優しさの話

好きなところをあげる際に「優しいところ」と言われると、人間的な魅力が無いよね、という言説がある。僕もある程度の優しさは持っていると自負しているが、いいところに列挙するほどではないと感じる。それくらいだったら、指が長くて綺麗とか、目が大きくて素敵だという点を自薦したい。

そもそも、僕の優しさは消極的なものだ。なにかしてもらったら、貸しがあるのが嫌でお礼してチャラにしようとしたり、社会通念的にお礼すべきだからお礼する、それだけ。それっぽっちの、言うなれば社会的動物の初期スキン程度の優しさなのに「それを良い点に挙げるしか僕には良い点無いのか」と思ってがっかりする。相手は褒めてくれているつもりでも優しさの価値観がズレているから、勝手に傷つくハメになる。

そう考えると、優しさの価値観が近い人としか仲良く出来ないのだろうな。優しさが露呈する瞬間、優しさを判断してしまう瞬間というのは多々ある。特に飲食店バイトをしていたせいか、外食をする時に相手の動きをよく見てしまう。注文を繰り返す際に聞いている姿勢を見せているかな、食べ終わった時に空いた皿を下げやすいように端に寄せて、持ちやすいように同種の皿をまとめているかな、店員さんが下げてくれる際に「ありがとうございます」って言ってるかなとか。僕が気にしいで店員さんにとって動きやすい動きをしなければいけないと考えているせいでもあると思う。何はともあれ、"採点"されている側ももちろん不快だろうし、無意識に"採点"している側も自己嫌悪している。他人を採点するなんておこがましい。ましてや、食事の席なんて相手も自分もリラックスしたいじゃないか、面接してるわけじゃないんだから。そういった"採点"をしてるから、他人と食事をするのは苦手で、自分を嫌いになる原因になるから億劫だ。

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エッセイ集 ばんだな @bandanajuggling

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