第20話

 *



 ところが、ワレスが部屋の前まで戻ると、ロンドがあとから追いかけてきた。


「逃げちゃいや〜ん。ワレスさまもまざってくださいよぉ」

「なんだ。もう、アイツを解放してやったのか」

「あのまま犯したい気もあったんですけどぉ……ほら、わたくしって理性的だし」

「おまえのどこがだ?」


 決して理性的ではないオバケにひっつかれながら、自室に入る。部下たちもその話し声で起きてきて、朝の仕度を始める。


「おはようございます。隊長。今朝は早いですね」

 背中のロンドを見て、ハシェドが気の毒そうな視線をなげてくる。

「ロンドはどうしたんです?」

 ワレスも知らないので、本人にたずねる。

「どうしたんだ?」

「昨日の血液検査の結果を知らせにきたんですぅ。わたくし、このあと裏庭当番だから。そしたら、ワレスさまが楽しいことに……」


 ロンドはフードの奥の妙にキレイな空色の瞳で、ワレスを流し見る。

「まぜてくれるって言いましたよねぇ? わたくし、忘れませんからね? 絶対、約束ですよ?」


 ギデオンか、ロンドか、どっちがマシかの二者択一。どっちもどっちだ。


「……まあ、それについては、あとであらためて」

「ダメです。もう約束しちゃいましたからねぇ。やった! ついにここまで、こぎつけた」


 朝から、どっと疲れて、寝台に腰かける。


「検査の結果がなんだって?」

「ああ。それそれ。毒成分はおっしゃるとおり、蜂でしたよ。ユイラでもふつうに見かけるアカイロオオスズメバチ。ただねぇ」

「なんだ?」

「その毒の量が多すぎるんですよね。血液中に百匹ぶんの毒成分が残っていました」

「つまり、通常の百倍の濃度だったわけだな?」

「人間なら確実にショック死します。おかげで検出するのがラクでした」


 誰かが濃縮した蜂毒を針にぬり、ワレスを殺すために枕に仕込んだ。だが、ぐうぜん、それをバルバスが目撃した——

 そして、その誰かとは、ミレインなのだ。

 しかし、なんのためにワレスを殺すのか、あいかわらず謎だ。視察は口実で、彼はほかの目的を持って砦にやってきたのである。


「考えるワレスさまって、ステキ」

「はたくぞ」と言ったときには、すでにいる。ロンドは頭を押さえた。

「……なんで? 今日のわたくし、いいことしましたよね?」

「日ごろの行いのせいだ。おまえはもういい。裏庭でも、どこへでも消えてくれ」

「くぅ……ほんとに夜中に子守唄でも歌ってやろうかしら? まあ、いいですよ。ベッドの約束をとりつけたんですからね。ふふふ〜ん」


 浮かれた足どりで、ロンドは去っていった。


(伯爵にミレインについて聞いたほうがいいな)


 個人的にも昔の知りあいのようだったから、何かわかるかもしれない。

 ワレスは当のミレインが帰ってきたときの相手をクルウに頼み、伯爵のいる本丸へむかった。いつもながら、地味で重暗い堅固なだけの砦にあって、別空間の豪奢にかこまれた本丸五階だが、この日はふんいきが違っていた。兵士たちの動きが、いやにあわただしい。


「さすがだな。ワレス小隊長」


 五階に来るやいなや声をかけられる。見れば、近衛隊第一隊長アトラーだ。今日は砦の兵士が憧れる銀のよろいでこそないが、純白のマントをなびかせて、いかにも騎士らしい。階段口の部屋から出てきた彼と、ちょうど鉢合わせした。


「何かあったのか?」

 問いかけると、アトラーは苦笑した。

「勘がしたから来たわけではないのか?」

「それはいくらなんでも買いかぶりすぎだ。おれの勘はいつだって、ちゃんと論拠があるんだ」

「まあいいから、ついでに見ていってくれ」


 アトラーに肩を押されて、その部屋に入った。かるく押されただけなのに抵抗できない。というのも、アトラーはユイラ人には稀有けう巨躯きょくの持ちぬしなのだ。巨人の子孫ではないかとすら思う。ワレスだってユイラの成人男子の平均身長よりは高いのだが、アトラーとならぶと大人と子どもだ。大柄な人種である北三国の血が入っているのかもしれない。もし、アトラーがギデオンと同じ趣味の男だったなら、ワレスは貞操を守りきれないだろう。


「ここは兵士の詰所か?」


 本丸五階には何度も来ているが、詰所をのぞくのは初めてだ。なかは広く、よろいや槍が壁ぎわに整然とならんでいる。長椅子や書き物机、書棚。砦の厳しい冬をすごすための暖炉まである。


「傭兵とはだいぶ待遇が違うな」


 ワレスは嫌味で言ったわけではなかった。思わずそんな言葉が口をついて出るほど、調度品の質も、武器さえも、すべてが異なっていたからだ。


「ここは兵士たちが多くの時間をすごす場所だからな。この左右にある兵舎は、ここほどではない」


 詰所にはアトラーと同じ近衛隊長の位を示す長いマントをつけた男が二人いた。気性の激しそうな青年と、かなり年配の口ひげの男だ。彼のヒゲは伯爵のそれとは違い、本物だろう。


 なんだか、やけに物々しい。

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