第39話
「夢魔?」
ワレスが問うまでもなく、ハシェドがたずねた。
「夢魔です。夢をあやつる魔物。昨日、ワレスさんが時間をこえてしまいそうになったとき、思ったんですよ。魂がぬけだした、もぬけのからの肉体。患者たちの状態はこれに近いんじゃないかって。というのも、患者たち、誰も排泄をしないんですよね。体が寝てても、ふつうなら体内に残った消化物はやがて出てくるんですけど。つまり、彼らの自己時間流は止まっている。そのくせ、生命エネルギーは通常ぶんだけ消費している。減ったエネルギーはどこへ消えているのか?」
《誰かに吸われているんだろうな。おまえがいつもやってることだ。ロンド》
ロンドは本気で反論してきた。
「ち、違います! 私がもらってるのは、エネルギーを燃やすときの余熱みたいなもので、寿命そのものを吸ったりしません。それじゃ、ほんとに化け物ですよ」
化け物じゃないか……とは思うが、魔法使いたちの禁忌を犯した黒魔術師として処分されないところを見ると、いちおうロンドのは許容範囲なのだろう。
《じゃあ、この眠り病は本物の化け物の仕業なんだな?》
「そうなりますね。昨日のあなたを見て、患者たちは精神が肉体から離され、どこか別の世界に囚われていると感じたので、司書長に相談したんです。そんなことできる魔物はなんだろうって。それで思いだしたんですが、ワレスさん、近ごろ夢見が悪いって言ってたでしょう?」
《カフェで傭兵に始まりな》
「あなたは魔術師的な勘にすぐれているから、そういう魔物が近づいてきていると察知して、夢で感応したんじゃないかと思うのです。どうです? 最近の悪夢って、前に魔神に誘いこまれた夢に、どこか似ていませんか?」
《そう言われれば、似ている》
細部にいたるまで妙にリアルで、めざめたあとも鮮明に記憶に残る。まるで眠っているあいだも活動していたかのように体は疲れはてて……。
「相手は人間の夢のなかに入りこみ、あやつる魔物。夢魔だったんですよ」
《夢魔か……》
「どおりで、ジュールが使い魔で調べてもわからないはずですよ。夢魔は精神生命体ですから、物体として存在してはいませんからね」
《なるほど》
「古来より夢魔はその存在が知られている魔物の一つです。眠っている人間の夢にとりつき、精気を吸って死にいたらしめる。本来なら、我々、魔術師が気づくべきだったんですが、夢魔は人間の精神の波長に敏感ですからね。むこうがさけていたのでしょう。ワレスさんは魔法使いとして正式に訓練したわけじゃない。精神構造がちょっと違うので、夢魔も油断したのでしょうね」
すると、青い顔でミレインが口をはさむ。
「待ってくれ。小隊長が夢で魔物を感知していたというのか? では、私がこのところ、ひんぱんに夢で小隊長と会ったのは……あれも何か関係が?」
まじめな顔のロンドが近づいて、ミレインの襟元に手をのばす。ミレインは少し赤くなった。
「これ、護符ですね。それも、かなり古い護符だ。魔物よけの魔法がかけてある」
ミレインの首にかかった銀色のペンダント。神聖語が刻まれている。ミレインは無意識のように、それをにぎりしめた。
「私の家系は……今は宮中の財務にあたっているが、その昔はクルエル公爵家のもとで神官をしていたのだ。これは我が家に伝わる護符。砦に来るとき、気休めに持ってきた」
「あなたが無事でいるのは、この護符のおかげです。でなければ、とっくに夢魔の手に落ちていたでしょう」
死んだ少年に伝えられなかった思いを残すという状況が似ていたから、たがいの夢が呼応したのだろうか? そうとしか考えられない。
「ロンド。それよりも」と、言いだしたのは、ハシェドだ。
「隊長はどうなるんだ? そのうち自然に目がさめるのかな? それとも、ほかの患者みたいに眠ったまま?」
ロンドは考えあぐねる。
「ワレスさんはほかの人たちとは違います。その証拠に、ほかの人たちは精神をまるごと夢魔の世界につれていかれたけど、ワレスさんは魔法をはねのけるミラーアイズの力で、一部の意識だけは、そこから逃れている。だが、深層意識は夢魔世界に残ってしまった。呪縛が解けきれていないので、体が覚醒しない」
「もとに戻せるんだろう?」
「それはちょっと、わたくし一人の力では……司書長に相談してみます。すぐに帰ってきますから、待っていてください」
ロンドが行ってしまったので、ワレスは意思の疎通ができる相手がいなくなった。
ハシェドたちは思い思いベッドや円卓の椅子に腰かける。しばらくして、
「クルウ。かわりばんこに朝食をとってこよう。どうせ、ここにいても、魔法使いじゃないおれたちには何もできないし。おれが見てるから、ミレイン卿やセザールをつれていってくれ」
「わかりました」
クルウたちも出ていき、室内にはハシェドと眠ったままのワレスの二人きりになった。
「隊長。聞こえているんですよね?」
《ああ》と答えたところで、ハシェドには聞こえていないだろう。ハシェドはため息をついた。
「おれも魔法使いだったら、あなたの声を聞けたのに」
悲しげにうつむくハシェドのとなりに、ワレスはすっと霊体をすべりこませた。カラメル色の頬にキスをする。が、その感覚はあやふやだ。
ハシェドは視線をワレスの寝顔にむけたまま続ける。
「この前のルーシサスって人のこと。あれは、ただのおれのヤキモチなので……すみません。忘れてください。あなたにどんな過去があってもいいんです。ただひとつだけ、どうしても不安で」
ハシェドはワレスの姿を探すように、室内のあらゆるところへ視線をなげる。が、けっきょく、その目は寝顔の上に戻った。
「約束してください。隊長。おれから逃げないと」
《ハシェド……》
「いつか、あなたは何も言わず、とつぜん、どこかへ行ってしまうんじゃないか。そんな気がするんです」
ドキリとした。それはかつて、後見人のジョスリーヌも言っていた。『あなたがいつか、わたしの手を離れて行ってしまうことはわかっていた。でも、勝手に消えていくのだけはやめてちょうだい』と。
「おれがあなたを追いつめてるんじゃないかと思うと、心配なんです」
《そうじゃない。おれは、ハシェド。おまえといられるだけで……》
どんなに言葉をつくしても、伝えられない現状が、もどかしい。
(おれが魔法使いだったら、この気持ちを伝えられた。だが、その前に、まずは自分の運命を変えなければならないが)
今が決心すべきときなのだろうか?
ワレスはそっとハシェドの肩に頭をのせてみた。ふれられそうでふれられない切なさがこみあげてきた。
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