六章

第26話



 たとえば、ユイラ神の申し子が左右の瞳の色の違う者であるように、太陽神の申し子がブロンドと金色の瞳の持ちぬしであるように、ユイラ十二神の申し子にはそれぞれ特徴がある。その特徴は神の容貌や気質に由来している。


 そして、夜空を守る月の神であり、その冷徹な性質から法律と真理の守護者でもあるレイグラ神の申し子は、古来よりアルビノと決まっている。レイグラのシンボルカラーは銀であり、古代の文献にレイグラは白い神と呼ばれていたと記されているからだ。


 マイルーザは生まれ持つ肉体的な特徴のため、幼いころに神殿に買われてきた。白い髪。白い肌。赤い瞳。彼は光に弱い。きょくたんに弱視で虚弱体質。延命のためにほどこされた大きな手術あとが、いくつも体に残っている。まるで、つぎはぎ。そのせいなのか、彼は人の体に針を刺すことが好きだ。


「遅かったな。ワレサレス」

 くすぐるように小さな声しか出せない。


「遅くはないはずだ。今日は早くに勉強が終わったから。まだ自由時間のはずだろう?」

 言ってから、自分の声がもう少年のそれではないと気づいた。声変わりした成人のものだ。見おろすと、手も体も、大人の自分に戻っている。部屋に入った瞬間に変わったらしい。


「まあ、このほうが助かるな。今のおれなら、虚弱なあんたなんか、卵をにぎりつぶすよりかんたんに殺せる。なあ? 死にぞこないの神殿長?」


 マイルーザは顔色も変えず、細い金縁の眼鏡ごしにワレスを見つめている。ワレスはイラついた。


「おまえだけはゆるせない。千度殺してもあきたらない。子どもだったおれに、きさまは罰だと言って、毎晩、針を刺してくれたよな?」


 ワレスはマイルーザのもたれている寝椅子に近づき、彼の胸ぐらをつかんだ。マイルーザは無感動にワレスを見返す。


「私は法の申し子。私の行動はすべて正しい」

「あいにく、おれは神なんて信じてない。あんたから受けた苦痛や屈辱は、今さら、どうだっていいんだ。だが、あんたとのことがなければ、おれはルーシィを死なせなかった。あんたが追いつめたからだ」


 ルーシサスを失ったときの絶望が、マイルーザへの憎悪となってふくらんだ。自分の感情が抑制できない。ワレスは剣をぬいてつきつけようとして、ふと思う。

 そういえば、まだジゴロだったころ、アルシスから手紙をもらったはず。たしか……死んだと……マイルーザ神殿長は、ワレスが逃げだした数年後に死亡した、と。


「あんた、なんで……」


 ためらうワレスの手を、マイルーザはなんなくふりほどいた。以前の彼は子どものワレスにでさえ、本気の力にはかなわない、弱々しい生き物だったのに。


「ワレサレス。呼んだのは、ほかでもない。私が教えたレイグラ神殿の教義を守っているかどうか、試験をする」

「試験?」

「まちがえれば、むろん、相応の罰がある。心してかかれよ」


 陰湿な笑みを浮かべて、マイルーザはとばりをひらく。

 ワレスは息をのんだ。と同時に、いくらか滑稽こっけいでもあった。とばりのむこうには、これまでワレスの愛してきた人たちが整然と立っていたからだ。


「なんだ、これは?」


 いったい何を始めるつもりなのか。ワレスが戸惑っていると、マイルーザはどこからか黒い冊子をとりだした。宝石商が宝石を鑑定するときに使うのに似た、度の強いレンズを何枚も重ねた眼鏡の前に、冊子をかざす。


「一人め。母ジュリオ。彼女の死には、そなた自身は関与していない。だが、そのミラーアイズが母の死に大きくかかわっている。そなたの存在じたいが殺したと言えなくもない。よって、三十点というところだな」


 今もワレスが持っている、家族の細密画そのものの姿で微動だにしない母。つまり、ワレスの記憶にもっとも鮮明に残っている母だ。まるで生前の罪でも読みあげるようにマイルーザが点数を告げると、母の姿は瞬時に炎に焼かれた。


「やめろッ!」


 ワレスはマイルーザにとりすがり、黒い冊子をうばいとろうとした。が、どうしたことか、半病人のはずの彼にかるくふりはらわれてしまう。


「次は上の弟のルードレッドだな。おまえについて市場で盗みを働いていたとき、通りかかった馬車にひかれて死んだ。兄のすることをなんでもマネしたがり、おまえのあとばかり追いかけていた。おまえは母が死んだあと、自分の身を売った金で弟妹を食わせてやっていた。なかなか泣ける話じゃないか? 五十点」


