少年と犬

 闘技場を前に急に騒ぎ始めたセラスを扱いかねていると、フォルスは向こう側から犬を連れた中年の男性が歩いてくるのに気がついた。男性は闘技場を指さして騒いでいるセラスを見つめているようだった。


「あの、ちょっと……誰か見てますよ」

「え、あ、えーと……やだもう、あははは」


 我に返ったセラスは照れ笑いを浮かべる。


「やあ、もしかしてデイノ・カランのゆかりの地でも見学に来たのかい?」

「え、あ、そんなところです。僕は付き添いで」


 男性はフォルスとセラスに話しかけてきた。


「そうかい。中には入れないけど、ゆっくり偲んでいってもらえると嬉しいな」

「失礼ですけど、貴方は?」

「僕かい? 昔ね、そっちの御屋敷で少しお世話になったことがあってね。師事していたのはデイノ・カランじゃなくて息子のほうだけど」

「ほ、本当ですか!? え、うそ、え、本物!?」


 フォルスが驚愕するより先にセラスが大きな声を出した。興奮のあまり言葉が続いていないようだった。


「あの……この人デイノ・カランの大ファンなのでよかったら詳しいお話伺ってもいいですか?」


 セラスにかこつけてフォルスは男性からさりげなくジェイドの情報を引き出そうとした。


「いいよ、僕なんかの話で良ければ」


 男性は快く応じた。フォルスはこれがティロ・キアンとジェイド・カラン・エディアを結びつけるまたとない機会になると思った。


「あの、貴方は?」

「僕はサロス・カルニオ。あの頃は上級騎士試験に合格したばかりで、運良くカラン家の護衛としてセイリオ様に稽古もつけてもらってたんだ」

「う、羨ましいですね! 私も、セイリオ様と手合わせできたらと思うと、思うと……」


 セラスは拳を顔の前で握りしめて、一層瞳を輝かせた。


「お嬢さんが剣技をされるんですね、女性の方も小説好きな方がたまに来るけど……自分で剣技もされる方は珍しい」

「はい、私剣豪小説も大好きですけど、どちらかと言うと剣技のほうが本分でして、その!」


 セラスの熱心さは言葉にならないところにまで来ているようだった。


「あの、少し落ち着いて……」

「落ち着いていられますか! この方は歴史の生き証人なんですよ!」


 興奮して訳のわからないことを言い始めたセラスをフォルスは放っておくことにした。


「ところで、御屋敷にはどなたがお住いに?」

「カラン家の方々ですよ。僕が仕えていたときには当主はセイリオ様に譲られて、デイノ様は娘さんの家で過ごされてましたけどね。セイリオ様の御一家と、あと弟のソティス様の奥様と子供さんたちですね。ソティス様はあまり家には戻られなかったので」

「確かセイリオ様は親衛隊長で! ソティス様は顧問部総長だったとか! そうですよね!」

「そうです、よくご存知ですね」

「ええもう! 私も剣術指南は大好きで! 兄と暗唱したのです!」

「本当ですか! 懐かしいな。あの頃エディアで剣技をやっていれば皆唱えられたんだよ」

「ああ、私もその頃に生まれたかった……!!!」


 サロスはセラスの大変熱心な様子を見て微笑ましく思っているようだった。


「その、息子さんの稽古は厳しかったんですか?」


 フォルスはセラスのデイノ・カラン語りになりそうになったところでさりげなく当時の様子を聞くことにした。


「そりゃもう……厳しいというか、怖かったよ。一本筋の通った由緒正しい剣技なんだけどね、カラン家はとにかく圧が違う。あの家の人たちはみんなそんな圧を持っていたね。剣を持って前に立つだけで、何だかこう、威嚇されているような気分になったよ」


 フォルスとセラスは剣を持っているときの尋ね人のことを思い出していた。剣を持っているときだけは普段見せる様子と変わっていた彼の様子と一致した証言だった。


「他の方々も一緒に稽古に?」

「もちろん。どちらかと言うと身内の稽古の末席に僕が参加させて貰ってたみたいなものだったよ。セイリオ様の息子さんと、ソティス様の息子さんだね。おふたりとも僕なんかよりずっとずっと剣技に長けていたよ」


