第40話

 *



 少しして、ロンドが司書長をつれてやってきた。あいかわらず、ダグラムは冷静だ。部屋に入ると、眠っているワレスと、ただよっているワレスを見くらべて、無表情につぶやく。


「ロンドの言うとおりですね。ワレス小隊長の表層意識だけが覚醒しています。ということは、意識の半分はまだ夢魔の作った夢の世界にありますから、小隊長の意識に同調して、心のなかへもぐりこめば、夢魔のもとへ行けます。ヤツを小隊長の体内から追いだして封印してしまえば、ワレスさんをふくめ、患者も全員、夢魔の呪縛から解放されて目をさましますね」


 建設的な意見を聞いて、ワレスは心から安堵した。


《それはよかった。魔法となると、おれみたいな兵士は無力だからな》


 ところが、司書長はワレスを喜ばせたあと、谷底へつきおとすのが目的だったかのような発言をする。


「同調するのはロンドが適任でしょう」

《なんでロンドなんだ。あなたがしてくれないのか? 司書長》

「前に一度、あなたとロンドは同調していますね? 相性がよかったのではありませんか?」

《そ、それは……まあ》

「でしょうね。あなたもロンドも風の種族。おまけに天の属性です。わたくしが施術するよりラクにおこなえますよ」

《しかし、ロンドは五級だろう?》

「ロンドが受けもつのは、夢魔を現実世界に誘いだすところまでです。捕まえるのは、わたくしですから」


 押しきられた気もするが、それなら安心だろう。

 司書長はロンドに命じる。

「ロンド。ジュールを呼んできなさい。わたしのサポートをさせましょう。夢魔がこの部屋から出られないように、室内全体に結界を張る役目をしてもらうのです」

「じゃあ、呼んできまーす」


 妙に陽気に廊下へ出ていくロンド。そのあと、司書長はハシェドも外へ出させた。

「ワレスさんから出てきた夢魔がとりついては困ります。この部屋のかたは全員、しばらく外にいてください」


 ハシェドはうなずいて退室する。扉を閉める前、もう一度、ワレスの寝顔をながめてから。


《司書長》

「なんでしょう?」

《おれは魔法使いの才能があるんだよな?》

「ありますね」

《魔法使いになるには、どうしたらいいんだ?》


 ダグラムは沈黙した。


《できれば傭兵のままがいいが、司書になれというなら、まあ、なってもいい。問題はそこじゃないからな》


 ためらうように、ダグラムは口をひらく。


「なんのために魔法使いになりたいのです?」

《おれの運命を変えたいんだ。あなたは以前、いにしえの力を濃く残す者ほど、より不幸なんだと言った。たしかに、おれには信じがたいイヤな運命がついてまわってくる。それをもう終わりにしたい》

「決心がついたということですね?」

《まあ、そうだな》

「中途半端な決心ではいけません。今の生活のすべてをすてて、あなたの全存在をかけなければ」


 今度はワレスがためらう番だ。


《なんだって? すべてをすてる?》

「そうです」

《生活のすべてをか? 傭兵を辞めるだけではなく?》

「当然です。家族も友人も故郷も、すべてのしがらみを断つのです。あなたはただ魔法をおぼえたいわけではないのですから。想像を絶する苦闘になります。運命を変えるには、それくらいの力が必要なのです」

《そんな……》


 運命を恐れることなく、ハシェドと愛しあえるようになりたい。だから、運命を変えられる魔法の力が欲しいのだ。そのためにハシェドをすてなければならないというのなら、そんな力、なんの意味もない。


 司書長は苦笑いを浮かべた。

「まだ決心はついていないようですね」

《そうなるな》


 そんな条件があるかぎり、魔法使いになりたいなんて、二度と思わない。まったく本末転倒だ。


《わかった。忘れてくれ》

「急ぐ必要はありません。ほんとに入用なときは、自身でわかります」


 ほんとに入用なとき……それはどんなときだというのか?


 ワレスが失望しているところへ、ロンドがジュールをつれてきた。さっそく、司書長が切りだす。

「始めましょう。ワレスさんはロンドに任せて、ふだんと同じに眠るつもりでいてください」

《ああ》


 いくらか精神体でいることになれてきた。ワレスは水中を泳ぐように、寝台で眠る自分の体へ近づく。かるい寝息で目を閉じている自分は、なんだか、よくできた人形のようだ。


 ユイラ人特有のきめこまかな純白の肌。濃く長い金色のまつげ。金色の眉。肉の薄い品のいい鼻梁びりょう。厚すぎない口唇は、ほんのりと桜色だ。繊細な輪郭は青年期のユイラ人だから。目元のラインはややきついものの、強い光を放つ瞳をとざしていると、ワレスの面ざしは自分で思っていたより女性的に見える。

 ワレスをワレスたらしめているのは、ほかの誰とも異なるミラーアイズなのだ。ワレス自身の運命をもたらしているのも、このミラーアイズ……。


 魔術師になるのは断念するしかないとわかって、ワレスは気落ちしていた。どうしても、思いはそこへむかう。


(ミラーアイズ。天馬の騎士……か)


 あの夢のなかで、皇帝はワレスをというよりは、この目を持つ者を恐れていた。ラ・スターを本家と呼んでいたのだから、神聖騎士の末裔である彼らこそ、正統なこの目の持ちぬしなのだろう。天馬の騎士というのは、あるいはラ・スター家の人をさす呼称なのかもしれない。


(ユイラ初代皇帝に仕えた十二人の騎士。天馬の騎士か。その血を代々、受け継ぐ彼らでさえ、もはやミラーアイズをたもつ者はいない。それなら、なぜ、彼らにくらべれば路傍の石のようなおれに、高貴な血の証であるミラーアイズが表れたんだろう?)


 神聖騎士の家柄といえば、ユイラ貴族のなかでも特別な存在だ。その血筋は皇統にも匹敵するほど尊重されている。四千年(もしくはそれ以上。古代には歴史の失われた期間も多い)ものあいだ続く最高の家柄。名門中の名門だ。その彼らでさえ失われた古代の特徴が、なんのゆかりもないワレスの上に、とつぜん現出するものだろうか?


(ほんとに、とつぜんだったのか? 馬の骨にだって、父と母がいる。その父母にはそのまた両親が。そうやって連綿と血はつながれていく。雑種であろうと、純血種であろうと、それだけは同じ。だとしたら、誰かがおれの血のなかに、ミラーアイズを持ちこんだんだ)


 ワレスの父は、すでにミラーアイズだった。その父はどうだったのだろう? または母か? ワレスは祖父母を知らない。会ったことすらない。不幸を背負う血の宿命だから、若くして亡くなったのかもしれない。ワレスの両親のように。


 では、いつから、ワレスのなかに、いにしえの呪われた血がまざりこんだのだろう? むしろ、ミラーアイズの血などなければ、ふつうに愛する人と結ばれていたのに。

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