6日目 そうだ、仲直りしよう

 穏やかな揺れが船室内を包んでいる。

 ルイは目の前の簡易ベッドで眠るようにして横たわる少女人形を見下ろした。

 人形ゆえに呼吸を必要としないのか、呼吸による動きが全くなくてぴくりともしないその姿は少々不安にもなる。

 一緒に見ているホウリョクは息の確認をしようとしていらないことに気付きぱっと手を離していたくらいだ。

 ヤミの真っ白な頬は室内を照らす灯りによってなお白く見える。夜色の髪と同じ色のまつ毛で縁取られた月のような瞳は瞼に隠されて見えない。

 人形である以上手当てのしようもなく、またなにが原因で倒れたのかもわからずこうして寝かせておくしかルイたちにはできなかった。

 ティアナたちはまだ戻ってこない。もしかしたらマニは今日中には戻ってこないつもりかもしれないとも考えるが、その場合ティアナたちはどうするだろう。

 まぁ船上にはいるのだから心配はいらないか、とルイは思考を放棄する。

 そもそもあちらをティアナに任せたのだ。間違いはない。

 そう結論付けて、結局こちらはどうするか、という問題に戻る。

 放っておくわけにもいかないし、かと言ってずっとこうして船室に籠っているのもどうなのだろうか。

 悩んでいる間にいつの間にか船室を出ていたホウリョクが戻ってきたのに気付いてルイは顔を上げる。

 少女の両手には紙に包まれたサンドイッチ。


「お昼途中だったんで小腹空きやがりました」


 言いながら片方のサンドイッチをルイに寄越す。食堂で残っていたものをパンに挟んでもらったのだろう、魚のフライとカルパッチョが葉っぱと一緒に挟まっていた。かぶりつくとフライのザクザク感と生魚のねっちょりとした食感が同時にやってきて、不味くはないが微妙な気持ちになった。

 そういえば、とホウリョクがサンドイッチを飲み込みながら口を開く。


「ギンたちは甲板にいやがるみてぇです。ま、悪いことにはならないでしょう」

「そうか」


 こちらの方針は決まらない、と思いながら最後の一口を口に放り込む。咀嚼が終わり飲み込んだところで急に音もなくヤミの目がぱかりと開いた。

 突然すぎてルイとホウリョクは思わず動きを止める。

 予備動作もなしにむくりと起き上がる様子は少し異様だ。


「……?」

「あ、起きたんですね。大丈夫です?」


 我に返ったホウリョクが先にヤミの側に寄り、顔色を窺う。人形だから血色など関係ないと気付いて「あ、」という顔をした。

 それが少し滑稽で、ルイは小さく笑いを嚙み殺す。すぐにホウリョクには気付かれて一瞬睨まれたが。


「食堂で倒れたんですよ、覚えてます?」

「……マニ?」

「うん? ……えーと、マニならちょっと外に行ってやがりますよ」


 恐らく「マニはどこ?」と尋ねてきたのだろうと解釈したホウリョクがヤミに帽子を手渡しながら答える。

 寝るのに邪魔だろうと取ってあった帽子を見下ろしてヤミはぼんやりとしたまま「マニ……」と呟いた。

 倒れる前のことを思い出しているのだろうか。普通の人と違って表情や動作の機微がないのでわかりにくい。


(ああ、それが喧嘩の原因でもあるみたいだったな)


