とはいっても、せっかく得た知識だし、いろいろ試してはみたいな。明日からいろいろやってみるかなぁ)
――翌日。
本日は月曜日であり、学生の多くはまた長い平日が繰り返されると憂鬱になるだろう。それは琴乃も同じようで、ランドセルを背負って玄関で靴を履きながら「あーめんどくさいなー」とぼやいている。
悟円も通っている幼稚園があるので、父と姉を見送った後に、母とともに向かう予定だ。
ちなみに母親は専業主婦ではなく、こう見えて英語がペラペラであり翻訳の仕事を家のパソコンで行っている。
前世から英語が苦手だった悟円としては、ただただ凄いという評価しかないが、実は喋ろうと思えば喋ることができる。そう、この人生では、だ。まあ喋ることができるのは英語だけではないが。
「じゃ、そろそろ行こっか、ごーちゃん」
にこやかな笑顔を浮かべる結乃と手を繋ぎながら家を出る。途中出会う近所のおばさんたちに元気よく挨拶する。家族の印象を悪くしないためにも、ご近所付き合いはしっかりしておかなければならない。
(うーそれにしても母親と手を繋いでるところを見られると、ちょっと恥ずかしいな)
五歳児だから普通はおかしくも何ともないが、悟円の精神上はあまりよろしくなかった。
幸い幼稚園はすぐ近くにあるので、この状況も少しの我慢だ。まあ人間は慣れる生き物だから、そのうち全然気にならなくなるかもしれないが。
そうこうしているうちに、住宅街の中にある【にじいろ幼稚園】に到着し、そこで悟円は先生に預けられると、そのまま年中組が集う【おれんじ組】の部屋に連れて行かれた。
そこには十数人ほどの園児たちがいる。
(あー前世もこんな感じだったなぁ。まあ、僕の場合は保育園だったし、園児も少なかったけど)
いつも最初に来て、そして最後まで園で親を待つというルーティンだった。ただ、親が来ることも少なく、同じマンションに住んでいた園児の親と一緒に連れて帰ってもらったパターンがほとんどだったが。
ただ幼稚園自体は嫌いではなかった。ここに来れば他の園児たちと遊べたから。
(まあでも、今更積み木で遊んだり絵本読んだりするのはちょっとな……)
そこは幼稚園を卒園するまで我慢するしかなさそうだ。さすがに園児を逸脱したような行為は控えるべきだろうから。
そう思っていると、不意に悟円の袖が引っ張られる感覚があった。目を向けると、そこには一人の園児が立っていた。
「……おはよ」
まだ短い髪ながら、チョコンとツインテールに結んだ可愛らしい女の子だ。
「あ、うん。おはよう、空絵ちゃん」
記憶によると、この子は同じ団地に住む――愛原空絵。いつも無表情なので不愛想に見えるが、よく観察すればちゃんと感情がその目や口元に微かに現れる子だ。
何でも結乃と彼女の母親が幼馴染だったようで、悟円が生まれた時から親交が深い家族である。父同士も一緒に飲みにいくほどの仲らしい。
だから空絵ちゃんも、たまに家に遊びに来たりしており、この園内では一番親しい間柄であろう。
ピッタリ寄り添ってくる空絵に庇護欲が刺激されてしまい、気づけば彼女の頭を撫でていた。
「あ、いきなりごめんね!」
ハッとして手を離し謝る。いくら子供とはいえ、女の子の髪に触れてしまったことを謝罪した。
「ん……べつにいい」
表情からは分かりにくいが、どうやら怒っている様子はないのでホッとした。
それから空絵に手を引かれて、一緒に絵本を読むことになった。悟円が彼女に読み聞かせをするのが日課のようだ。
するとそこへ――。
「うーわ、またいっしょにいる!」
嫌みたっぷりな言い方をしてきたのは一人の園児。髪が逆立っている釣り目の男の子だ。
「おい、ごえん! おんなとばっかあそんではずかしくないのかよ!」
このガキ大将みたいな子は奥田慎太郎といって、よく悟円と空絵に絡んでくる。
(そういや、こういう子……前の人生でもいたなぁ)
保育園や小学校にも、一人は必ずいそうな男子。変にプライドが高かったり、好きな子の気を引きたかったりと、手口が悪手なことを理解できていない子だ。別に珍しくはないが、今の悟円が言われても逆に微笑ましささえ感じるだけ。
「あー別に恥ずかしくないよ。友達なんだしね」
「はあ? おんながともだちぃ? うわっ、だっせぇ!」
どこがダサいのか、どうしてダサいのか、理論的に説明を求めた上で言い負かすこともできるが、多分それだと泣いてしまうか、あるいは暴力に訴えてくるかもしれないので、ここは大人な対応をするべきだろう。
「じゃあどうするのがカッコいいのか教えてくれる?」
「そんなもんきまってんじゃんか! おとこだけでサッカーするんだよ!」
どうやら彼のマイブームはサッカーのようだ。
「へぇ。慎太郎くんはボール蹴るの上手いの?」
「とーぜん! とうちゃんにいっつもおしえてもらってるしな!」
「おお、それはいいお父さんだね。カッコいい」
「えへへ、だろぉ? だからおまえも、おんななんかと遊んでねえでサッカーしようぜ!」
「うーん……でも最近女子サッカーも盛り上がってるでしょ? ほら、前に世界大会でも優勝してるし」
それは前にテレビでやっていた。サッカー自体に興味はないが、初の女子サッカーの世界大会が行われて、しかも優勝ということで大いに賑わっていたのを思い出す。
「うっ……それは……」
「サッカーって、とってもカッコよくて面白いんでしょ?」
「と、とーぜんじゃん!」
「それにサッカーは、男の子も女の子もできる最高のスポーツってことだよね?」
「おう! せかいいちのスポーツだぜ!」
「うん。じゃあその世界一で最高のスポーツをしてる慎太郎くんも、女の子も男の子も全員を認めて上げられるくらいカッコいいんだよね?」
「へ? ……ま、まあとーぜんそうだな!」
「それは良かった。もし女の子がサッカーするのを認めないって言ってたら、慎太郎のお父さんだって悲しんだかもしれないし。さすがカッコいい慎太郎くんだね」
「フフフーン! だろぉ! おれのしょうらいのユメはせかいいちのサッカーせんしゅだからな!」
「うんうん、じゃあそんな将来世界一のサッカー選手になるプレイを見せてくれる?」
「おう、まかせろ!」
そう言いながら上機嫌で、他の子たちと一緒に外へ出てサッカーをし始める。
(これで静かになったな)
しばらくは悟円に見せつけるようにプレイしていた彼だったが、次第に夢中になっていき、もう悟円たちのことは目に入らなくなった。
「じゃあ空絵ちゃん、続き読む?」
ジッと大人しくしていた空絵が、コクリと頷きを見せたので、そのまま絵本読みを再開した。
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