1日目 そうだ、お着替えしよう

 マニたちの住む神界とは別にこの世界ライノートには地上、そして魔界が存在する。

 神界は主に神族ディエイティストの住む世界。魔界は魔族ディフリクトの住む世界。地上はそれ以外、たくさんの種族が住む世界である。

 とはいえ地上の者たちにとって神界や魔界というものはほとんど空想か神話の世界であり、実際に存在することを知らない者ばかりだ。

 地上を平定するために存在する神族なんて、存在を知っていても雲の上のヒトたちとして自分とはほぼ関わりのないものとして過ごしている。

 そんな地上に行くのだから、とマニは服装を改めることにした。

 それはいいのだが、


「うん、これでボクも地上にいて不自然じゃないように見えるよね!」


 残念ながら別の意味で人目を引く不自然な仕上がりになった。

 少し大きめのシャツに赤みがかったグレーのベスト。ベストと同色のズボンは大きく太いベルトで押さえている。

 シャツは腕まくりをしているものの、大きめなのでゆったりとした口から腕が覗いている。

 ベストと同色の帽子には羽飾りのついたゴーグル。

 喉元にはリボンタイを押さえる夜色の宝石がついたブローチ。

 足元は動きやすそうな紐の短ブーツ。

 斜めに掛けた丸形の鞄が可愛らしい。

 ……見事に、冒険者を勘違いした富豪の子かよそ行きだが街に溶け込もうとはした商家の息子と言った風情である。

 ある意味悪目立ちしそうな仕上がりに、ヤミが無言でマニを見上げる。


「……派手」

「そうかな。これくらいがボクに丁度いいでしょ」


 丁度よくはあるだろうが、周囲に溶け込めているとは言えないだろう。

 とはいえマニは満足そうなのでヤミがなにか言うことはない。

 猫のような耳を持つ獣人族ビァニストの店員に礼を言って店を出る。少なくはないお金はもちろんと言っていいのか、ヴァーンの財布から盗ってきたものだ。そろそろヴァーンも気付いて泣いているかもしれないが。

 マニは満足そうに鼻歌を歌いながら通りを歩く。ヤミも無言でそのあとに続く。

 地上は見たことがないものでいっぱいだった。

 神界でも城下に降りたことはあるが神族以外を見ることがない神界で碧玉の目を持つマニは異様だ。気付く者はマニが人形であることに気付くだろうが、ほとんどの者はそうではない。

 じろじろと無遠慮に見やられるのが不愉快ですぐに遊びに出るのをやめてしまった。

 多少事情を知っている城内の者たちの方がずっといい。

 だからマニはあまり城下の生活というものを知らないのだが、本を読んだり城のバルコニーから城下を眺めたりはしていたので全く知らないわけではない。

 そんなマニが見てもこの街は見たことがないものでいっぱいだった。

 神界には神族しかいない。

 しかしここには様々な種族がいるのも面白い。

 耳が長くて老若男女問わず美しい姿をした妖精族フェアピクスのフレー人、背中に鳥のような大きな翼を持つネリス人、小さく昆虫のような翅を持つエティプス人、背の低い小人族ミジェフもいるし、逆に大きな身体を持つ巨人族ティトンだっている。

