キアン姓
シャスタとの話を終えたティロは久方ぶりにライラをライラとして再会していた。海に行ってきたからなのか、ライラは以前よりもしっとりと大人らしい雰囲気になっていた。
「もう、怒られちゃったよ。話と違うだろうって」
「勝手に話を盛った君が悪いよ」
ライラは屋敷の中でシェールと話をしていたようだった。
「だってどこの世界に女の子縛って亡命していく奴がいるのよ」
「それは、まあ、ここにいるんじゃないか?」
「……もういいわよ。それより、お土産はどうだった?」
この件についてのまともな会話を諦め、ライラは話題を変えた。
「ああ、まさかあんなデカい土産を持って帰ってくるとは思わなかった」
「気に入ってもらえたようで何よりよ」
満足そうなティロを見て、ライラも満足したようだった。
「それで、どうなの? ここは」
「最高だね。こんなに毎日自分の剣技に集中できたのは何年ぶりかな」
ティロは晴れ晴れとした顔をしていた。そしてライラは屋敷へ戻った際に気になったことを尋ねた。
「それはよかった。それより、レリミアはどうしたの?」
「あいつか? ちょっと別のところに隠してきた。いつまでも俺が世話するのも面倒くさくなって」
「隠してきたって、どこへ?」
「場所は後で教える。後で引き取りに行ってくれないかな」
「……私はその辺は口出ししないけど、ここまでしたんだからちゃんと作戦には参加してよね」
ライラもティロの考えていることにあまり突っ込んだ追求はしないようだった。
「わかってるって。もうじきクライオから少しずつリィア国内に兵を配置させていくんだろう?」
「予定だとそうね」
「さて、それまでもう少しのんびりしていようかな……リィアに戻ったらまた忙しくなるから」
何事もなさそうに背伸びをして肩を回すティロに、ライラは念を押した。
「それにしても、本当にやるの?」
「勿論。そうでないと今まで何のために頑張ってきたのかわからないじゃないか」
「そうなんだけど……」
不安げに漏らすライラに、ティロは楽しげな表情で答えた。
「ここまで順調なんだ、後は奴らを景気よくぶっ殺すだけだと思うとわくわくして仕方なくてさ」
「相変わらず物騒ね……」
「まあな。多分今の俺は人生の中で一番輝いている。やっと巡ってきた機会なんだ。でも景気よくぶっ殺すのは奴の女房とバカ息子だけだ」
その言葉とは裏腹にティロの顔はこの上なく嬉しそうであった。
「ザミテス・トライト。てめえはそう簡単に殺さねえからな」
その名前を口に出す時のティロの顔を、ライラは未だによく見れないでいた。
***
ティロの頼みで、シャスタはセラスと剣を交えていた。「剣技はあんまり得意ではない」と言いながら、セラスはシャスタも並外れた剣技の腕を持っていると感じていた。
「……なるほど、これはたまげるわけだ」
「そんなに私の実力ってすごいのですか?」
セラスは素直に驚愕するシャスタの評価にきょとんとした。
「すごいなんてもんじゃない。これだけ使える奴が無自覚でこんなところに隠れているのがまた驚愕ものだ。全く、オルドの人材も侮れないな」
「そうです、リィアに負けるはずがなかったんですよ……」
沈むセラスの肩をシャスタが叩いた。
「まあそう言うな。俺もお前らの手伝いしてやるから」
「本当ですか? あなたもなかなか信用できないんですけど」
「別に信用なんかいらないぜ。俺はやりたいようにやるだけだ」
セラスは急に増えた亡命者とこの逃亡者にどんな態度をとればいいのかよくわからなくなっていた。
「そう言えば、お二人は兄弟とか親戚なんですか?」
「いや、俺たちは孤児の寄せ集めで……」
「でもお二人ともキアンって」
セラスは気になっていることを尋ねた。
「……ああ、そう言えばそうだったな」
「何ですか?」
シャスタは少し考え込んだ後、語り始めた。
「この『キアン』ってのはな、姓がない孤児がリィア軍に在籍するときに便宜上貰う姓なんだよ。つまりキアン姓ってのは、リィアだと生まれた場所や親を知りませんっていう意味だ。知ってる奴も軍関係の奴だけだけどな」
「そうだったんですか……」
セラスは予備隊の話をしたティロのことを思い出し、また沈んだ気持ちになった。
「別に変な同情とかはしなくていいぜ。特務にいる奴なんてキアン姓もそこそこいるし、特にビスキなんて内乱のせいで孤児だらけでそこから仕方なくリィア軍に入る奴もたくさんいるから、リィア国内だと珍しいもんでもないぞ。ただあいつの場合は……ちょっと事情が特殊だ」
「特殊ですか?」
「キアン性の上級騎士なんて滅多にいるもんじゃないからな。それだけの腕があるキアン姓なら普通は特務に行くはずなんだが、とにかくあいつは特殊すぎて俺もよくわかってないんだ」
ティロのことなら大抵のことは知っていそうなシャスタの言葉に、セラスは意外そうな顔をした。
「じゃあどうして上級騎士になったのかは知らないんですか?」
「詳しくは知らないんだ。仕事柄リィア軍の辞令にはある程度目を通していたんだけど、あいつは一般兵から何故かいきなり上級騎士になった。俺もその辺を知りたいんだが……」
「一般兵だったんですか!? リィアの目は節穴ですか!?」
セラスの目が丸くなった。一般兵は訓練を受けていない者でも成人で希望したものなら誰でもなれるものであった。そこから軍務の中で訓練を受けて上位の役職へ進むというのが王道の出世コースである。セラスはティロの話を聞いて特務から上級騎士へ昇進したとばかり思っていたので、まさか剣を持ったこともない有象無象の中でティロが軍務に当たっていたということを聞いて驚愕したのだった。
「いや、あいつも特務に入る予定だったんだ。しかしこれまた特殊な事情で特務に入れなくなった。それで仕方なく一般兵としてリィア軍に在籍していたはずなんだ」
「また特殊な事情ですか?」
セラスは首を傾げた。
「まあな。あいつの閉所恐怖症は本当に病的で、狭いところは勿論なんせ地下室にも入れないどころか地下へ向かう階段すら無理なんだ。地面に空いた穴なんか見ただけで寒気がするらしい。それじゃあ任務なんて出来ないし敵に掴まったら一巻の終わりだ、というわけ。大体俺たちの仕事は地下室探しみたいなところがあるからな、あいつも随分頑張ってはいたみたいなんだが……」
ティロの閉所恐怖症について語るシャスタの声には、それまでの飄々としたものとは違った感情が交じっていた。
「それはかなり特殊ですね……?」
「ああそうだ。一体全体、なんでこんなことになっちまってるんだろうな……」
シャスタは空を見上げた。クライオの空は2人に何も教えてはくれなかった。
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