懐旧編

第1話 15年前

戦災孤児

 テレス・コビア監察官のところに警備隊員2名が負傷し、その容疑者が護送されてくるという話が入ったのは始業後間もなくであった。


「わざわざ遠くからすみません」


 リィアの政変を皮切りにあちこちで紛争が起こり、ビスキ及びエディアの侵攻によって各地の治安は悪化していた。その中でも戦災孤児と呼ばれるような子供は多く、テレスはそんな子供たちの事件を扱うことに関して定評があった。呼び出されて向かった拘置所に到着すると、数名の警備隊員が出迎えた。


「いや、それは構わないのだが……この件は本当に私でいいのか?」

「多分テレス殿でないと手に負えないと思います。この詰所にいる我々では到底無理です」

「やってみれば難しいというものではないのだが……」

「いえ、テレス殿の経験が頼りです」

「そんなに大したものではないのだけどね」


 テレスは容疑者が拘束されているという部屋に入り、警備隊員二名を負傷させたという容疑者の姿を観察した。


 手錠をかけられ、椅子に縛り付けられていたのは10歳前後の少年だった。取り押さえられる際に殴られたのか、目の上が腫れ上がって痣になっていた。少年はテレスの姿を見ると顔を伏せ、拒絶の意を示していた。テレスは少年の姿を観察し、取り押さえられた際の様子のメモをもう一度確認した。


 早朝に足を引きずって歩いている不審な少年を見つけたため、警備隊員が声をかけたところ突然ナイフで斬りかかってきたという。隊員が驚いている隙に少年は逃走を試みたらしかったが、足に怪我をしていたせいか逃げ切ることができず応援に駆けつけた隊員に取り押さえられたとのことだった。取り押さえられた際もかなり暴れたそうで、その際にもう1人隊員にナイフで重傷を負わせたために厳重に拘束されているのだった。身元や逃げようとした理由を尋ねても口を開くことはなく、テレスが来るまで少年は沈黙を保っていた。


(なるほど……それで私が呼ばれたのだな)


 彼が具体的に何をしたのかははっきりとしていなかったが、何かやましいことを抱えているのだろうと推測された。またナイフを持っていたとはいえ、訓練を受けている警備隊員を負傷させるほどの能力を持ち合わせていたことも気になる点ではあった。しかし少年は一切を語らず、少年犯罪を得意とするテレスが呼び出されたのであった。


(どこかで戦う訓練でも受けてきたのか、それとも身につけざるを得ない環境にいたのか。いずれにしても下手に刺激をしないほうがいい)


「名前は言えるか?」


 少年はテレスの声に反応し、わずかに顔を上げたが声を出すことはなかった。


(耳が聞こえないわけではないようだな……)


「何も喋りたくないのか?」


 やはり少年は口を開かなかった。顔色は非常に悪く、体は緊張のせいか固くなっていたが今にも崩れ落ちそうなほどぐらぐらと揺れていた。


(今は特に暴れるというわけでもないし、単に疲れているだけなのでは?)


「そこに縛られていては疲れるだろう、少し一人で頭を冷やした方がいい」


 テレスは少年の手錠以外の拘束を解き、独房へ連行することにした。思いのほか少年はおとなしくテレスに従ったが、右足を怪我しているのか歩きにくそうにしていた。


「その足はどうしたんだ?」


 その質問にも少年は答えなかった。ただ、地下へ続く階段の前で少年は歩みを止め動かなくなってしまった。


「どうした、行くぞ」


 階段を降りるようテレスは促したが、その場に少年は立ちすくむばかりだった。


「動けないなら連れて行くぞ」


 足の怪我のせいで階段を降りられないと思ったテレスは動かなくなった少年を抱きかかえると、独房の前まで連れて行った。


「ほら、ここにいろ」


 独房に硬直している少年を置いて扉を閉めると、途端に少年が暴れ始めた。それまでのしおらしい様子と打って変わって、扉を大きく叩いている。


「どうしたんだ、何か言いたいことがあるのか?」


 扉を開けると少年が独房から飛び出してきた。テレスが驚いていると少年は胸を押さえて通路に倒れ込んだ。ただでさえ悪かった顔色は蒼白になり、大きく肩で息をしているようだがうまく呼吸が出来ていないようだった。


