5日目 そうだ、仲違いしよう
「や、ヤミのぶわぁかぁーーーーーーーーーーっっ!!」
食堂からマニの叫び声が響く。
船を揺らすほどの声を上げて、マニは食堂から飛び出して走り去った。残されたのは止めるに止められず、手を伸ばしたまま硬直するヤミ。そしてぽかんとその背中を見送ったルイたち四人。
どうしてこんなことになったのか。少しだけ、時間は巻き戻る。
***
船が出港して丸一日が経った。
人形ゆえに眠ることのないマニとヤミは夜の間は船員たちの邪魔にならないように、出会ったばかりの四人を起こさないように、ずっと静かに並んで月に煌く海を眺めて過ごした。
朝になって起きてきた船員何人かとルイが二人の姿を見て一瞬目を丸くしていたが、それ以外は特に何事もなく昼時になった。
ルイたち四人にとって船旅は珍しいものではないようで、既に暇そうにあくびを噛み殺しているほどだ。
先ほどまでギンとホウリョクは甲板で無手の手合わせをしていたが、昼時ということでお腹が空いたと食堂へと向かっていった。
「あなたたちも一緒にどう?」
そんなティアナの提案に乗ってマニとヤミも食堂へと入る。まぁ、二人とも食事の必要もないのだが。
六人で同じテーブルにつく。
話の流れでルイたち四人はもう一人の仲間を迎えに行く途中なのだと聞いた。
「一人だけ別行動してるの?」
「ちょっと野暮な用があってノエルは外れてたんですよ」
もう一人の仲間の名前はノエルと言うらしい。
マニは興味が薄いようで、ふうん、とだけ小さく相槌を打った。
テーブルには魚を中心とした料理が並んでいる。新鮮だからと生魚まであって、どれもテカテカと光っていた。
サラダのボウルを確保しながらホウリョクが首を傾げる。
「あれ、マニとヤミは食べねぇんですか?」
二人の前には水の入ったコップしか置かれていない。正直それもいらないのだが。
マニとヤミは揃ってこくりと頷く。
「ボクらは人形だから、生き物みたいに食べたりしないんだよ」
「……人形?」
四人が示し合わせたようにぱちくりと目を瞬いた。
「人形て……ヤミだけやなくて、マニも?」
「うん」
「はぁ~、最近の人形はよぅできとるんやな……」
ギンは感心したようにマニをまじまじと眺める。その視線が少し鬱陶しくてマニは小さく肩をすくめた。
「旅の途中でけったいなもんはぎょーさん会うたけど、人形には初めて会うたわ」
「けったい?」
「おう。山よりでっかい
「ふぅん」
それと同列に並べられるのはなんだか癪に障る気がした。
マニはテーブルの上の皿たちを眺める。そういえば、食器というのもコレクションにする者がいると聞いたことがある。マニのセンスではあまり興味は惹かれないが、こうして色とりどりの料理が乗っているところは見ていて面白いかもしれない。
「うーん、そっちの焼き魚のお皿はいまいちかな。こっちの白いシチュー? の入ったお皿は美しいと思う。コレクションにはいらないけど」
コレクション? と首を傾げる大人たちを無視してマニは続ける。
「あ、このフォークは美しいね! コレクションにしたい!」
「……マニ、駄目」
「勝手に盗ったりしないってば。このペーパーナプキンも美しいね。これならいいんじゃない?」
「……ん、」
横で渋い顔をするヤミが小さく頷いたので、マニはにこにことペーパーナプキンを丁寧に鞄に仕舞う。
マニだって、使い捨てじゃないものは勝手に持って行ってはいけないということくらい知っている。ただしヴァーンの私物以外は、と注釈が入るが。
「コレクションをしているの?」
ヤミとは逆の隣に座ったティアナがアクアパッツァを取り分けながら尋ねる。マニはこくりと頷いて、別の取り分け用トングに手を伸ばした。
カチカチと鳴らすのが面白いのか、意味もなくカチカチ音をさせてヤミに「駄目」と怒られた。
「うん。美しいものが好きなんだ。コレクションして手元に置いておけば、いつでも見れるでしょ?」
「人形(コレクション)がコレクターするんかい」
「ボク知ってる。そういうの、サベツって言うんだ。サベツはんたーい!」
