兄の夏

 七つ上の兄とは兄弟らしく良好な関係を築けているが、彼とこれまで過ごしてきた夏について思い出そうとすると、べたべたに汚れたままシンクに放り出された包丁や鏡面が割れ散らばる手鏡の残骸に押し入れから投げ出された真白い両足などの不穏な情景の傍らで柔らかに微笑む兄が思い浮かぶばかりで、そうすると母方の実家にいつからか帰らなくなったことや泥にまみれたまま玄関に揃えられていた父の皮靴などの些細な物事が連なって思い出されてしまうので、できる限り考えないようにはしているのだけども、あの夏の午後二時の日射しを背に逆光で真っ黒く塗り潰された顔でこちらを見下ろしていた兄の目の静かさを俺は未だに忘れられずにいる。

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