第53話
*
翌朝。
「やったー。初挑戦で空間を翔びました。見なおしたでしょ? ワレスさま」
「もちろんだ。よくやった」
まあ、おれの時間軸を貸してやったんだから、当然だがな、とは言わないでおく。時間軸の窓を超え、皇都へ行くのはわけなかった。ロンドは翼を持っているから、ワレスと手を組めば、高度な時空間魔法も楽々だ。
おかげで、ワレスの手には指輪が一つ。夢のなかで皇帝の手にキスをしたとき、その指にしているのを見たので、あらためて空間魔法で翔び、とりにいったのだ。
「ゾクゾクしましたぁ。ゴロツキのワレスさまもステキですぅ」
「いいから、おまえはもう帰れ」
「ああーん。つれない」
大さわぎするロンドを早々に追いだしたあと、ワレスはハシェドやクルウも部屋から出した。セザールと二人きりになる。
「今なら、おれを殺せるぞ」
「何をおっしゃっているんですか。小隊長」
最初、セザールはしらばっくれた。ワレスは彼の困惑顔を一蹴する。
「もうお芝居はいいんだ。考えてみれば、最近に砦に来て、おれのまわりにいる人物といえば、ミレイン卿をのぞけば、おまえしかいない。入隊試験の日、アブセスと同郷のふりをして、おれの信用を得ようとしたな? でも、おまえが皇都の人間だという証拠がある」
「おかしなことをおっしゃるのですね」
皇帝の送ってきた刺客は、さすがにかんたんに白状しない。ワレスは笑った。
「おまえ、ロンドを知ってるよな? 皇都の学校で、おまえも憧れていたくちか?」
セザールは変な顔をして黙った。それはそうだろう。セザールが寝ぼけたロンドに捕まっていたのは夢のなかだった。あの夢で、セザールが眠っているロンドにウカツに近づいたのは、きっと自分の記憶と重ねて、当人の寝顔を見ながら失望していたからだ。
「おれは無意識下で、おまえの言動から、それに気づいていたんだな。あのロンドに憧れるのは、ヤツがマトモだったころを知ってる人間だけだ。つまり、おまえは皇都の騎士学校にいた。おれを殺すには顔を知ってる必要がある。おまえは学生時代、おれを見かけた。それで、おまえが暗殺者に選ばれた。どうだ? 当たっているだろう?」
セザールは答えない。が、ワレスは彼の返答を求めているわけではなかった。自分の考えに確信を持っていたからだ。
「これをおまえから、あるじに返すがいい」
皇帝の指からぬいた指輪を、セザールの手のひらにころがす。サリウス帝個人の紋章をかたどった銀の指輪だ。
「おれが昨夜、夢で話してきたのは、おまえの大事なご主人だ。話したのは夢のなかだが、このとおり現実でも、おれは自在に皇都へ行ける。古い伝承を現実にしたくなければ、皇帝はおれの取引に応じるしかない」
セザールはため息をついて、指輪をにぎりしめた。
「心得ました」
「おれは約束は守る。陛下には、しかと伝えてくれよ」
セザールは荷物をまとめて出ていった。
しばらくして、ハシェドが帰ってくる。
「セザール。出ていきましたね」
「彼は一身上の都合で辞職した」
「輸送隊の護衛なしで、帰れますかね?」
「きっとミレインの帰りに便乗する気だろう」
じつは私も陛下の密使だったのですと言えば、それはかんたんだ。ワレスが渡した指輪が身分の証になるだろう。
「クルウはどうした?」
「セザールが城門を出ていくまで見届けておくそうですよ」
「やっぱり、あいつはぬけめがないな」
それでかえって疑いをかけてしまうのだが。
「前におまえたち二人が密談していたのは、セザールの件だな? 怪しいと思っていたんだ」
ハシェドは申しわけなさそうにする。
「隊長がミレイン卿を詰問しだしたとき、どうしようかと思いました。あのときはなぐってしまって、すみません。でも、忠告するまでもなく、気づいていたんですね」
いや、言っておいてくれたほうがよかったんだがと思うものの、責めるつもりで話しかけたのではない。いつクルウが帰ってくるのかわからないので、時間は貴重だ。
「今日から闇の月だな。地の月のうちに渡したかったが」
クローゼットの奥に隠しておいた包みをとりだす。
「おまえの誕生日プレゼント。すっかり予定が狂ってしまった」
白布にくるまれた品物を渡すと、ハシェドはおどろいた。
「いつのまに用意してたんですか? 隊長のときにはバレバレで、おれ、ぜんぜんサプライズにならなかったのに」
「あけてみろよ」
「形から言って、本ですか?」
布をとりはらったハシェドは言葉につまり、それから、瞳をうるませた。
「隊長……」
「いい出来だよな? ジョルジュのやつ、やっぱり才能がある」
それは二号ほどの小さな額入り肖像画だ。ハシェドがワレスの似顔絵を持っていることは、以前から知っていた。でも、その絵は安い紙に水彩で彩色したものだ。だいぶくたびれて色もあせてきた。それで、ちゃんと画布に油絵の具で描かせたのだ。ワレスとハシェドがならんで笑っている肖像を。
「いい絵ですね」
「ああ」
「部屋に飾りましょうよ」
「クルウが妬くな」
「でも、しまっておくのはもったいないほど、いい絵です」
肖像をながめて、ハシェドは微笑している。ワレスは言ってみた。
「ルーシサスのこと、教えてやろうか?」
ハシェドは顔をあげ、まっすぐワレスを見る。
「大事なのは過去じゃなく、今ですよ」
「ああ……」
ワレスは過去に生きていた。ルーシサスを失ってからずっと、同じ時のなかをさ迷っていた。でも、わかった。あの夢魔の夢で、マイルーザに一番愛する者を選べと迫られたとき。
(おれは心のなかで、ハシェドを選んでいた。ルーシサスを死なせてしまった罪の意識をもかなぐりすてて)
ルーシサスを愛した気持ちは変わらない。彼の愛はその鮮烈な死によって、生涯、ワレスのなかに楔として刻みつけられている。しかし、それは『今』ではない。
(おれは歩きはじめていたんだ。ルーシサスの死の痛みを乗りこえて……)
ハシェドがいてくれるから、歩いていける。
ワレスは大切な今を生きるための言葉をつむいだ。
「その絵を壁にかけたら、お茶にしよう」
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