 特に特徴の見当たらないのは人間族ヒューマシムだろうか。

 様々な種族が街の通りを行き交っている。

 建物の作りも若干違うように見えて、マニはきょろきょろと周囲を見渡しながら歩く。これといって目的はないので足の向くまま気の向くままだ。

 そうやってふらふらと歩いていたからだろうか、ヤミの声も聞こえない。いや、元々ヤミは無口だからあまり声を出すこともないのだが、気配が遠い。

 気付いたときにはマニの視界は真っ暗になっていた。


「?」


 身体も動かない。なにかに押さえつけられているような不快感。

 後ろ手になにかで縛られたような感覚がしてようやく、マニは何者かに連れ去られたのだと気付いた。


「もごごっ」

「おい、静かにしてろ!」


 少し強めに小突かれて閉口する。

 そういえば、ヤミはどうしたろうか。一緒に連れ去られるような大人しさとは無縁のような気がするが。

 そう考えてそっと耳を澄ます。

 荒っぽい足音と息を切らすこそこそとした話し声。ヤミの声は聞こえない。

 マニがヤミの声を聞き逃すことなどありえないのだから、実際ヤミは近くにいないのだろう。

 歴史的価値はヤミの方が数段優れて高い。

 はて、ではこの者たちの目的はなんなのだろうか。

 内心小首を傾げていると、マニは少々乱暴にどこかへ投げるようにして降ろされた。


「むぐぅ……」


 マニは繊細なのだから丁重に扱ってほしいものだ。こう言うとヴァーンなどには「え?」と言われかねないので黙っているが。

 目隠しが外され、周囲の様子が見られるようになった。

 さて、マニを攫ったのはどんな輩なのやらと辺りを見渡す。

 薄暗い倉庫のような場所だ。乱雑に大きな箱がいくつか置かれているように見える。

 人種ならば暗くてよく見えづらいだろうが、人形であるマニにはあまり関係がない。大人の姿をした男が二人、女が一人、もう一人は強い髭面の子どもにも見える男が一人。最後の一人は小人族だろうが、他の種族はわからない。人間族のように見えるのでそうかもしれない。

 服装は総じて質素。外見的特徴はほくろやそばかす、傷跡などが見えるもののマニの趣味ではない。

 ただ、


(なんて、醜い)


