第37話



 ワレスも嘆息して、ミレインのとなりにすわる。


「あなたの家は今も家計が苦しいのですか?」

「父をしりぞけてからは、まっさきに地所をとりもどし、収益をあげて、売り払った家宝をとりもどした。私は幸い、皇帝陛下のご信頼を得たので出世が早かった。そのおかげで順調に進んだ」

「では、今ではどこにも恥じることない貴公子だ。それも、将来有望な。昔の卑屈な気持ちはそろそろすててもよいのでは?」

「長年の癖はかんたんにはぬけない。それに、愛される自信がないせいもある。私はマレーヌやそなたのようには見目がよくない」

「恋は? 結婚でもすれば自信がつくでしょう」


 ミレインのおもてが急速に赤くなる。意中の人はいるらしい。


「わ、私は奥手なのだ。それに、どうせ相手にされないだろう……」

「金と家柄があれば、女など、よりどりみどりでしょう?」

 ミレインは困りはてた顔でワレスを見る。

「相手も金と家柄がある場合はどうしたらいいのだ?」


 思わず、ワレスはふきだした。


「女っていうのは最終的に誠実な男が好きなんですよ。ことに結婚相手はね。あなたは素直に自分の気持ちを打ちあければいい。へたな手管を使うのは、あなたのように純情なかたにはふさわしくない」

「そういうものなのか?」

「婦人は勘がするどいのでね。自分をよく見せようと嘘をつくと、すぐにバレる」


 ミレインはやけにジロジロとワレスをながめる。

「……小隊長はだな?」


 それはまあ、砦へ来るまでは十年もジゴロをしていたのだ。女性の心理にも、あつかいにもくわしい。だからこそ、純情な貴公子の価値を知っている。


「さようですね。では、贈り物には花を。あなたなら、白い薔薇がいい」

「花?」

「だって、ユイラは春の国だ。年中、花が咲きみだれてる。人々の恋の数ほど」


 すると、ミレインは不思議そうな目になった。


「……おまえを魅力的だと言ったランディたちの言いぶん、今ならわかる」

「それは上々」


 自信満々なようすがおかしかったらしい。ミレインも笑いだす。


「そういうところがな。しかし、私は砦へ来てからは、かなり気をつけて、おとなしくしていたつもりなのだがな。それでも、おまえを怒らせてしまったのだろうか?」

「初めの夜に」

「うん?」

「ハシェドを侮辱した」

「そんなつもりはなかったが、しかし、そうだったかもしれない。何しろ、彼は見るからにブラゴール人だ。おそらく、私は敵国人を見る目をしていただろう」

「ここではそういう偏見は成り立たないのです」

「うむ。そうだな。今ならばわかるとも。それに、ハシェド分隊長が、いわゆる『いいヤツ』だというのも理解した。彼はおまえたちのなかでの潤滑剤なのだな。彼がいることで、いつも場がなごむ。その……すまなかった」

「謝罪は私ではなく、ハシェドにしてください」

「う、うむ。やってみよう。新たな自分になるために」と言った次の瞬間、ミレインはうなだれる。

「生きている者には謝罪できる。だが、死んでしまった者には?」


 ワレスの胸が痛んだ。死んでしまったルーシサスを思って。ミレインの嘆きはワレスの悔いでもある。


 ミレインは両手で顔をおおった。泣いているのかもしれない。


「私が悔やんでいるのは、あれほど弟を溺愛していた両親が、妹が生まれると、まったくマレーヌの話をしなくなったからだ。思いだすのがツライと言って、名前を出すのすら禁句だ。信じられるか? 月命日に納骨堂へ花をそなえるのは、今では私だけなのだぞ? まるで初めからマレーヌなどいなかったかのように、両親は妹を愛している。つとめて、そうしようと意識しているのかもしれないが、でも、それではあんまりマレーヌがかわいそうだ。私がマレーヌを憎んだのは両親の愛をひとりじめしているからだった。だが、こうなるとわかっていれば、せめて言ってやるのだった。嘘でもいい。死ぬと承知でも、元気になってくれと。またいっしょに遊ぼうと……気休めでもいいから、言っていれば……」


 生前どんなにつくしていても、大切な人が死ねば、悔いが残る。ましてや、自分の気持ちを偽って、つくせなかったときは……。


「マレーヌを愛していたのですね?」

「もちろんだ。笑いかけられるだけで愛しくなると言っただろう? それが私のようになりたいと、兄上はぼくの憧れだと言うのだぞ? 手術に成功して歩けるようになると、いつも私のあとを追いかけてきた。私がつれなくすると、すてられた子犬みたいに泣きべそをかく。それで私はしかたなく言うのだ。おいで、いっしょにファートライトを読もう……」


 すすり泣く声が、ワレスの耳にとどく。


(ルーシィ。おまえに告げたかった……)


 だって、信じられるわけがない。十二の年から四年間、いじめて、穢して、その上で束縛していた。恵まれて、誰からも愛され、大切に育てられた天使のようなルーシサスの存在そのものが、ワレス自身の生を否定していると感じた。あまりにも自分と違いすぎた。神殿で受けた虐待の数々。苦痛で失神することもしばしばあった。


(おれは泥水のなかを這うように生きてきた。五つのときに最初に体を売って飢えをしのいでから……あとはもう転落の一途だった。救いの手が欲しかった。鳥のように飛んでみたかった。もし、おれが幸福な子どもだったなら……)


 それで、誰にも知られないように、たくみに、陰湿に、自分が世界からされたことを、ルーシサスにやり返した。神への報復だったのだ。


 愛していると言われたときは、耳を疑った。信じられるはずがなかった。


「ぼくは君を好きだよ? ワレサ。ずっと君を愛していたよ」


 若草色の瞳が悲しげに見あげる。


「嘘だ。信じられるものか!」

「どうしたら、信じてくれる?」

「おまえが……」



 おまえが死んだら——



 愛のために死ねると、誰が本気にするだろう。


 そんなの嘘に決まってる。おまえはおれをだまそうとしてる。おまえをさんざん苦しめたおれを、懐柔して、弱みをにぎって、復讐するつもりだな?


 バカなワレス。

 なぜ、愛していると言われることが弱みになるのか、考えもしなかった。それは、ワレス自身がルーシサスを愛しているからだと。


(戻ってきてくれ。ルーシィ)


 もう一度、ここに来て、言われてくれ。あのとき、おれがほんとはなんと言いたかったのか。


 涙で全身が溶けていく。体が羽毛でできているようにかるくなって、夢の世界が遠のく。ふんわりと雲に乗るように。空を飛ぶ、カイトのように。

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