マニがギンを指さすと、ギンはへにょりと唇を曲げた。それを見てその横に座るホウリョクがけたけたと笑う。ルイも少し笑っていた。
「うん、ギンは美しくないな! 醜いまではいかないけど、美しくない!」
「なんやとー?」
「コレクションにいらない」
「はぁー? じゃあホウリョクはどないや」
「なんでですか」
「ホウリョクも美しくはないかなー。でもコレクションにはいらないけど、悪くはないとは思うよ」
「コレクションになりてぇとは言ってねーんですよ」
「ちゅーかヒトをなんやと思うとるんや」
呆れたようにギンは肩をすくめて手元のパスタを頬張る。横でホウリョクが唇を尖らせながらフライの皿を引き寄せた。
ルイはなにかがツボにハマったらしく、小さくくつくつと笑っている。
「人もコレクションなの?」
「美しければね! ティアナさんは美しいからコレクションに入れてあげてもいいよ」
「あら、光栄ね。でもコレクションされてしまったら旅ができなくなりそうだから遠慮しておくわね」
「ちぇー」
口を尖らせて拗ねてみせるがポーズだけだ。横のヤミはマニの服を引っ張って「駄目」と言っているが。
「マニ、駄目」
「どうして美しい人を美しいって言っちゃダメなのさ。褒めてるんだよ」
「駄目」
「醜いって言うのがダメ? どうして? だって醜いんだよ?」
そんな二人のやり取りを聞きながらギンが小さく「ダメしか言うとらんやん」とこぼす。聞いていない二人はそのまま会話を続けていた。
「駄目」
「もー、なんでダメなのさ。ヤミはダメばっかり!」
「……駄目」
「どうして?」
「……ヴァ、ヴァーンさま、困る……」
困っているのはヤミの方だろう。表情に変わりはないが、どうにも伝わらないことがもどかしいようでふるふると首を振っている。
いつになくなにか言いたげで、しかしなにが言いたいのかわからない様子にマニは口を尖らせる。
「……ヤミはいっつもそうだ」
「……マニ?」
「いっつもあの半ミイラ男のことばっかり! 今一緒にいるのはボクなのに。あんなやつ困っちゃえばいいのに、そればっかり!」
「――マニ、」
「もういいよ。どうせヤミはボクよりあいつの方が好きなんでしょ!」
目を丸くして硬直するヤミの手を振りほどいて、マニは椅子から立ち上がる。
「ダメダメダメダメってそればっかり! もうヤミなんて知らない! ヤミは一人で帰っちゃえばいいんだ!」
「……だ、駄目っ」
「~~~~や、ヤミのぶわぁかぁーーーーーーーーーーっっ!!」
きぃんと耳が痛くなるほどの大声を上げてマニが叫ぶ。
同時に走り出したので制止する声も届かない。
ぽかんとしたままマニの背中を見送ったルイたち四人は気まずそうにちらと視線を交わし、残されたヤミを見下ろす。
ゆっくりとヤミの行き場のない手が降ろされる。
「あー……ヤミ、大丈夫か?」
「……」
声をかけても反応はない。
ルイは肩をすくめてティアナの方を見た。ティアナはペーパーナプキンで唇を拭くと、こくりと頷いてヤミの肩にそっと手を乗せる。
「ちょっとマニの様子を見てくるわ」
「はーい、任せましたー」
ヤミの小さな肩をぽんぽんと軽く叩いてからティアナは立ち上がってのんびりとした足取りで食堂を後にする。
「オレも見に行くかー」
「ギンができることってありやがるんです?」
「だぁほ、オレかて慰めるくらいできらぁ。ティアナに男心はわからんやろ」
「おとこごころぉ~?」
「あ? やるか?」
「後にしろ」
ルイに諫められてギンは軽く振り上げた拳を下ろし、ホウリョクに舌を出して見せながら食堂を出ていった。
残った二人はヤミに視線を落とす。
「あんまオレたちが口出すことじゃねえと思うけどな」
「流石に船の上ですからねー。危ないことしてなきゃいいんですが」
「……マニ……」
ぽつりと小さくヤミがこぼす。
それを聞いてルイとホウリョクは顔を見合わせた。正直、あまり子どもの相手は得意でない二人だ。ましてや相手は昨日出会ったばかりの子。
はっきり言って、先ほどの会話もどこまで理解できたのやら。二人から見れば突然マニが一人で怒って出ていったようにも感じられる。
