第4話 瀬奈と士郎は渋谷に向かった。



 戦争が終わってもう2年になる。


 ただ、その実感は乏しい、と栄治は感じる。


 そもそも、戦争が始まった時でさえ開戦を実感することはなかった。


 日常の延長線上にいつの間にかぬるりと姿を現し、そして、いつの間にか最初から何もなかったかのように終わっていた。


 栄治が学生の頃、戦争と聞いてまず最初に思い出すのは太平洋戦争だった。


 毎年、8月になれば繰り返し繰り返しドキュメンタリーや再現ドラマがテレビで放送される。8月の6日と9日と15日には必ず甲子園の途中に黙祷がなされた。


 国家と国家がぶつかり合う悲惨な記憶は語り継がれていた。


 しかし、先人たちは国家ですらない団体と国家が戦争するという事態を想定していただろうか?


 国家間外交に注力する足下で、なんの裏付けもない集団が胎動する未来を誰が予測できただろうか?


 その団体が複数国家からなる軍事力を前にして互角、もしくはそれ以上の立ち回りを演じる未来など誰が想像できたろうか?


 そんな、未曾有の事態でも、国家の決断は旧来から何も変わっていないことは皮肉でしかないのだろう。


「なるほどね、初期の『爆弾』は制御装置を外付けしていたよな」


 早苗が家庭用冷蔵庫ほどの大きさの黒い直方体を前にしてしげしげと呟く。


 早苗と瀬奈がカルピスを飲んでいる間、栄治と士郎はワゴン車を取りに戻っていた。そして、ワゴン車を事務所の前につけると四人がかりでこの『制御装置』と呼ばれる直方体を事務所の一階に運び込んだのである。


 ちなみに、瀬奈は『どうしてもいかねばならない所』があるため士郎を引き連れて出て行ってしまった。今、事務所にいるのは栄治と早苗の二人だけである。


「都市部の空襲を受けて、いくら試作品を急遽実戦投入しなきゃいけないからって、こんな馬鹿でかい装置を一般家庭に配るなんてね。機動力も何もあったもんじゃない」


 早苗は制御装置の下部の外蓋を慎重に開けていく。物々しいフォントで『取り外し厳禁』と書かれているが早苗は気にすることもなく開けていく。


 栄治はそんな早苗の背中に声をかけた。


「清水先生も初期の『爆弾』の開発にも携わったのですか?」


 おいおい先生はやめろよ、と早苗が戯けた調子で言う。


「私が開発に加わった時、初期型はほぼほぼ完成してたからあんまり関わってないな。それに私の専門は『爆弾』の本体部分だったから、この制御装置を生で見るのは初めてだよ」


 そう言う割に早苗は二重に取り付けられた外蓋を楽々と外し、現れた機構を迷いなく分解する。そして、基盤を露出させると自前のディスクを差し込んだ。


 しばらくして、『解析が終了しました』と言う機械音声が早苗のタブレットから発せられた。


「ああ、これはすごいね。これは軍に目をつけらる」


 早苗は栄治の目をじっと見た。


「栄治君は院生だったよね。所属は?」


「水戸大学大学院の産業技術科、中村研究室です」


「中村儀一?」


「はい」


 あの人か〜、と早苗は眉根をもんだ。


「あの人、学生にこんなこと教えちゃったのか」


「いや、中村先生は悪くなくて、あの、このことはどうか内密に……」


「誰にも言わないよ、こんなこと。口が避けても言えない」


 軍が民間貸与した兵器のコントロールシステムが学生に書き換えられたなんて、言えるわけないさ、と早苗はため息を吐いた。


 ***




 渋谷のスクランブル交差点は、衰えない太陽に照らされながら人で溢れていた。

 互いに面識のない人びとの大群が数個の信号機だけで、統率の取れた軍隊のように行進するさまは圧巻だった


 そんな交差点を見下ろすカフェのカウンター席。


 端ではメガネをかけたアフリカ系のビジネスマンの二人組が何やら難しい顔で話し込んでいる。反対側の端の席には女子高生のグループが会話もなく各々のスマートフォンの液晶画面を覗く。


 その真ん中の席で瀬奈はうーんと目を閉じ腕を組んでいた。


「あの、犬飼さん」


 瀬奈の隣で士郎が困った顔をしていた。


「わざわざ、渋谷に来て一体何を?」


「買い物だよ、士郎君」


 答えながらも、瀬奈は目を閉じたままだ。


「買い物なら、ここで油を打ってないで早く動いた方がいいんじゃないですか?多分時間もそんなにないでしょうし」


「時間がないから悩んでるんだよな〜」


 現在に至る経緯は30分ほど遡る。


 栄治と士郎が駐車したワゴン車を持ってきて、制御装置を早苗の一階のガレージに運び込んだ後、瀬奈は他の三人に向けて頭を下げた。


「あの、少しの間、私は別行動をしてもいいですか」


 面食らった顔をしたのは栄治だった。


「ちょっと、どうしたよ急に」


「いきなりで、ごめん。でも、どうしてもいかないとダメな場所があるの」


「なんだそれ……」


「まあ、いいんじゃない」と言ったのは早苗だ。


「『爆弾』本体のデータは取れたし、制御装置の解析は時間かかりそうだし。その間、私の話し相手は栄治君にやってもらいましょ」


「いやでも……」


 と尚も納得がいかない表情の栄治は瀬奈の表情を見て口を閉ざした。


「士郎」


 早苗は瀬奈の後ろに立っていた士郎を呼んだ。


「瀬奈ちゃんは都心の地理に詳しくないから案内してあげて。あと、ボディガードもすること」


「了解」


 出かける準備をしてきますね、と部屋を出ようとした士郎を「藍坂君」と栄治が呼び止めた。


 不安と心配を無理やり押し殺したような複雑な表情で士郎の肩を両手で掴んだ。


「この姉ちゃんのこと、頼んだぞ」


「あ、はい」


 栄治の気迫に半ば気圧されながら士郎はうなずいた。


 そして、現在瀬奈は士郎とともにスクランブル交差点を見下ろすカフェで腕を組んで悩んでいる。彼女の前にはカフェラテのカップと渋谷の地図。


 渋谷の市街地から早苗の事務所までの所要時間はほぼ30分。とすれば、瀬奈たちが渋谷に滞在できるのは多めに見積もって1時間半が限界だろう。


 栄治と離れてでも作った1時間半。この1時間半をいかに有効活用できるか。後悔のないように。




 

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