4日目 そうだ、船に乗ろう

「船に乗ってみたい」


 不意に思いついたマニの一言によって、マニとヤミは港にやってきていた。

 乗ってみたいと言い出したのも、ここが港町だったからでもあるだろう。

 マニはすぐに出港予定となっている船の乗船券を買うと、足取り軽やかにタラップを踏んだ。ヤミも無言でその後に続く。

 天気は快晴。風も穏やかに、広げられた帆を膨らませている。

 頭上では十何羽の海鳥が元気にみゃーみゃーと鳴いていた。


「わぁ、海が輝いてる!」

「反射」

「わかってるよ。もう、ヤミはフゼーがないなぁ」


 そんな会話をしながら宛がわれた船室に荷物を投げ入れ、駆け足で二人は甲板へと向かう。

 マニは走ってきた勢いのまま手すりから身を乗り出して海と港を見下ろした。視界の端で船員が乗り込み用の橋板を回収しているのが見える。

 船はそれほど大きなものではないが、他に大きな船も見当たらないので開けた海がよく見えた。

 キラキラと陽光を反射して煌く海面に、マニはほうと唸る。

 海鳥が少々うるさいとも思うが、それもまた海と言った感じがして良い。

 「出航しまーす」という船員の声が遠くから聞こえる。ぼぉーっと太い汽笛が鳴る。

 ゆっくりと船が港から離れていくのを見て、マニは手すりから更に身を乗り出した。慌てたようにヤミがマニの服の裾を引っ張る。

 無表情ではあるが心配してくれているのがわかって、マニはくすくすと笑いながら「大丈夫」と振り返った。

 あまり身を乗り出しているとヤミが不安そうにするので、マニは船に押される波をちらと見てから甲板に足を下ろした。

 ヤミはほうと胸を撫で下ろすようなポーズを取ってマニの服を離す。


「落ちる、危険」

「だーいじょうぶだよ。そこまで危ないことしないから」


 ジト目でヤミがマニを見上げるが、マニは涼しい顔で帆を見上げた。

 風で大きく張り出した帆が気持ちよさそうに揺れている。

 あれ、と先に声を出したのはどっちだっただろうか。

 揃いの船員服でない恰好をした少女と女性が甲板にやってくるのが見えた。


「わたしたち以外にも乗客って居やがったんですねぇ」


 そんなことを言うのは少女の方だ。

 小柄で外見年齢は人間族ヒューマシム基準で十四歳か十五歳くらいと同じように見える。新緑色の髪は肩につくかつかないかの長さで切り揃えられ、相反するような赤みがかった秋桜色の大きな目が印象的だ。

 髪から長い尖り耳が見えていることから人間族ではないことがわかる。薄い臙脂を基調とした長袖のシャツとケープ、七分丈に折られたズボンと短いブーツ姿は旅人らしい恰好に見えた。

 少女はマニとヤミを交互に眺めるようにしてこてりと首を傾けた。


「保護者は居ねーんですか?」


 この少女、丁寧な発音に対して語気が悪い。

 マニはちらと隣のヤミを見て肩をすくめた。


「二人旅だよ」


 へぇ、と少女は目を瞬かせる。

 その横に並んだ女性がくすりと笑った。


「あんまり詮索してはダメよ。誰も彼も、なにかしらの事情があるのだから」

「……まぁ、そうですねー」


 女性は優しそうな淡い葉色の右目を細めて少女を見下ろした。

 女性の左目は長い前髪で隠されている。ふわりとした優しい色の金の髪。

 ヒールのついた靴を履いているにしても少々身長は高い方。肩が大きく開いたマーメイドドレス姿で、それが女性の魅力を引き出している。街を歩けば誰もが見惚れるような女性だ。