 おそらく尋ね人と思われる少年が話に登場したことで、フォルスは何とか彼の情報を引き出そうとした。


「おふたりはお幾つだったんですか?」

「ソティス様の息子さんは確か12歳か13歳、セイリオ様のほうはまだ10歳にもなっていなかったよ。ふたりの試合は僕も見ていて痺れるようだったよ、こんなに幼いのにこんな試合が出来るのかって」

「ど、どんな試合だったんですか!?」


 セラスが身を乗り出して尋ねる。ジェイドのことを知りたいのか、己の好奇心からなのかフォルスには区別がつかなかった。


「先程も言ったけど、圧を感じる試合だったね。それまではどこにでもいそうな普通の子供なのに、剣を持った瞬間気合いが入るって言うのかな……これがカラン家の血なんだなって思ったもんだよ」

「剣以外は普通、だったんですか?」


 フォルスが何とかそれ以外の情報を聞き出そうとする。


「いや、そうでもないか。ソティス様の息子さんは学業にも優れていてね、親衛隊より顧問部希望とよく言っていた。セイリオ様の息子さんは、なんていうか……面白い子だったね」

「面白い?」

「公開稽古なんかでも、かなり年上の子相手に型にはない剣撃を仕掛けて圧倒して、相手が何か言ってきたら『悔しかったら勝ってみろ』って挑発していたよ。それでよく苦情を言われて、セイリオ様にいつも叱られていたよ。稽古でも『まずは型だ、その自己流の型は何だ』っていつも言われていたね」

「自己流、ですか?」

「そう、なんて言うのかな……僕も何度か相手してもらったけど、かなり独特の撃ち方をしてきてね。デイノ様はそれを見て『勝てばいいんだ、勝てば』ってよく笑ってて……ああ、デイノ様にそっくりだなって思ったものですよ」


 フォルスはゼノスから「癖のある撃ち方をする」という証言があったことを思い出した。やはりセイリオ・カランの息子のジェイドは尋ね人に相当するようだった。


「その子たちは……」


 楽しそうに思い出話をしていたサロスは、ふっと寂しい顔になった。


「残念ながら、あの時、ね。ソティス様の息子さんはご家族で処刑されました。セイリオ様の息子さんは、遺体すら見つかりませんでした。あの時はそういう人もたくさんいたので……」


 サロスの言葉に一同は寂しい顔になった。


「そうですか……それより、可愛い犬ですね」


 セラスはサロスの連れていた大きな白い犬の頭を撫でた。


「ああ、この子ですか。実は御屋敷で飼ってた犬が子供を産みまして、この子は孫の代に当たるんですよ。僕なりのカラン家への供養なんです」

「そう、なんですね……!?」


(犬を飼っていた、だって!?)


 その瞬間、フォルスとセラスの心臓が一段と高鳴った。


「あ、あの。良ければ、その最初に飼ってた犬の名前を教えて頂いてもよろしいでしょうか?」


 セラスもフォルスの言わんとしていることを察して、さりげなく援護する。


「こ、今度私も犬を飼おうかなと思ってまして、せっかくだからカラン家にあやかった名前にしようかなと思いまして……」


 サロスは大変熱心なセラスの様子を見ていて特に不審に思わず、質問に答えた。


「そういうことなら、あの子たちもきっと喜ぶよ。スキロスとキオンだ。二匹は随分前に死んでしまったけど……今頃あの子たちと天国で再会できてるといいなと、僕は思っているよ」


 それじゃあよい観光を、と言って去って行くサロスの後ろ姿を二人は呆然と見つめていた。誰もいない屋敷の中で、2匹の犬と遊ぶ少年の姿を見た気がした。彼が100人以上のオルド兵を斬り捨て、トライト一家を抹殺して親衛隊を4人も斬り殺したティロ・キアンであることを確信しているのはここにいる二人と、どこかで生きているだろう本人だけだった。


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