 とは言えルイたちにできることは少ない。それに余計なお節介は苦手だ。するのも、されるのも。

 少女人形を見る。

 きゅうと細められた満月が今にも泣きだしそうだ。

 ルイはガシガシと右手で頭を掻きむしる。あまり難しく考えすぎるのも苦手だ。


「ヤミ」

「……?」

「おまえは、どうしたい」


 きょとん、と少女人形は目を瞬かせる。こてりと首を傾け、ルイを見上げた。

 月色の瞳は困惑に揺れているように見える。


「港に着くまでにはまだ少しある。少し考えてみるといい」

「そうですね。船から降りたあと、どうするか。マニの言った通り帰るもよし、好きなところに行くもよし、です」


 ホウリョクも頷く。

 ヤミは困ったようにルイとホウリョクを交互に見た。

 なにかを言おうとして口をもごもごと動かすが言葉にならないのかそのまま噤んでしまう。

 それを見てホウリョクが手を伸ばし、ヤミの頬を抓った。


「あ、思いのほか柔らかくも陶器のような感触……じゃなかった。難しく考えねぇでいいんですよ。思ったことを思ったまま、言っていいんです」

「……思う?」

「そう。たとえばー、そうですねぇ。わたしなら、港に着きやがったらそこの地酒が飲みたいです! あとはー、その地酒に合う料理探しとかー、楽しいことしてぇですね」

「酒ばっかじゃねぇか」

「いいんですぅー!」


 ホウリョクはルイを振り返ってべぇと舌を出して見せる。

 ルイがくつくつと喉の奥で笑うと、ホウリョクは更に「もーぅ」と頬を膨らませた。

 ヤミは黙ったままホウリョクを見上げている。


「やりたい……」

「はい、なにかありやがります?」

「……マニ、一緒」


 少し考えて、「マニと一緒にいたい」と言いたかったのだろうと納得する。ホウリョクもそう解釈したのかこくりと首肯する。


「それなら、やることは決まってるじゃねぇですか」

「やる?」

「はい。マニとじっくりちゃーんとお話ししやがりませ。それで解決です!」

「話……」


 少女人形は黙り込む。

 発言に難がある彼女には難しいことかもしれない。しかしルイもそれが必要だと思った。


「大丈夫ですよ。今度勝手に飛び出して行きやがったら殴ってでも止めてあげます」

「だ、駄目……!」

「ふふ、冗談ですよー」


 そんな会話をしていると、不意にホウリョクの長い耳がぴくりと動いた。

 ぱっと彼女はドアの方に目を向ける。


「ちょうどいいタイミングじゃねぇですか」


 その声と同時にコツコツと叩かれるドア。

 どうぞとホウリョクが答え、そっとドアが開かれる。

 顔を出したのはいつものように微笑むティアナだった。



***


 マニはティアナに連れられてマニとヤミに割り当てられた船室の前に来ていた。何故か胸の辺りが熱いような気がして服の上からそっと手で押さえる。

 心臓なんてないはずなのに、耳の側でドクドクと脈動する音が聞こえるようだった。

 ティアナがドアをノックして、返事を待ってから開く。

 室内にはルイ、ホウリョク、そしてヤミがベッドの端に座っていた。

 背後に立っていたギンに軽く背中を小突かれ、マニは静かに室内に足を踏み入れる。

 ヤミが不安そうな顔でこちらをじっと見ていた。


「……マニ、」


 ヤミの小さな口から零れる自分の名前に、マニは一歩、ヤミに近付いた。

 ちゃんと話を聞くんだ。そう自分に言い聞かせて、無意味に手を握って開いた。


「ヤミ、マニ、すき」

「……え?」

「……マニ、嫌い……?」


 突然の言葉にマニは目を丸くする。

 それを見たヤミの顔に憂いが走る。

 慌ててマニはぱっと手を振ってヤミに駆け寄った。


「そんなこと、あるわけない! ボクがヤミを嫌いになるなんて、あり得ないよ!」

「本当?」

「ボクが嘘を吐くと思ってるの?」


 ぱちぱちと瞬きしたヤミがふるふると首を横に振る。

 それを見てマニはほうと胸を撫で下ろした。


「どうして、そんなこと急に言い出したのさ」

「……」

「……」


 はくはくと金魚のように口を動かし言葉を探しているヤミを見下ろす。

 ちゃんと、話を聞くんだ。そう自分に言い聞かせながらじっとマニはヤミを待つ。

 ややあって、ヤミは月色の瞳でマニを見つめ直した。


「マニ、嫌い、駄目」

「……ボクが嫌われる? 誰に?」

「たくさん」

「……ボクは別にダメじゃないよ。だって美しくもないウゾームゾーに嫌われたところで、どうでもいいし」

「だ、駄目……」

「どうして? ヤミが嫌われるんじゃないんだよ?」


 ヤミは再び困った顔をして、「駄目……」と小さく呟いた。

 マニだって困ってしまう。こんなにヤミの言っていることがわからないと思ったのは初めてだった。

 ちゃんと理解したいと思う。それと同時にどうしてこんなにわからないんだと行き場のない苛立ちも募る。

 マニは胸に手を当てて自分を落ち着かせようと努める。

 静かに様子を窺っていたホウリョクが視界の端でこてりと首を傾けた。


「もしかして……それ、『ダメ』じゃなくって『イヤ』ってことじゃねーですか?」


 なるほど、とルイたちも小さく頷いている。

 そうなのだろうか。マニはホウリョクを見、そしてまたヤミを見下ろした。

 月色の瞳がぱちぱちと瞬きする。


「ヤミは、ボクがみんなに嫌われるのがイヤなの?」

「……駄目、違う……嫌」

「そっかー」


 なぁんだ、とマニは少しすっきりとした気持ちを覚えた。心持ち、胸の辺りのもやもやも消えた気がする。

 ヤミはマニがみんなに嫌われるのがイヤで、あれをしちゃいけないこれをしちゃいけないと「駄目」を言い続けていたのだ。

 マニがみんなに嫌われるのがイヤな理由は、きっとヤミがマニのことを大好きだから。好きなものが周りに嫌われているのは悲しい。そういうことか、とマニは頷く。

 それがわかればマニだってヤミのことがわかる。自分がなにを言えばいいのかもわかる。

 あのね、とマニはヤミとしっかり視線を合わせた。


「ボク、ヤミに好かれてるんだったら誰に嫌われててもどうでもいいよ」

「……嫌」

「うん、ヤミはイヤかもしれないけど、ボクは平気なんだよ。だって、ヤミに好かれてるんだから」

「……ヤミ?」


 きょとんとヤミは目を瞬かせる。


「マニ、ヤミ、嫌い……?」

「そんなことあるもんか!」


 まったく、どうしてそんな思考に辿り着いたのだろう、とマニはちょっとだけ憤慨する。

 両手ですくい上げるようにしてヤミの両頬を包んで顔を合わせる。


「あのね、ボクはどうでもいい存在に好かれたいとは思わないよ。ヤミだから、許してるんだ」

「ヤミ……?」

「そう。だって、ヤミはボクのナンバーワン・コレクションだからね!」


 ぱちんと弾かれたようにヤミが目を瞬く。

 月色の瞳が喜色に染まった。

 それを見て、マニは「あ、」と小さくこぼす。

 光だ。

 いつか見た覚えのある星の光。キラキラとした、とても眩しくて鮮やかな星の色。

 ずっと、マニが探していた光。


「そっか、こんなに近くにあったんだ」


 ふふ、と笑うマニをヤミが不思議そうに見上げている。

 これはマニだけの秘密だ。だって、知られるのはなんだか気恥ずかしい気がするから。

 背後で静かに見守っていたティアナが「解決したようね」と小さく笑う。「それでええんかい……」と呆れたような声を出しているのはギン。


 こうして、マニとヤミのちょっとした仲違い騒動は終結した。実に人(ルイたち)騒がせな人形たちだ。

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