 小柄な少女と並ぶと頭一つは差があるように見えた。

 マニが二人を観察していると、不意に頭上から影が落ちてきた。

 なんだろうと見上げると目が合う巨大な一つ目。


「う、わ……魔獣!?」


 マニの背後の海からのそりとこちらを見下ろすのは単眼ののっぺりした形状の魔獣。全体の形は緩やかな山のようになっていて、色は白っぽい。

 大きさはマニだけでなく女性たちも真上に見上げるほどなので四、五メートルはありそうだ。

 そいつがゆらりゆらりと海面から顔を出してこちらを見下ろしている。

 マニに特出した戦闘力はない。

 後退ろうとしてヤミの手を取った。


「うるっせぇですね。今話してる途中でしょうがッ!」


 言うが早いか少女が飛び出す。ふっとマニの髪が揺れて真横を通り過ぎる。

 ぱぁんっ、と乾いたような湿ったような耳障りな音を立てて目玉が破裂した。

 少女が生身の拳で殴り消し飛ばしたのだと気付いたのは一瞬後。


「……は、」


 意味のない声が口から漏れる。

 破裂し宙を舞う臓物と体液が真っ青な空に映えるなぁなんてどうでもいいことを考えた。

 重力に従って落ちてくるそれを眺めたままぽかんと口を開けていると、ふわりと風が巻き上がる。その風に押されて汚らしいそれらはマニの身体に触れることなく甲板を汚した。

 数回目を瞬いて、はっと我に返り横にいるヤミを見る。


「ヤミ、汚れてない!?」

「……平気」


 その言葉にほっと胸を撫で下ろしつつ、自分でもヤミの姿を確認する。どこにも汚れは見当たらなかった。


「よかった、魔獣の血には毒があるものも多いものね」


 のんびりと頷くのは女性だ。言い方を見るに、彼女が魔法かなにかで回避させてくれたのだろう。

 横でヤミがぺこりと小さく頭を下げるのが見えた。

 その向こう側では少女が核を壊されて崩壊しつつある魔獣にダメ押しの蹴りをお見舞いしているのが見えてしまったが、そっと目を逸らしておくことにする。

 ヤミの袖口にきらりと光る極細の糸が見えたので、一応ヤミも応戦しようとしたのだと気付いた。

 遅れてバタバタと忙しない音を立てて船員たちが甲板にやってくる。

 その後ろからのんびりと歩いてくるのは船員には見えない長身の男が二人。


「なんや、やっぱもう終わっとるやないか」


 変わった訛りで喋る黒髪に浅黒い肌の男だ。

 短い髪を帯状の布でぐるぐる巻きにして、ダボッとした砂色のパンツとぴったりとした黒いシャツにサンダルといういで立ち。切れ長の灰色の目は眩しそうに細められており、少々人相が悪い。

 背中に細くて異様に長い剣のようなものを背負っており、船員ではなく旅人か冒険者だとわかる。

 言い方を見るに、船員か誰かに騒ぎを聞いて甲板に出てきたのだろうが、その割に戦おうという気は感じられなかった。


「あら、遅かったわね」

「どーせホウリョクがいるやろ言うたんやけどなー」

「数が多かったらホウリョク一人じゃ手間だろ」

「ティアナかておるやん」


 女性と仲良さそうに話す様子は二人の男が彼女たちと顔見知りだと知れる。パーティだろうか。

 もう一人の男も背が高い。

 ひと際目を引くのは彼の右目に走る大きな縦傷、そして隻腕であること。左腕の断面を隠すように羽織った外套は襟が大きく開いており、中に着たぴったりとした袖のないシャツすら覆い隠すほど。すらりとしたズボンは足が長いことがよくわかる。

 こちらも身の丈ほど大きな剣を背負っており、戦う者なのだろうと思った。

 マニがぼんやりと観察していると、金色に光る橙の瞳がこちらを見た。鋭い眼光は一瞬だけ冷たさを持っていたが、マニの姿を認識すると和らいだのがわかった。


「他に乗客がいたのか」

「ええ、今少しお話ししていたところ。そしたらホラ、あれが出ちゃって」

「ああ、そら邪魔やな」


 女性がこくりと頷く。

 ちょうど少女が一仕事終えた顔で戻ってきた。


「ちょっとー、誰か手伝ってくれてもいいんじゃねーですか?」

「おまえ一人で十分やないか」

「はぁーっ、これだからギンは。乙女心ってもんをわかってやがらねーんですよ」

「おとめごころぉ~?」


 からかう調子の褐色肌の男の背中(というか臀部)に少女の蹴りが入る。ちょっと人体から聞こえたらいけない音がした。

 くるりと少女が振り返り、マニたちを見下ろす。


「怪我はありませんか? えーと、」

「?」


 あ、と少女は手をポンと打つ。


「自己紹介がまだでしたっけ。わたしはホウリョク・メルヤと言います」


 横で女性がこくりと頷く。


「ティアナ・ウィンディガムよ」


 続いて褐色肌の男が「ギン・カヨウや」と続き、最後に隻腕の男が「ルイだ」と続いた。

 マニはちらとヤミに目を向け、再び四人を見上げる。


「マニだよ」

「……ヤミ」


 それだけの自己紹介だったが四人はそれぞれ頷いて、「しばらくよろしく」と微笑んだ。

 もう一度少女――ホウリョクが「怪我はねーです?」と小首を傾げる。


「ないよ、汚れてもいない」

「ならよかった」


 魔獣の血はしつけぇですからね、とホウリョクは頷く。近くで褐色肌の男――ギンがなにかを思い出したのか、苦虫を嚙み潰したような顔をしていた。

 ううん、とマニは四人をまじまじと見上げ、腕を組む。


「――ティアナさんとルイさんは美、かな」

「は?」


 名指しされた二人はきょとんと目を瞬かせる。

 横からヤミの非難するような「駄目」という声が聞こえた。

 頭上では海鳥が鳴いている。

 楽しい船旅になりそうだった。

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