国境越え
結局痛みと恐怖で一睡もできないまま、夜が明けたようだった。早朝、大きな箱を持ってやってきたティロはレリミアを柱から放した。レリミアはどうにか逃げたいと思ったが、ずっと拘束されていたため足が震えて動かなかった。
「やっと立場がわかったようだな……ほら、動くなよ」
ティロはレリミアの頭に厳重に布を巻き付け、視界を封じた。更に縄を外し、手足を布で束ねて箱に入れた。
「ねえ、お願い……私をどうするか教えて……」
「うるせえ、まだごちゃごちゃ生意気言うのか?」
震える声で尋ねるレリミアにティロが冷たく言い放つ。昨日の狼藉にレリミアは震え上がり、それ以上何も言えなくなった。
「いいか、とりあえず水は飲んでおけ。あとは……特別にくれてやる」
水と一緒に何かが口に放り込まれた。抵抗することも出来ず、何かも一緒に飲み込むと、口にも布きれが入れられ、更にその上に布を巻かれた。
(嫌、これじゃ見ることも話すこともできないじゃない……)
箱の蓋が閉じられるのをレリミアは空気で感じ取った。
(一体、私をどうするつもりなの……そして、どこへ連れて行くつもりなの……?)
箱の中でレリミアは不安な気持ちを溢れさせ、そのまま意識を失った。
***
さりげなくレリミアを隠した箱を積み荷に紛れさせ、ティロは案内人と共に国境を目指していた。幸い荷馬車の御者席が広く、ティロは案内人の隣に座らせてもらっていた。
「実はさっき面倒くさいことに気づいてしまいまして」
「何か不都合でもあったか?」
ティロの申し出に、案内人が怪訝な顔をする。
「関所の衛兵なんですけど……もしかしたら僕の顔を知ってるかもしれないんですよ。多分、ないとは思うんですけど」
リィア国とクライオ国の関所にはそれぞれの警備隊員が配置されていた。リィア国では一般兵が関所に立つことになっているので、最悪顔をよく見られた場合正体を見破られるおそれがあった。
「しかし、もしそうだった場合どうする?」
「それで、これは保険なんですが……持っていてください」
ティロが懐から出したものに、案内人は目を丸くした。
「なんだこれは」
「何か言われたら大体これで黙るはずです、関所の門番なんて退屈なんで。もし使わなかった場合は、そのまま差し上げます」
案内人は黙って札束を受け取った。リィア紙幣で、その額は一般兵三ヶ月分の給料は軽くあった。
「実は僕、関所についてたことあるんですよ。オルドの山奥にコール村関所ってありますよね?」
「コール村か、名前は聞いたことがある。それは楽しいところだったろう?」
案内人が愉快そうに言う。
「とっても楽しかったですね。冬は毎日雪だるまになってました」
コール村はオルドでも有数の豪雪地帯で、毎年背丈を超える高さの雪が積もる。過酷な環境に人口も大変少なく、古くからある関所と民家がいくつかある程度であった。
「しかしあんな何も無いところにいて、今は上級騎士かい?」
「何の巡り合わせですかね……」
案内人の知っている限り、オルド国がリィア国に負ける前からコール村の関所に配属されるということは左遷を意味していた。そんな兵士が剣士の花形である上級騎士になっていることが案内人の中でも今ひとつ結びつかなかった。
馬車は無事関所についた。ティロは関所の門番の顔を見たが、知った者ではなかった。しかしなるべく顔を見せないよう俯いているうちに案内人がティロの分まで通行証を見せ、積み荷を確認させていた。豚の餌に紛れて積んだ箱に入れてきたレリミアが気になっていたが、門番は表面だけの確認でクライオへの道を開いた。クライオ側でも同じ作業が行われたが、不審に思われることなく馬車は通された。
「……よかったな。亡命おめでとう」
関所から大分離れたところで案内人がティロの肩を叩いた。
「ああ、案外あっけないものだな」
「ここの関所は穴場だからな。運がいいと俺の顔を見ただけで通してくれる奴もいる」
「それはそれでリィア軍にいた身としては心配になりますね……」
「なに、今から立派な亡命者だ。そんなことは気にするな」
それからしばらく馬車は静かに街道を走り続けた。