 にたにたとマニを見下ろす様は非常に不愉快だ。

 男の一人がマニの口元に手を伸ばし、猿ぐつわを外した。

 口元の不快感がようやくなくなり、マニはほっと胸を撫で下ろす。


「さて、ボウヤ。アタシたちお金が欲しいの。パパかママの連絡先を教えてくれる?」

「身なりがいいし、さぞ可愛がられているんだろうなぁ」

「近所では見かけないし、観光にでも来たのかな」


 声まで耳障りで、後ろ手に縛られていなかったら両手で耳を塞いでいたくらいだ。

 マニは不機嫌な様子を隠しもせずに、「パパもママもいないよ」とだけ言った。


「だったら保護者。さっさと教えなさい」

「保護者……ううん、あの醜悪半ミイラ男をそう呼ぶのは業腹だなぁ。でも他にいないし……いや、そもそもボクは今、家出中なんだ。連絡なんてするもんか」

「はぁ? そんな言い訳が通用するわけないだろうが」

「やっぱりこのガキ自体を売った方がいいのかね」


 あまり戸惑った様子もないことから初犯ではないのだろう。そもそも人身売買はヴァーンが禁じていたはずだからこの人攫いたちは結構な犯罪者だと見ていい。

 ふうん、とマニはつまらなそうに一同を見上げた。

 日が傾いているのが薄っすらと入り込んだ夕日の光で見て取れる。

 そろそろかな、とマニは口を開いた。


「ボクを売ってお金にするために攫ったの?」

「ああ、保護者に連絡がつけばそっちから身代金をたんまり貰ってやるつもりだったがな」

「別にあの馬鹿半ミイラ男の手先ではないんだね。まぁこんな醜いものを使うほど落ちぶれてはいないか」

「このガキ、自分の立場わかってんのか?」


 男の一人が声を荒げるのに顔をしかめながら、マニは天井を見上げた。


「ああ、来たね」

「なに?」

「お迎え」


 人攫いたちがなにかと再度問おうとした瞬間。

 天井が落ちた。


「――マニ、連れていく、ダメ」


 鈴を鳴らすような、幽かな声。

 落ちた天井は鋭利なもので雑多に切られたのか四方八方にすっぱりとした断面を晒している。

 マニの周辺にだけは欠片として落ちなかった。

 人攫いたちは頭を庇いながら悲鳴を上げる。

 しゅるりと音がして、マニを拘束する紐が切られた。それは極細の糸。

 マニはくるくると手首を回して違和感を解消する。

 その間に天から降ってきたヤミは指先から繋がる不可視の糸で人攫いたちを拘束した。


「マニ、無事」

「ああ、無事だよ。流石はヤミ! 仕事が早いね!」


 そう言って褒めると、ヤミは無表情のまま目を細めた。マニにはわかるが、どうやら喜んでいるようだ。むしろマニにしかわからないとも言う。

 キーキーと喚き立てる人攫いたちを無視してマニはヤミのそばに歩いていく。

 ヤミはくるりと手を回して糸を何十にも重ね人攫いたちの口を塞いだ。ヤミも不愉快だったようだ。


「もごーっ」

「ううん、これはどうしたらいいんだろうね。放っておくかな」

「来る、困る」

「あー、そっか。また来られても困るよね。どうしよう」


 二人に人攫いのような犯罪者を突き出す場所などの知識はない。

 どうしようかと首を捻っていると、突如大きな音を立てて扉が吹き飛んだ。唯一の出入り口だったらしいそこは搬入口でもあったのか、だいぶ大きく重たそうな扉だったのだが。


「っべ、人いた! 怪我はないか?」


 入ってきたのは人間族に見える青年。年齢で言うと十六か十七程度。二十には届かないくらい。

 短い黒髪に黒い三白眼のあまり大柄ではない中肉中背。

 手にはところどころに釘のようなものが刺さった変わった形の木の棒が握られている。武器だろうか。

 人攫いたちも訝しげな顔をしていることから仲間ではないようだ。

 青年は倉庫の中に踏み入れながらマニとヤミを交互に見、そして足元に転がる人攫いたちを見て目を丸くした。


「あー……子どもが攫われたって聞いて探してたんだけど」

「ああ、ボクのことだね。犯人ならこの足元の芋虫たちさ」

「あ、そう」


 青年は懐から何枚かの紙を取り出して人攫いたちの顔を見ている。マニが近寄って覗き込むと青年はマニが見やすいようにと紙を寄越してくれた。


「人相書き?」

「そ。こいつらこの町や周辺で指名手配になってたんだ。小綺麗な子どもばっかり狙っての犯行だからいい加減人相書きを配ることになってたんだけど……見つかってよかった」


 ふうん、と相槌を打つものの、もうマニは興味を失っている。

 それよりも日が暮れてきたのだし、今日の宿を探さなければ。いくら世間知らずのマニとて、マニとヤミのような外見の者が暗くなってから外をふらふらしている危険性と異様さはわかっている。

 マニとヤミは人形だ。眠る必要性はない。ただずっと動いているのは疲れるから休むことはある。その時間をできるだけ夜にしておけば、周囲に溶け込むのは容易だ。

 ……本人たちが思っているほど容易ではないけれど。


「じゃあヤミがお手柄ってことだ」

「流石に手柄を横取りするような真似はしねーよ。ええっと、オレはソル。おまえらは?」

「ボクはマニ。こっちはヤミ」


 青年、ソルは自分の荷物の中から丈夫そうなロープを出してヤミの糸の上から人攫いたちを更にぐるぐる巻きにした。

 ソルは懐から冒険者登録証を取り出してマニに見えるように差し出す。


「今ギルドで子どもが攫われたからって動いてたんだ。無事の証明もしたいし、一緒に来てくれねーか」

「迎えに来たのはヤミの方が早かったけどね。まあ、いいよ」


 ちらりとヤミに視線をやると、特に興味はなさそうにマニの側に立っている。

 二人の様子を確認したソルは人攫いたちを引きずるようにして倉庫を出た。マニたちに向かって手招きしている。

 素直にソルに従って倉庫を出る。だいぶ日が傾いていた。



***


「おっそーい!」


 そう言いながら冒険者ギルドで三人を迎えたのは金髪碧眼の美少女……ではなく少年だった。

 ソルよりは小柄で、マニよりは背丈がある。

 耳の形が魚のヒレのような形をしていることから妖精族のディアメル人らしい。鱗や手足に余分なヒレなどが見えないので変化は上手い方。

 初対面に遅いと怒られる所以はないからおそらくソルの知り合いだろう。

 そう思って横を見上げれば、不愛想な顔を更に歪めて鬱陶しそうな表情を隠しもしないソルが少年を見ていた。


「グリー、二手に分かれて探そうって言ったろ。なんでおまえはギルドで休んでんだよ」

「使い魔にちゃんと探らせたもーん」

「こいつ……」


 ソルはため息を吐いて首を振る。

 興味のないマニは横に佇むヤミを見た。

 ヤミはもう勝手にどこかへやってしまわないようにか、マニの服を小さな手でしっかりと握っている。

 あくびを嚙み殺す。……マニは人形だから、あくびなんてしないけれど。


「ねぇ、宿を教えてほしいんだけど」


 マニの声を聞いて、二人ははたと顔を見合わせた。グリーと呼ばれた少年に至っては今初めてマニたちの存在に気付いたようですらある。


「宿?」

「宿。探してたら攫われたんだよ。まったく、迷惑な奴らだよ」


 腕を組んで頬を膨らませるマニを見下ろして、ソルは肩をすくめた。

 まだ地上に降りて初日だというのに、なんだか慌ただしい一日が終わりを迎えようとしていた。

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