第52話

 *



 その夜。

 夕刻の仕事を終えて部屋に帰ると、ロンドが待っていた。白い髪を女みたいに結って、以前、事件の関係でワレスがプレゼントした服を着ている。精一杯おめかししているが、夏服なので寒そうだ。この数日ですっかり秋めいてきた。


「ワレスさまぁ。さあ、寝ましょう」


 変な節のある口調でベッドに誘う。有頂天だ。申しわけなくも、ワレスは大笑いした。


「わかった。わかった。じゃあ、さっそく寝よう。今日は疲れた。三日も寝てたはずなのにな。ハシェド、明かりを消してくれ」

「……消しますけどね。隊長がそう言うなら」


 ハシェドはワレスの本意をはかりかねるように首をかしげつつ消灯する。いつものランプだけ残して、ロウソクの火が消される。


「これでいいんですよね?」

「ありがとう。おやすみ」


 ワレスは寝台にあがり、布団にもぐりこんだ。ロンドが変な笑い声をたてながら、やたらあちこちさわってくるが、今夜はしかたない。このくらいは我慢してやらなければ。


「ふふふ。ワレスさまって、見ためではわからないけど、けっこう筋肉質なんですね。細くて優美なのにぃ。吸いつきそうな餅肌だし。うふっ。ステキ」

「おまえにしてほしいことがあるんだ」

「ああん。なんでもしますぅ。あなたが喜んでくださるなら、手でも口でもお貸ししますよ」

「じゃあ、これから寝るので、おれをある人の夢のなかへつれていってくれ」

「……へ?」

「この前の同調というのを使えば、それくらいできるんだろう? 一度に二人に同調して、夢をつなげるわけだ」

「……」

「なんでもしてくれるんだろう? できるよな? そのくらい」

「……」


 ロンドは泣いているようだ。メソメソした声が聞こえる。


「でもでも……寝るって……」

「だから、朝までいっしょに寝よう」

「うっうっ、うそつき」

「寝るとは言ったが、抱くとは言わなかった」


 必死でこらえるようなふくみ笑いは、ハシェドやクルウだろう。


「ワレスさまのバカぁ。もう嫌いですぅ」

「そうか? おれはいちおう、友人の一人くらいには思っていたんだが。少しは頼れるようになってきたし」


 ぐぐっと、ロンドが言葉につまる。


「……ズルイですよ。そういうの」

「なぁ? 頼む」


 薄闇のなか、大きなため息が聞こえてくる。


「……誰なんですか? 夢で会いたい人って?」


 その名を、ロンドの耳にささやいた。



 *



 ユイラ皇帝国は古い歴史と高い文化を持つ世界の中心だ。広いゆたかな国土が、ユイラを世界一の強国にしている。

 このユイラのなかで、もっとも豪奢な寝室に、彼はよこたわっている。何千人もの衛兵に守られる宮殿の奥で、誰にも侵害されることなく安眠を約束されている。


 だが、その人は毎晩、眠れずにいた。執務が忙しすぎるせいもある。が、それ以上に寝つきが悪い。眠ると夢に出てくる学生時代の思い出が、彼を悩ませるのだ。


(エニティ。もう来るな。おまえの顔など見たくもない)


 すると、夢のなかの人は言う。



 私はただ君と友達になりたいだけだ。ヒース。私たちは従兄弟なのに、君は私との距離を置きすぎているんじゃないか? もっと仲よくしよう。



(友達? バカを言うな。私はおまえのとりまきになるつもりはない)


 悲しげな従兄弟の顔を思いだす。イヤな気分で真夜中にとびおきる。そのくりかえし……。


 サリウス帝はいつも一人だったころの物憂い瞳の少年ではなくなっていた。手負の獣のようなギラギラした目の輝きは、以前にも増して暗い。氷の威厳と炎の渇望をまとい、皇帝でありながら、彼はまだ孤独だった。


 容姿は亡くなったエニティ皇子より数段まさっている。エニティ皇子も美しかったが、彼の美貌は怖いくらいだ。黒髪の巻毛と、金色がかったグリーンの双眸。すこぶる美青年なのに、彼は近づく者をこごえさせる。


