0日目 そうだ、家出しよう
マニは怒っていた。
まろい頬を膨らませて、肩を怒らせて長い廊下を速足で歩いていく。
それを見た神族(ディエイティスト)の者たちは「ああ、また長さまとなにかあったのかな……」と道を譲って生暖かい目で眺めている。
それほどまでにいつものことではあるのだが。
マニが暗い倉庫で目覚めてからいくらかの季節が過ぎた。
神族は地上の者たちと違ってゆったりとした時間の流れを生きている。その中で暮らすマニもまた、時間の流れには疎い。
なにせマニは人形。老いもしなければ成長もないのだ。
倉庫で目が覚めてから彼は神族の長ヴァーンに「マニ」という名を与えられて割と自由に過ごしてきた。
あまりにも適当に名付けられたので当初は大嫌いな名前だったが、周囲の者たちが「呼びやすくていい名前だ」「可愛い」「似合っているよ」と褒めちぎってくれなければ今でも嫌いなままだったかもしれない。
マニは怒っている。
せっかく心を得て、こうして動けるようになったというのに自身を遊ばせておくヴァーンに。
手伝おうにも慣れておらず邪魔にしかならない己に。
そして今日も無意味な喧嘩(というかむしろ一方的にヴァーンを責め立てるマニという構図)を経てヴァーンの執務室を飛び出してきたところだ。
執務室に度々入り浸っているのはマニが勝手に侵入しているからなので、もしかしたらヴァーンとしては出て行ってくれて清々しているくらいかもしれないが。
……そう思うとマニは余計に腹が立つ。
「ヤミ、家出するよ!」
バタンと大きな音を立てて居住区にある部屋の一つに押し入る。
そこはマニに割り当てられた部屋なので勝手に入るのに問題はない。
だが、乱暴に開け放たれた扉の音に中にいた影はきょとんと眼を瞬かせた。
「……家出……?」
小さな細い声で繰り返すのは小柄な人形だった。
いや、人形だと思えば大きい方かもしれない。
マニは元より人の子と同じ大きさで作られているので大きいも小さいもないのだが、その人形はまた別だ。
短い裾から覗く足の関節には球体が嵌め込まれており、大きな球体関節人形であることがわかる。
夜を思わせる黒髪は肩につかない程度に伸ばされており、道化師のような二股の帽子に包まれている。
左右で色の違う帽子は明るい昼のような黄色系と夜のような藍色。そしてそれは上着の色とも同じだ。
白い襟には小さなリボンがタイのように縫い付けてあり愛らしさを演出している。
つるりとしたフォルムの藍色の靴を履く足は柔らかそうではあるが人形らしい硬さも感じる不思議な塩梅。
真ん丸な月を思わせる瞳は眠たそうに少し伏せられていた。
人形が動けば帽子についた星と月の飾りがしゃらりと揺れる。
「マニ、扉、ゆっくり、静かに、開ける。乱暴、ダメ」
先ほどのマニの発言をまるっと無視して人形――ヤミは諭すようにのんびりと声を出した。
当然のように動いているが、別に神界の人形がこうも簡単に動くわけではない。
ただ単に、マニがヴァーンに我儘を言って倉庫に眠っていたお気に入りの人形に魔力を注ぎ込んでもらった結果だ。
もちろん言うほど簡単なことではないし、ヴァーンの腹心たる四天王たちであってもできることではない。というかヴァーンも簡単にやってのけたように見せているだけで実際は数日動きたくなくなるくらいにはしんどい思いをしたのだが。
そんなヤミはマニのお目付け役兼ストッパーとしてマニの部屋を自由に出入りしている。
いつもだったらマニの行くところには一緒に行くのだが、今日はマニが一人で飛び出していったので部屋で大人しく待っていたのだ。
そんなヤミの様子を見てマニは一層むっすりと唇を尖らせる。
「そんなこといいから。ヤミ、家出するよ、準備して」
「……なに」
「なーんでもいいから! もうあんなアホアホ半ミイラ男のことなんて知るもんか」
「……ヴァーンさま、悪口、ダメ」
「ダーメーじゃーなーいー」
言いながらもマニは部屋にいくつかあるシェルフ棚や引き出しからあれこれと箱を取り出しては同じように取り出した鞄の中に詰めていく。
それはナイフやランプではなく、実用性があるのかわからない色付きティッシュやだるま落としの木槌、くるみボタンなんてものばかりだった。マニの宝物――コレクションの一部だ。
ひとしきり詰め終わると、マニはよしと呟いてヤミの方へ向き直った。
「さ、行くよ」
「……どこ?」
「地上!」
にーっこりと笑った少年人形に、少女の形をした人形はなにも言わなかった。
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