人殺しの専門家

 ティロが家畜小屋に戻ると、レリミアがしくしくと泣いていた。再びランプで顔を照らしたが、レリミアに反応はなかった。


「ようクソガキ。暗くて怖かったか?」

「何で……何でこんなことを……」

「うるせぇ、生意気に口なんかきくんじゃねえよ」

「でも、すごくきつくて痛くて、痛くて……」


 レリミアは縄による痛みを訴えた。


「だからわざと痛くしてるんだって。もっと痛くするか?」

「嫌……」

「だから口を聞くなと言ってるんだ」

「やめて、お願い……やめて、痛い!」


 ティロは喚くレリミアに構わず、柱に縛り付けている縄を更にきつく締め上げた。


「いいこと教えてやろうか?」

「痛っ……」


 痛がるレリミアの耳元で、ティロが囁いた。


「こういうときはな、やめろとか痛いとか騒ぐと余計相手は面白がって痛めつけたくなるんだよ」

「じゃあ、どうすればいいの!?」

「静かに抵抗しないでされるがままになる。そうすると相手はそのうち飽きてどこかに行くもんだ」


 意外と真面目なティロの話に、レリミアは驚いた。


「じゃあ私も黙ってればあなたはどこかに行くの!?」

「行くわけねーだろ、バカじゃねえの」


 希望を打ち砕くようなティロの返事に、レリミアは再びしくしくとすすり泣き始めた。


「もう嫌……嫌よこんなの」

「俺は今すごく楽しいけどな」

「何なの本当に、私が何かしたの?」


 レリミアは訳がわからなかった。このように誘拐されて拘束されるほど恨みを買うような真似は今までしてきた記憶がない。しかも、ティロから恨みを買うほどの接点がそれほどあるとも思えなかった。


「別に何も」


 ティロはしれっと答える。


「じゃあ、もうどうしてこんなことするの?」

「その質問に今は答えないって言ってるだろ。あと半分は、単に俺が楽しいからだ」


(楽しい、この状況が楽しいの!?)


 レリミアは更に訳がわからなくなった。


「楽しいの? 私を痛めつけて?」

「うん、すっごく」


 ティロの満足そうな表情に、レリミアは血の気が引く思いだった。


「私、あなたのこと誤解していたみたいね。この悪魔!」

「そう来たか。今夜は悪魔だの死神だの、みんな好き勝手呼んでくれるなあ」

「……死神?」


 不穏な言葉に、レリミアは尋ね返した。


「そうらしいよ。この前の戦争で斬れるだけ斬って捨てたからね。オルド側ではそう呼ばれていたみたいだ」


 レリミアは目の前の人物が再び恐ろしい人物であることを思い出した。


「一体、何人を?」

「さあてね……20人あたりから数えてないからなあ。総勢数百人以上とか言われたけど、それは流石に大袈裟だと思うんだよな。せいぜい100人くらいじゃないか」


 思った以上に多い人数に、レリミアの顔色が悪くなっていく。


「どうした? 気分でも悪いか?」

「斬って捨てるって、殺すってことでしょ? どうしてそんな平然としていられるの?」


 レリミアの心臓が高鳴った。ただ縛り付けられているだけではなく、目の前の男は平気で他人の命を奪うことができる人間なのだと思うと吐き気がこみ上げてきた。


「ふふふ……やっぱり相当バカなんだな。あのな、何のために俺が毎週あのバカ兄貴に会いに行ってたか知ってるか?」

「何って、剣の稽古でしょう?」


 レリミアの答えに、ティロが馬鹿にしたように畳みかける。


「ちゃんと考えろよ。剣って何するためにあるか知ってるか?」

「え……?」

「考えなくてもわかるだろ。人殺しの道具だよ。そんなこともわかんねえのか。俺は、あのバカに、立派な人殺しになるように教えてたわけだ! わかったか?」


 レリミアは今までそんなことを考えたことはなかった。首都を警護する役目を授かった父と、父の跡を継ぐべく剣の稽古をする兄を誇りに思っていたくらいだった。その前提を突然現れた父親の部下が粉々に打ち砕くなど、想像もしていなかった。


「そんな……」

「大体剣士なんて敵を斬ってどうこう、だろ? そんなにおかしい話でもないだろ」

「じゃあ、父様も……?」


 父親のことを持ち出すと、ティロの声色に嘲りの色が増した。


「あいつか? もちろん人殺しに決まってるじゃねえか。人殺して褒美もらって、それでお前ら飯食ってきたわけだ」

「でも、父様はすごく優しいよ。そんなこと、してきたわけ……ない……」


 レリミアの自信のなさそうな声に、ますますティロの顔に引きつったような笑顔が張り付いていた。


「優しい? あれが? それは傑作だな……やっぱり面白ぇわ、お前」

「ねえ、どうしてさっきから父様や兄様をバカにするの? あんなによくしていたのに」


 レリミアは屋敷での日々を思い出していた。若輩ながらも剣の腕が立ち、更に歳もそれほど変わらないということで兄の剣技の稽古にやってきていたティロは常に真剣な面差しで、それでいて他の人を寄せ付けない孤高の雰囲気を纏っていた。「少しでも他と打ち解けられたら」という父ザミテスの配慮で兄ノチアの稽古にやってきていたというのに、何故これほどまでに悪く言われなければならないのかがレリミアにはわからなかった。


「あれが本当に『よくしていた』と思うなら、お前もめでたくバカの仲間入りだな。上辺だけの好意しか見やしねえ、将来悪い男に引っかかるぞ……現に引っかかったか」

「ねえ、お願いだからこんなことはもう……ひっ」


 レリミアの首筋に冷たいものが突きつけられた。ティロが懐からナイフを取り出して刃先をレリミアに向けていた。


「さっきからごちゃごちゃうるせえんだよ……お嬢様はこんなものお目にかかったことないだろ?」


(本当に、私殺されるの?)


 レリミアは尖った金属の感触に涙が溢れそうになった。


「わかった、もう何も言わないから……お願い……」

「ようやく自分の立場がわかったか。こんなんでも、お嬢様なら十分だ」


 レリミアが瞳からぼろぼろ涙を流すと、ティロはナイフを懐に収めた。


「なに、言っただろ。殺しはしないって。それでもそれ以上無駄口を叩くようなら……」


 ティロはレリミアの顔を乱暴に掴むと、その瞳をしっかり覗き込んだ。


「死ぬより辛い目にあってもらうかもな。泣くんじゃねえよ。まだ『酷い目』っていうのは始まってもいないんだぜ?」


 恐怖に震えるレリミアの顔を見て、ティロは満足したようにその場を後にした。


「痛いだろうが、今夜はよく休んでおけよ。明日からそりゃ楽しい楽しい旅行になるんだからな」


 ティロが去った後、再び暗闇の中でレリミアは泣き続けた。


「何なの、酷い目って。一体、何をしたいって言うの……?」


 レリミアにはティロの考える「酷い目」が何を指すのか、さっぱりわからなかった。ティロの瞳の中に確かにあった「憎悪」が何を意味するのか、それは今のレリミアには考えるだけ無駄であった。


(されるがままにしていれば、相手は飽きる……)


 ティロのその言葉だけを考えながら、レリミアは縄の痛みと闘い続けた。

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