言葉の話
僕は言葉について自信がある。昔からよく読書をしてきたし、同世代の平均よりめくってきたページの枚数は多いはずだ。自信があるというか──読書をしてきた人がよく陥ってしまうように──それを寄る辺にしている。
寄る辺にしていたとは言っても、書いた表現物をコンテストに2,3回出したことがあったが、選考に進んだことは無かった。手の込んだ料理をレストランで堪能してきただけで、突然料理が出来るようになるわけではない。
そもそも文章力というのは「簡潔に伝える能力」「腑に落ちる比喩や細かな描写をする能力」「長く文章を書き続ける能力」あたりがごっちゃになった曖昧なものだと思っている。上司や取引先とのメールには心象風景は書かないし、友達とのLINEに構想数年の大作を書き下ろす必要は無い。社会人として必要な文章力と、表現者として必要な文章力は大きく違う。
僕が表現者になった、というか創作を始めたのは高校生のころだ。勉強においては中学ではトップだったのに高校では平均、さもなくば平均より下だった。勉強というアイデンティティを失った自分は、藁にすがるような思いで別のアイデンティティを欲した。アイデンティティを失った上に校風にも慣れなかった自分は、いとも簡単に精神的にボロボロになった。高校時代に精神的にダメージを負ってしまったせいで、その後の人生でも精神的な負荷に弱くなった気がする。その件については脱線するので別の機会に書きたいと思う。
精神的にボロボロになった僕は、高校で友達が出来なかった。いや、全くできていないわけではなかったが、中学時代のような気軽な関係をこの人達と将来的に築けるようになると思えなかった。事実、高校で一番交流があった友人とは卒業後一度だけ会う機会があったが、互いに「なにか違うな」と感じたのだろう、二度と会うことは無かった。
気軽な話が出来るような友人が周りにいない高校時代の自分は、コミュニケーションに飢えていた。くだらない話がしたかった。明日の提出物についてではなく、僕が持っていなかったスマホのゲームの感想についてでもなく、帰り道で既に忘れているような下らない話がしたかった。
じゃあ中学時代の友人と連絡を取ればよかったじゃないかと思うだろう。メンタルボロボロになると自己肯定感なんて無くなるので「ちょっと話したいな」って送るのが相手にとって迷惑じゃないかとためらってしまうのだ。もし、その不安を振り切ってLINEして楽しい時間を過ごしたとしても、翌日には同じ重さのさみしさが襲ってくる。「毎日のようにLINEして」と縋りつくことなんてできなかった。前回から十分に日を開けてるかな、またすぐ連絡着て迷惑だと思われてないかな、と不安になってLINEを送ることができなかった──これは今の自分にも当てはまるけど。
その時僕の生命線となっていたのがTwitterだった。本名でアカウントを作ってテキトーに知り合いをフォローしてけば、簡単に友人と緩やかに繋がることができた。
Twitterでは、中学時代のように明るいキャラで振舞った──少なくとも自分にとっては。わざわざみんなに向けて送るなら無意味なものではなく、意味のあるツイートがしたくて、それを考えるようになった。ネタツイートをすれば何個かふぁぼが付いたし、高校では友達がいない僕でもここでは必要とされている感じがした。そこから創作に興味を持った。男子校では存在が確認されていないとされている女子とやらの話をよくツイートした。くだらない学校生活だったけど、もしそこに彼女がいたとしたらもう少しこの日々はマシに出来たのでは? というご都合主義のツイート。他には一つのツイートに収まるくらいの短い小説、というか世界観の設定といった感じのツイートもするようになった。そんな妄想ツイートやネタツイートばかりしてたら、ネタツイート界隈で有名な方に見つけてもらって急にフォロワー数や反応が増えたりもした。書くことで憂鬱な日々をどうにか生きようとしていた。
当時の僕は創作に対する体力が今よりもあったため、ツイートでは飽き足らず長編小説を書くようになった。ただ、プロット──物語の流れを簡潔にまとめたもの──から小説に文字量を膨らますことがニガテだった。また、西洋風ファンタジーを書く際には時代や世界観にあったものかを考証したり、名前の知らない衣装や小道具の名前を調べるのに四苦八苦した。そういう調べものもチマチマしていて好きじゃなかったが、当時の僕はどうにかやっていた。憂鬱な日々の中でもがいていながらも、僕の文章に人を引き付けるものがあることを、数学の公理のように信じていたから。
大学では、ものを書く人、創作する人というのは周囲にはあまりいなかった。ただ単にコミュニティが狭くて出会わなかっただけかもしれない。だからわざわざものを書いている自分は特異がられてちやほやされた。ネタツイをしていた当時みたいに瞬発的に面白い文章は見せられなかった。興味は持たれてるんだろうなと思っても、アクションを起こすのは難しかった。
そんな臆病者の僕だが、今までの人生で二人にだけ創作物を見て感想を言ってほしいとお願いしたことがある。二人とも快く了承してくれて、丁寧な感想をくれた。しかし、なかなか褒めてもらえなかったところを褒めてもらえたことがとても嬉しかったこともあり、すぐ分量の多い次作をその人に送りつけて感想を求めてしまった。
僕は他人が読み進めるスピードを速く見積もる節がある。せっかく読み終えて一段落したところにテトリスが如く、次の大作を持ってこられたらたまったものではないだろう。そういったことが原因でその二人とはなかなか僕から連絡を取ることは無くなり、他人に自分の創作物を薦めることもしなくなった。11年も生きてくると、自分の言葉が己が思っているより優れていないことを自覚する。知り合いや友人の創作物に「面白くない」とは、大抵の人間は言えない。無理やりにでも良いところを探そうとして疲弊させてしまう。ごめんね。
それでもまた最近、エッセイみたいな形で僕が文章を書き始めたのは、やはり「自分のことをもっと知ってほしい」という根源的な欲求だろう。ツイートの140字じゃ足りないことを一方的に伝えたい。
僕の言葉を好きになってほしい、僕を好きになってほしい。高校生だった僕と同じ温度、同じ色でそう唱えながら今日も文章に向かっている。
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