 その夜も彼は一人で眠っていた。皇妃のもとへ行くことはあっても、寝るときは自室へ戻る。

 真夜中、浅い眠りからさめると、暗闇にいつもとは違う気配があった。誰かが室内にいる。

 皇帝はベッドの天蓋からさがるをひらこうとしてすくんだ。とばりのすきまに、猫のような青い目が二つ、燃えていたのだ。


「誰だ?」


 枕元の剣に手を伸ばす。すると、燐のように燃える目が、一瞬、またたきして闇に溶ける。


(この目。もしや——)


 ミラーアイズだ。疑いようもなかった。これは人の目ではない。まるで悪魔。闇をひきつれて眠りにおとずれる夢魔のような。


 悪魔がささやく。

「取引に来たんだよ」


 つやのある若い男の声だ。とばりがわずかにひらくと、男が燭台をにぎっていた。そのロウソクに火が灯される。男のおもてが、ほのかに照らされた。同時に、闇に輝く瞳じたいの発光はやわらぐ。ロウソクの火を反射して、幾千もの星のように青くきらめいた。金色の髪の、とても美しい男だ。


 皇帝はその顔を知っていた。神殿に残る四千年前の壁画に、異様なまでに酷似している。天馬の騎士の肖像画に。肖像はもう少し年齢が上かもしれない。


「ボイクド砦にいるというミラーアイズの男か。余になんの用だ?」


 一時の驚愕からさめると、皇帝は落ちついた声でたずねた。どんなときにも、ひるまない。冷徹にして沈着。自身の能力をつねに最大限に発揮する。それが現在のユイラ皇帝。


 だが、ミラーアイズの男も臆してはいなかった。皇帝はその男の気質に、自身と近いものを感じた。


「だから、取引さ。あんたはおれを殺したがっている。おれが天誅てんちゅうをくだすことを恐れているからだ。バカバカしいから、こうして来てやった」


 信じられない。計略が知られているからではない。皇帝たる彼には、どんな人間も最上級の敬意を持って接する。そこには恐れや、おののきがふくまれていることも多い。

 しかし、この天馬は無法者そのものでありながら、そこになんの恐れもいだいていない。虚勢ではなく、心から、皇帝という位になんの畏怖もいだいていない。


 それゆえに天馬の騎士なのだ。この男はその気になれば、私を殺す。この世のなかで他人の作った価値など意に介していない。とらわれない。信じられないほど純粋に自由だ。何にも束縛されないからこそ、天馬の騎士たる使命を遂行できる——と、皇帝は悟った。


 うらやましいと、サリウス帝は思った。憎い、とも。これほど自由でいられたら、どれほど幸福であろうか。


「余にどうせよというのだ?」

「おれは誰がユイラの皇帝だろうと興味はない。あんたでも、ほかの誰でもな。このまま今までどおり、たがいのテリトリーには立ち入らないことにしよう。おれは古い言い伝えなんて実現したくもないし、あんたは砦の一兵士なんて無視していればいい。あんただって、そのほうが安心だろう?」

「そなたが約束を守る保証が、どこにある?」

「そのつもりなら、さっき、あんたが目ざめる前に、いくらでも殺せた。こんなふうに」


 天馬は土足で寝具にあがってきた。皇帝は武芸にも通じていたものの、本職の傭兵は異様に素早かった。サリウス帝が剣をぬこうとしたときには、不埒な天馬にその手をふみつけられていた。青い目が皇帝を見おろす。


「きさま……」

「あんたがおれを害さないかぎり、おれはあんたの犬でいてやる。砦は遠いんだ。どっちがいいか、よく考えてみるんだな」


 そして、ふみつけた足をどけると、その手をとり、自身がつけた靴跡の上に接吻する。


「忠誠を誓ったよ」


 サリウス帝は屈辱にふるえた。

 憎い。しかし、なんと魅力的な男か。


 目ざめたときには、天馬の姿はなかった。だが、寝るときもつけている指輪が一つなくなっていた。

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