 もう顔もよくおぼえていない小さな弟が、炎のなかに紙くずのように消える。


「やめろ!」


 ワレスは理解した。ここで裁かれるのは、彼らの罪状ではない。彼らが生きていたあいだに、ワレスがとった行動なのだ。


「下の弟はフュラウスか。母が死んだあとまもなく外国に売られていったが、大人になってから皇都で再会したのだな。彼は兄妹のなかでただ一人、容貌が母親似だった」


 マイルーザの顔に浮かんだいやらしい笑みを見て、ワレスはすくんだ。あのことを言われる。それは、ワレスとフュールの秘密だった。


「やめろ! 言うな!」

「それで、あんなことをしたのかな? 二親が同じ実の弟を」

「あれは……あいつの寿命があと数年しかないと知って——それがフュールの望みだった!」

「だからって、実の弟を殺すなんて」


 怒りで火がついたように、頭のなかが熱くなる。病にやつれ、長く苦しみながら死にたくないと泣いてすがった弟を、どうして見すてられただろうか? 何も知らない者に責められるのはお門違いだ。ワレスだって、やりたくてやったわけじゃない。できるなら、フュールには生きてほしかった。


「きさま、おれの過去をあばいて、なんのつもりだ!」


 以前と同じだ。ワレスが子どもで、神殿に捕まっていたとき、マイルーザから受けた精神的な屈辱。彼はワレスの大切な思い出をあばき、穢すことを無上の喜びとしていた。

 つかみかかるワレスを、マイルーザは片手でいなす。


「では、選べ。ワレサレス」

「何?」

「おまえがもっとも愛するのは誰だ? その者だけは私はふれないでやろう」


 マイルーザのやせてとがった白い骨のような指が、いならぶ人々を一人ずつ指す。

 わずか三つで飢え死にした妹レディスタニア。ワレスが放浪していた少年時代に知りあった、シルディード、ダディー、ミスティル。レスター。クラバス。ハイリー。シェレーラ。リノール。神殿にいた四年間では、ミサをぬけだして愛しあった年上の恋人ローラ。ワレスと同じ神殿にひきとられた孤児で、自殺したメイルウ。マイルーザの非道を見かねて、神殿からつれだしてくれたエリアム神官もいた。逃亡中に追っ手の神殿兵からワレスをかばって死んだ。そのあとには、ルーシサスがあの若草色の瞳で、こっちを見つめている。


「ルーシィ……」


 ワレスと目があって、ルーシサスは神秘的なまでに澄んだ笑顔を見せた。


「ほう。ルーシサスか。アウティグル伯爵家の嫡男。彼を選ぶのか?」


 マイルーザの問いかけで我に返る。ワレスは焦燥した。ルーシサスのあとにも大勢の人たちがいて、その最後尾には、いやにハッキリと生々しいハシェドの姿がある。


「違う……」


 ルーシサスを選べば、ハシェドが焼かれる。それは見たくない。だからと言って、ルーシサスが焼かれるのも見たくない。


「では誰だ?」

「選べない」

「答えをあやまれば、罰をあたえる」


 マイルーザの瞳が赤く光る。それはもう人間ではなかった。


(こいつだ。おれの愛する人を奪っていく死神——)


 マイルーザの姿を借りて、ワレスの前に現れたのだ。彼はワレスの本心をあばきだすために、答えを今か今かと待ちかまえている。


 もうこれ以上、ワレスは耐えられない。愛する人たちが焼かれていく、その姿。苦しみ悶える声。自分が焼かれるよりツライ。誰一人、失いたくない。ことに……。


 しかし、これは罠だ。この人だけは助けてくれと言えば、死神はワレスの本心を知って、確実に死の世界へその人をさらっていく。


「さあ、選べ! 誰をもっとも愛している?」


 ワレスは叫んだ。

「愛に順番なんてない!」

「嘘をつくな」


 そうだ。自分でもわかっている。順番はある。みんな大切だ。愛した人たち。でも、ことに失いたくない人があった。ワレスのなかで、その存在がとりわけ強く刻みつけられた人。愛の刻印。


(選べない。どちらか一人なんて……)


 ワレスは悩んだすえ、苦肉の策で嘘をついた。


「おれは……おれは誰も愛してない!」


 マイルーザは笑った。


「では、罰だ」


 その瞬間、ワレスの愛する人々が業火に焼かれた。

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