「落ち着け、しっかり息を吐くんだ」


 テレスは少年を抱き起こした。苦しそうな呼気の間に途切れ途切れに「外」と言うのが聞こえたので、テレスは少年を抱えて地下を出ると詰所の裏庭の扉を開けて少年を地面に降ろした。外気に触れるところにやってきて、少年の呼吸はやっと安定してきた。そして少し安心して気が緩んだせいか、そのまま気絶してしまった。


***


 気絶した少年を医務室で休ませると、テレスは改めて少年を観察した。全く手入れがされていない髪や泥まみれの服などは少年が長い間屋根の下で暮らしていないことを物語っていた。更に地下へ連行したときの硬直や独房へ入れた後の様子から何かに非常に怯えているのだろうと推測した。


(よほど酷い目にあったのだろうか)


 何故足を怪我していたのか、そして何故警官にナイフを向けたのか。テレスは直感でこれ以上彼が何も語らないだろうということを予測していた。


(そう言えばここ2日雨が続いていたな、こいつは一体どこにいたんだろう)


 路上で生活する者にとって、雨は死活問題だ。雨に濡れて体が冷えれば命の危機に直面するし、乾いた寝床を巡って争いが起こることもある。少年の服に泥がついているところから、テレスは十分な睡眠もとれていないだろうということを察した。


(案外腹が一杯になれば少し警戒を解くかもしれないな)


 テレスは簡単な食事を持ってきて貰うと、少年の枕元に置いた。すると物音のせいか匂いに釣られたのか飛び起きた少年が猛然と食事に手をつけようとした。しかし未だ外していない手錠とテレスの存在に気がつき、少年は食事から手を放してしまった。


「大丈夫だ、食べていいぞ」


 少年はテレスと食事を見比べていた。手錠を外すと、少年は申し訳なさそうに小さくなってやっと食べ始めた。


「腹減ってたんだろ?」


 テレスが尋ねると、少年は大きく頷いた。


「それじゃあうまいだろう?」


 今度は少年は首を大きく横に振った。


「そうだよな、味なんかわかんないか」


 少年はテレスを見上げ、小さく頷いた。その瞳には涙が溢れていた。あっという間に食事を平らげた少年に、テレスは再度質問した。


「それじゃあ、お前の名前を言えるか?」


 相変わらず少年は顔を伏せたまま、小さく首を横に振った。


「それは話したくない、ということか?」


 今度は首を縦に振った。


(おかしいな、簡単な質問には首振りで答えるのに名前を言いたくないとはどういうことだ?)


 経験上、テレスが意思疎通が困難と判断した子供は耳が聞こえないなどの障害を除けばほとんどがこちらの質問には全て無反応であった。この少年のように首を振って意思疎通を図ることも全くなく、彼らは屍のようにただ存在していることがほとんどだった。


(何か言いたいことはあるのだろう。しかし、それなら何故何も言わないのか。耳が聞こえないのでなければ、あるいは……)


 テレスは経験上思い当たる要因を探り出した。


「もしかして、話したくても声が出せないんじゃないのか?」


 テレスの言葉に少年は驚いたような顔をし、小さく頷いた。


「そうか、それは辛かったな。たまにいるんだ、声の出し方を忘れる奴って言うのが」


 テレスは部屋に置いてあった紙と筆記用具を少年に差し出した。


「読み書きはできるか? 出来るなら、これに言いたいことがあれば書くといい」


 少年は紙を受け取ると何かを書き付け、テレスに渡した。そこには思いのほか几帳面な字で「放っておいてください」とだけ書かれていた。


(そう言われても、困るんだよな……)


 再び少年を見ると、多少落ち着いたように見えたがますます怯えているようで、テレスから顔を背けて何かに警戒し続けていた。

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