第45話
*
文書室の密談を終えて自室へ帰ると、セザールがロンドと大さわぎしていた。ワレスのベッドに入ったままのロンドがセザールの首に抱きついて、なかへひきこもうとしているのだ。当然、セザールは必死に抵抗している。室内にクルウの姿はなかった。
「なんだ。セザール。そういうのが好みなのか?」
問うと、ワレスの声を聞いて、パチリとロンドが目をあける。
「あれ? ワレスさまじゃなかったんですね。残念無念……」
するーっと手が離れ、大ダコの妖怪は布団の海にもぐっていった。セザールは猛獣の群れから命からがら逃げだした冒険家のていだ。
「助けていただき……ありがとうございます」
「なんで、こんなことに?」
「布団が落ちそうだったので、なおそうとしたのが悪かったです」
「おれはてっきり、おまえはああいうのが好きなのかと思った」
「ち、違います」
なぜか赤くなって、セザールは部屋を出ていった。
「ふうん?」
それと入れかわりに、司書長がやってきた。
「司書長。さっきまで文書室にいたから、声をかけてくれればよかったのに」
「どうせ、ロンドのようすも見ておきたかったので」
「魔術師会議は終わったのか?」
「会議というほどではありませんが、話しあいは終わりました。やはり、あなたのミラーアイズをお借りしますので、ご協力ください」
「それはかまわないが、どうやるんだ? まさかまた……」
司書長はほのかに微笑する。
「はい。ロンドに同調させます」
「やっぱり」
ダグラムはとうのロンドを見て顔をくもらせた。
「まだ起きませんか」
「さっきまで、おれの部下をベッドにひき入れようとしていたがな」
表情はとぼしいものの、ダグラムはこめかみを手で押さえた。
「まったく、ロンドときたら……」
「手を焼いているのだな」
「ですが、あなたのおかげで上達はしてきましたから、彼なりに性根をすえたのでしょう」
「ああ、まあ、ロンドなりに」
「ロンドがこの調子では使いものになりませんね。夢魔は夜のほうが活発ですし、今夜、あなたが就寝するときにお力を貸してください」
「わかった」
それで夢魔の件が片づくと思えば、ちょっとのあいだロンドの同調を我慢するくらいはわけもない。
ところが、夜になっても司書長は来なかった。夕刻の仕事前にロンドをたたきおこしたので、こっちの準備はできている。迎えをよこすべきか迷うところだ。
「夢魔の事件は今現在、砦でもっとも早急に手を打たなければならない問題だ。それを始末する約束をなおざりにするなんて、司書長らしくないな」
「わけがあって延期なら、誰かを伝言によこすでしょうからね」と、ハシェドも言う。
不測の事態が起こったに違いない。だが、そこへ急な客が来て、事態は一変した。青い顔をしてとびこんできたのは、アトラーだ。ロンドがいたら、さぞやウルサかっただろう。
「どうしたんだ? 血相を変えて」
「責任を持ってあずかると約束したのに、すまん!」
アトラーはいきなり頭をさげる。
「え? というと、ラグナの身に何か?」
ハシェドは事情を知っているが、ほかの三人には教えていない。ワレスの言葉を聞いて、とてもおどろいている。とくにクルウはいささかムッとした。
「ラグナは生きているのですか?」
聞いてくるので、しかたなく説明する。
「あのときは、しかたなかったんだ。ラグナの命を守るために」
「そうですがね」
ひきさがったので、アトラーにむきなおる。
「ラグナに何があった?」
アトラーは当惑していた。
「それが……こう言うと嘘みたいなのだが、彼は消えてしまったのだ」
「消えた? 行方不明か?」
意識が戻って自力で歩いていったのかもしれないと考えたものの、どうやら、そうでもない。
「病人を守るために、扉の前に交代で見張りを立てていた。病人は起きなかったし、不審人物が近づきもしなかった。いつ、どうやっていなくなったのか、まるで見当もつかないのだ。あの状態でいなくなるとすれば、消えたとしか言いようがない。司書が看病の交代に来たのでドアをあけると、もういなくなっていた」
「司書ならフードで顔を隠しているな。制服を盗んで司書になりすませば、見張りをごまかして近づける」
または、こんなときのために、あらかじめ制服を用意してあれば。
しかし、ラグナが生きているという事実を知っていたのは、ワレス、ハシェド、ユージイの三人だけだ。ワレスはもちろん、ハシェドもユージイも口がかたい。彼らから情報がもれる心配は絶対になかった。暗殺者はラグナは死んだと思っていたはずなのだ。
アトラーも首をひねる。
「何者かわからない人物が歩きまわるのは安全ではないので、司書には看病のあいだ、フードを外させていた。ネイフィという少年と、ホザンナという女の魔法使いが二人で診ている。ほかは誰も近づいていない」
司書長以外にも女の魔法使いがいたとは知らなかった。それにしても、看病係の顔が知られていたなら、制服だけで司書に化けて、ごまかす方法はとれない。
「では、人為的にラグナを消すのは不可能だな」
「だとすると?」
こう結論するしかない。
「夢魔が消したんだ」
いったい、どういうことだろう? 夢魔に精気を吸いつくされると、その人間は消滅してしまうのだろうか? 死体さえ残さずに?
ふと思いついて、ワレスはたずねた。
「アトラー。あのあと、おまえの隊で、さらに病人が増えたか? 最初に患者が出た次の日はどうだった?」
ネイフィからは何も報告がなかった。たぶん、何事もないからだろうと考えていた。そのとおりの答えが返ってくる。
「増えもしなければ、減りもしない」
「やはりな」
悪魔の本体が、ワレスたちのいる内塔へ移ってきたからではなかろうか。
(最初に患者が出たのは近衛隊だけ。あいつの本体がそこにあったからだ。だが、翌日には被害は内塔に移った。なぜだ? おれについてきたのか? 近衛隊は人数が少ない。もっと多くの人間の夢に憑依するために、大勢が集う内塔のほうが都合がよかったから?)
でも、それなら、なぜ、サムウェイのいる正規隊ではなく、ワレスの隊にとどまったのか? 本丸のほうが宿舎が密集している。内塔よりさらに効果的に多くの兵にとりつけたはずだ。
ワレスが夢で感応していたからだろうか? いや、それはワレスが魔術師の気質であることを示している。ヤツが魔法使いを嫌っているなら、むしろ、ワレスをさけるだろう。
別の理由があるのだ。ワレスたちの気づいていない理由が。
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