無職の話
新卒入社で就活を行う時に嫌いだった言葉がある。
「社会人になる前に、学生時代でしかやれないことをやっておいてください」
は? なんだよその漠然としたアドバイスもどきは。受け取った人任せのこんな"アドバイス"、言った人が気持ちよくなる以外の効果が無い言葉は無いだろ。時間があってもやりたいことが無い僕には「日々やりたいことがたくさんあるだろ?」と押し付けてくるように感じた。
実際無職になって、学生時代よりさらに時間のある日々を過ごしている。バイトも研究も無い。しなければいけないのは目下、職に就くことだけ。その就活(転職活動?)も始めてから1ヶ月経ったが、日々が無為に過ぎている。日記を2,3日まとめて書こうとしても、昨日と一昨日の区別がつかない。転職活動をやらなければいけないという焦りはあるが、手につかない罪悪感を常に感じながら、でも成果として何もしていない日々。家族が出払った瞬間、世界に置いていかれたような感覚に苛まれて啜り泣きをしている。実家のリビングで昼間から鼻を啜って泣いている26歳なんて異常だ。
転職を経験した元バイト先の友人は、2,3ヶ月遊び倒してから転職したと言っていた。オンオフがしっかりしてるし、罪悪感無く無職タイムを謳歌できるのはすごい。僕は「社会人ならこの時間働いているべき」という社会観念が常に頭にある。それの対処に体力をいたずらに割かれて何も出来ていないのかもしれない。
小人閑居して不善をなす、という言葉がある。暇だとロクでもないことをするといった意味だ。そうだよな、暇があると不安になってネガティブ思考に陥るよなと思って、高校時代から座右の銘にしている。そのため最近はずっと本を読んでいる。読み慣れた本を読み直すのは精神的に良い。展開が分かっていてドキドキは少ないからだ。うちの家(というか母)は読書を娯楽ではなく学習と捉えてるのか、何時間本を読んでいても怒られなかった。そもそも無関心でいてくれてるのかなと思ってリビングでピクミン4をひたすらやっていたら流石に怒られた。無職がピクミンに働かせてるのは流石に良くなかったらしい。
そんなわけでもっぱら無職の僕がしているのは読書だった。僕が読書をして架見崎に行ったりデルフィニアに行ったりすれば、現実世界とは遮断出来た。本を読まなくなった途端に、無職である自分に戻って心拍数が上がって動悸までした。誇張表現に聞こえるが事実なのでどうしようもない。1日3冊くらいのペースで読んでいる──読んでいると言ってはおこがましいほどの斜め読みだが──と達成感もある。なんでも数字として現れてくれると嬉しいものだ。
正直実家に逃げ帰ってきた訳だし、家族からの目を気にしないのなら1年以上働かなくても過ごしていけるくらいは貯金がある。だが、世間から置いてかれる、いや、違うな、罪悪感?劣等感?引け目?みたいなものが巣食って早く職に就かねばと空回りしている。
そもそも何の職が自分に向いているかという基本的な軸についても、就活の時にすら曖昧だったのに分かるわけが無い。
ハローワーク的には26歳はまだやり直しが効くらしい。平均的な26歳においてはそうだろう。しかし、自分がその平均的な26歳に達しているかは疑問が残る。大学同期の社会不適合を自称していた人達ですら辞めずに会社を続けている。外れてしまったレールからもう戻れるような気がしない。何のために生きていかなきゃいけないんだろうって今日も思うし、なんなら明日も思うのだろう。
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