鬱の話
先に警告しておくが、タイトル通り鬱の話なので、繊細な人──生きていくには過剰なほど繊細な僕みたいな人──は読んでいるうちにもらい鬱みたいなことが起きるかもしれない。後述するが、自分でも読んでいてフラッシュバックしそうになった。読むのなら気を付けて。
単刀直入に言うと僕は鬱みたいだ。正確には鬱や適応障害という診断を下されていない。鬱の症状として初めに不眠が挙げられるが、不眠にはならなかった。好きだったVTuber初鹿野ことなが「『不眠じゃなければ鬱じゃない』と医者に言われて、不眠じゃない自分は鬱じゃないと安堵した」と言っていた。しかし、僕は「不眠じゃないということは鬱ではなく、ただの自分の怠惰だったり社会不適合なのが原因なだけなのでは?」と自分の不安を悪化させた。
それは置いておいて、僕は以下の文章では読みやすさを優先して、自分を鬱だと表現する。
鬱の兆候は普段の僕──特に2023年の9月以降──の挙動を見ていればすぐに分かることかもしれない。悩んでいる旨のツイートをして、誰かに心配してほしそうにしている。
今回の鬱の原因は分かり切っていた。職場の風土、雰囲気、そもそも配属先の地域に僕が合わなかったからだ。
最近は仕事をどうやって辞めるか、辞めたとしても引っ越しが面倒だから死んだ方が手っ取り早いのでは、と冗談抜きで考えている。三連休(文化の日によるもの)に至ってもそうだ。外は夏日になるくらいの快晴だが、希死念慮に頭を占拠されている。一般的には、三連休最終日の夕方、早くても昼くらいに憂鬱な気分になるらしいが、僕の場合は2日目の朝から憂鬱になっていた。憂鬱というか、平日みたいに下痢になっていた。借りている部屋が新築だからここを事故物件にしたら賠償額が大きくなりそうだ、だから死ぬなら近くの公園にしよう、とか考えていた。「包丁を持つと衝動に駆られてしまうから包丁を持てなかった」というエピソードをどこかで聞いた気がするが、僕はそうではなかった。一発で致命傷を作れる覚悟も無かったし、死ぬのより痛い方が怖かったからだ。
まだここまで深刻になる前、何人か友人に相談した。
「会社辞めなよ」
正常な思考を持っている人なら、または、僕が今置かれている状況を詳細に伝えられていない人なら、そういうのが自然だろう。まぁ、「1年は我慢しろ」と言ってきた親友もいたが。
会社を辞めるにも手続きがいる。上司に相談しなきゃいけないし、退職のタイミングはいつがいいのか調整しなきゃいけない。書いてるだけでも憂鬱の濃度は高まってくる。辞めたところで次の仕事は? 一年足らずで会社を辞めて精神を患っている人間を誰が採用するのか? そもそも仕事が決まったとして今の僕は精神的に働ける状態なのか? 答えの出ない不安がワンルームに重く漂う。
前回の「言葉の話」でも出てきたが、精神的に病みだしたのは高校生の頃からだろう。ちょうど世間で「男子高校生の日常」が流行っていた時で、「女性がいない空間を一度味わってみてもいいかな」と思ったのが間違いだった。クラスメイトとはいわゆるホモソーシャルな付き合いが出来なかった。加えて、中学とかではコミュニケーションに優れた友人がすぐ近くにいたため、自分からコミュニケーションをとる必要が無かった。そのため、自分からコミュニケーションを取る方法が分からず、「友達だ」と安心できるような友達は出来なかった。その証拠に高校時代の友人とは連絡をもう取っていない。僕は男性性の中で生きていくのは難しかった。精神は一度(その人にとって)深いダメージを負ってしまうと、もう健全な状態には戻らなくなる。ましてや筋肉みたいに、より精神的な負荷に強くなることは無い。人生が百年時代であるならば僕は、養生テープでどうにか固定したようなこの脆弱な精神で残り7,80年近くを過ごさなければいけない。
よく言われる話だが、25歳くらいを皮切りに結婚や出産という話題が周囲で出てくる。職場で語られるのも配偶者や子供の話だ。しかし、仕事と一緒で恋愛においても、鬱を抱えてる人間の市場価値はどうみても低い。僕には既に値引きのシールが何枚も重ねられているのだろう。Twitterで聞いたが、結婚は「普通の人パスポート」だ。正常な生活を送っていることを容易に周囲に示せることが出来る。「異性と適切なコミュニケーションが取れる」「ある程度家事が出来る」「他者と長時間生活することが出来る」これらの人間として最低限備えているべき点を回りに示すことが出来る。
対して、交際経験すらない僕のような人間は「あの人はなにか問題があるのではないか?」という目線を受ける──自意識過剰な点もあるが。それは抜いても、話題に苦労する。家族の話が出来ないのなら、趣味の話をしよう。何か趣味はあるのか?「いえ、特に……」こうなるとお手上げだ。相手がコミュニケーションを取りたくないのではないかとすら思うのも仕方ない。こうやってコミュニケーションは減っていく。会社での僕の話だ。
「生きていればどうにかなる」これは真理だ。どこの企業も人材不足だからなにかしら仕事には就けるだろう。ただ、そのどうにかなった僕は、また君と顔を合わせられるような人間のままだろうか?
鬱は視野狭窄になる。自分の将来が全く分からなくなった。来週は、来月は、生きているのか否か、仕事に就けているのか否か。単位を落とした電磁気学でのあの回答用紙くらい何も描けない。
365日24時間いつ連絡を取っても「大丈夫だよ」っていってくれるような人間関係が築きたかった。「いつでも相談して」といってくれる友人はいるが、毎日夜な夜なSOSを送ることは出来ない。そもそも本当にSOSを送っていい関係性なのか信頼が持ちきれなかった。うまく自分の弱さや愚かさを吐露することが出来なかった。いつでも相談できる相手というと母親しかいなかった。
そういう意味では僕はマザコンなのかもしれない。高校の進学先もそうだし、就職先もそうだし、母親と違う答えを選ぶと間違えている。自分が間違いで、母親が正しい。自分の選択に自信が無くなり、自己肯定感も無くなる。
この話を書き始めたのは11月初めだったが、続きを書こうとすると鬱の感情がフラッシュバックするから手をつけることが出来なかった。序盤には退職の手続きうんぬんと記載しているが、どうにか手続きを進め、11月末には退社することになりその数日後には引っ越しをして地元に戻ることになった。
テキトーに大手の引っ越し会社に頼んで、数日ゆっくりしようとしてたら、「家電はメルカリで売った方が高い」とか「引っ越し業者は相見積もりした方がいい」とかアドバイスをもらった。「~するべき」という思考に支配されがちな僕はすぐに不安になった。メルカリをインストールしたり、引っ越しの他業者に見積もりを依頼したり忙しくなった。
正直、学生時代にバイトして貯めたり、社会人で働いて貯めた金はある程度あるので、そこまで節制する必要は無い。だが、「~するべき」という思考に支配され、一人ワンルームにいると焦燥感に襲われてしまう。
また、転職エージェントには「職歴に3か月以上の空白があると労働意欲が無いとみなされがち」と言われた。執行猶予期間は3か月。退職に伴うひと段落感は無さそうだ。簡単に死ねる方法をうっかり見つけてしまわないように、今日をどうにか生きていく。
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