「……ヤミ、いらない……?」
今にも泣きだしそうなか細いヤミの声に、二人は再び顔を見合わせる。
「えーと、ほら、頭に血が上ると思ってもないこと口走っちゃうじゃねーですか。アレですよ、アレ」
「あー、そうだな……。勢いで言っただけだろ、あんま気にすんな」
「……マニ、駄……うぅ……」
拙い言葉遣いでなにかを言おうとしたのだろうが、言葉にならず呻くようにしてヤミは視線を落とす。
ぐらり、その小さな身体が傾いで――がちゃん、と音を立ててヤミは椅子から転げ落ちた。
ぎょっとしたルイたちは慌てて立ち上がり、テーブルを回りこんで少女人形に駆け寄る。
ルイがそっと抱え起こすと力の入らない腕がコトリと床に投げ出される。
「おいおい……」
「どうしやがります?」
「……とりあえず、船室に寝かせておこう」
そう言ってルイはヤミを片手で抱える。抱えた身体は少しひんやりとしていて、とても軽かった。
ホウリョクにドアを開けてもらって食堂を出る。
ルイは耳を澄ませてみたが、近くでマニの声は聞こえなかった。
***
ティアナが甲板に出るとその小さな背中を丸めて海を眺める少年人形はすぐに見つかった。どういうわけか、船首に上って足を投げ出すようにして座っている。
後からついてきたギンと顔を見合わせて、ティアナはその背中に声を掛けた。
「マニ」
「なぁに」
「そんなところに座ったら危ないわ。戻ってこない?」
「だいじょうぶー」
振り向きもせずに答える声に力はない。しょんぼりと傷付いた少年人形はぶらぶらと足を揺らしながら海を見下ろす。
ティアナは甲板から船首のギリギリまで近付いて手すりに掴まりながらマニと同じ方向を見た。白い波が船にぶつかって泡立つのが見える。
特に面白みのないその光景に小さく笑って、ティアナは努めて明るい声でマニを呼んだ。
「どうしてそんなに悲しんでいるの?」
少し離れたところでギンが手すりに凭れて二人を眺めている。
「……別に、悲しくないよ」
「そう? じゃあ、どうして泣いているの?」
「泣かないよ。だってボク、人形だから」
「涙は流せないのかもしれないけれど、わたしには泣いてるように見えるわ」
「……気のせいだよ」
「そう?」
ティアナは言葉を止める。
しばらく風の音に耳を澄ませていると、もぞりと少年人形の背が動いた。
「なんでヤミはいっつもあいつのことばっかり気にするんだろ……」
それは独り言のようでもあり、誰かに答えを教えてほしい語りかけのようでもあった。
ティアナはギンと顔を見合わせる。ギンは小さく肩をすくめると手すりに頬杖をついた。
「あいつ言うんはわからんけど、お嬢ちゃんはおまえんこと一番に思っとるやろ」
「だったらっ、だったらなんでいっつもダメダメって言うのさ。あいつの名前ばっかり出してさ!」
「そないなもん、オレにわかるかい。本人に聞きぃ」
「本人、に……」
「そや。お嬢ちゃん、言葉不自由やけど、喋れんわけやない。ゆっくり聞いたったらええねん。おまえも男ならそれくらいの甲斐性持っとけ、な」
「カイショー……」
マニがちらとギンの顔を肩越しに見る。すぐに顔を背けてまた海の方を見てしまったが、小さくなにかを呟いて考えているようだった。
ギンは少し考えて、その背中に「お嬢ちゃんがおまえを嫌いやなんてこと、あるかい。自信持ち」と声をかける。
マニはそれになにかを返すことはなかったが、ぶらぶらと揺らしていた足がぴたりと止まった。
少しだけ落ち着いた様子の少年人形の背中を見て、ティアナは目を細める。
まだ日が落ちるまで時間はある。ゆっくりと考えさせてあげることはできそうだ。
帆に沿って空を見上げると、どこかから飛んできた渡り鳥がマストの上で羽を休めようと留まろうとしているのが見えた。
ティアナに事情はわからないが、小さな人形たちが気持ちよく船を降りられると良い、そう思った。
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