「そういえばアンタ、ライラちゃんの紹介なんだろ?」
「……ああ、そうだ」
案内人から出たライラという名前にティロは反応した。
「あの子も偉いよなぁ、真面目に各地の反乱軍繋いで協力してリィア討伐しようだなんて。よっぽど何か事情があるんだろうな」
案内人は「発起人ライラ」の話をしているようだった。リィアに占領された各国ではそれぞれリィアに対する反政府組織が存在していたが、リィアによる監視の目も厳しくなかなか行動を起こせないでいた。それが数年前、突如ライラと名乗る女性が各地の反政府組織に「連携をすればリィアにも勝てるかもしれない」と説いて回った。その呼びかけに賛同した反政府組織たちが次々と「発起人ライラ」の名前で繋がっているとのことだった。
「きっと彼女なりの事情があるんでしょうね。クライオでオルドの残党の元へ行けというのも彼女からの指示です」
ティロはライラのことを知っているようだった。
「しかし反乱軍に参加するだけなら首都近辺にも反リィア勢力がいくつかあるし、それこそ他領へ行けば国境超えの亡命より楽じゃないのか?」
「その辺は……彼女の一存ということじゃないですかね。他領よりここの国境のほうが首都に近いですから」
案内人の疑問にティロは曖昧な返事をした。それから話題を変えるように、今から向かうクライオの潜伏先について尋ねた。
「ところで、オルド国の残党兵ってのはどのくらいいるんですか?」
「今から向かうところには精鋭が数十人ってところか。オルド領内に行けば別の組織の奴らがもっといるらしいが」
案内人は商売柄、各地の反リィア勢力への知識があるようだった。
「しかし、何で領内ではなくクライオに?」
「何でも仕切ってる奴がな、処刑された国王の息子だって話だ」
「王家の直系男子なら全員処刑したはずでは?」
ティロの知る限り、降参したオルド国は当時の国王とその息子二名、それから反乱対策として名だたる騎士一家や主要な家臣たちを次々と処刑したはずだった。
「あぁ、国王陛下のご子息は二名のはずなのだが……どうももう一人いたらしい。戦争当時国外にいて処刑を免れたってんで、何とかクライオまで逃げてきて立て篭もってるそうだ」
ティロも潜伏先について知らなかったのか、案内人の噂話に耳を傾ける。
「へぇ……随分立派な経歴だな」
「とんでもない、本人についてはどうもいい話を聞いたことがない。王家の隠し子ということでどこかに預けられていたらしいんだが、経歴がさっぱりわからないし、ある日急に出仕し始めて急に外交官に任命されたってことで隠し子というところも随分怪しいんじゃないかっていう噂だ」
「そんな奴に旗振らせて大丈夫なのかよ」
「それが、無能でもないらしい。外交官やってたくらいだからな。でも中身は酷い奴って話だ」
「どんな風に?」
「聞いたところだと病気の姉を殴り殺したとか、妹に手を出していたとか、とにかく女関連でいい話が一切ない」
「ますます何でそんな奴が仕切れてんだよ」
これから世話になる人物が酷い奴らしいと聞いて、少しティロは不安そうな顔をした。
「さあな、世の中よくわからないことだらけだからな……もうじき引渡しの場所だ。後は迎えの者に任せてある。俺はここまでだ」
案内人は人通りのない街道の真ん中で荷馬車を止めた。ティロは馬車を降りるとレリミアを詰めた箱を荷馬車から降ろした。案内人も箱については思うところがあったが、何も言わなかった。
「世話になったな。それじゃ、これはここまでの交通費だ」
ティロは案内人の手に更に多額のリィア紙幣を握らせた。
「こんなに!? 意外と上級騎士って儲かるんだな」
「まあな。俺くらいになれば……金の方から寄ってくるんだ」
荷馬車はクライオの市場へと向かっていった。ティロは周囲に人影がないのを確認してそっと箱を開けてレリミアの安否を確認する。
「呑気に寝てやがる……よし、ここまでは順調だ」
ティロは箱を閉めた。日が高く昇ってきて、初夏の陽気が暖かく降り注いでいた。
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