第2話 亡命
亡命前夜
レリミアを家畜小屋に拘束した後、ティロは再び民家に顔を出した。中にはこれから世話になる予定の案内人がいた。案内人は湯気の立つカップをふたつテーブルに置いた。
「急なことですみません、お世話になります」
「しかし急に亡命とは穏やかでないな」
「まあいろいろあるんですよ、僕みたいな仕事をしていれば」
ティロは案内人に促されて椅子に腰を下ろした。ここは隣国であるクライオ国との国境に近い場所だった。レリミアと逃避行をするように見せかけて、ティロは最初からこの民家を目指していた。
「まさか、何かきな臭い話でもあるのか?」
「いえ……亡命自体は非常に個人的な理由なんですけど。ただ、現体制になってからは侵略路線は控えるようにとなりましたけどね。それで不満のたまった顧問部の突き上げがすごいっていう噂は聞いています」
先の軍事政権を掌握していたダイア・ラコスが亡くなって数年が経っていた。その跡を王家に嫁がされた息子が引き継ぐ形になったが、強硬であったダイアと悪い意味で比べられていることはティロの耳にも入っていた。
「オルドから6年……まだやるってのかい」
「やるならそろそろかもしれませんが、クライオ側もかなり警戒していると思いますからね。オルド以上に一筋縄ではいかないでしょう」
この半島にはかつて5つの国家があった。一番歴史が古く、学問の都として栄えているクライオ国に広大な農地と鉱山を有していたビスキ国、小国ながら大きな港を有していたエディア国に半島の付け根の山岳部に存在するオルド国、そして工業と軍事の国のリィアだった。
「しかし、もう3つも国を落としているじゃないか」
「圧倒的に強いように見えますが、ビスキは内情の弱さにつけ込んで、エディアは戦争以前の侵略をした。この二つに関しては実際のところ、リィア軍はあまり動いていないんですよ」
ビスキ国は22年前に、エディア国は16年前にそれぞれリィアによって侵略されていた。今ではそれぞれが属国という形になり、リィア占領軍に治められている。そこに6年前に侵略されたオルド国も加わり、次はいよいよクライオ国が攻められるのではないかと緊張が高まっているところであった。
「オルドではどうだったんだ?」
「あれは……これも噂なんですけど、先の体制が長くないとかで強行したみたいですね。勝ち戦を届けるんだと兵隊の間でも合言葉になってました。2回の勝利に味をしめたせいか、勢いだけはあったんですよ」
ティロは6年前のオルド攻略のことを思い出していた。
「あんたも従軍したのかい?」
「僕はトリアス山に送られまして……本当、よく生きて帰ってきましたよ」
「それは……ご苦労さまでした」
オルド国は山間部にあり、天然の要塞と言えるトリアス山がリィア国との間にそびえ立っていた。そこでの戦いは苛烈を極め、両軍ともに甚大な被害が出たとされている。思いのほかリィア軍が短期間でトリアス山を攻略したことでオルド軍は一気に後退し、首都決戦の末城を攻め滅ぼしていた。
「ところで、トリアス山といえばアレの話は知っているか?」
「アレ、ですか?」
さも知っているだろうとばかりに尋ねられたので、ティロはきょとんとした。
「リィアではどう呼ばれているか知らないけど、オルド側では『死神』が出たって言われてまして、何でも一人で総勢数百名を超える兵士を斬って捨てたリィア兵がいるってね。それで前線の兵隊が怯えて、オルド側がトリアス山を落とされる一因になったっていう話だ」
ティロはその話を聞いて少し考え込んだ後、話を続けた。
「……多分僕のいた部隊と違うところの話だろう。それはさぞ名のある剣士なんだろうな。一度手合わせ願いたいね」
「それが不思議なことに、誰もそいつの名前を知らないんですよ。リィア側で何か知ってる人がいれば、と思ったんだけど、そうか、あんたも知らないか」
「流石に数百人も斬って捨てたとなれば、国の英雄になってるはずですからね。まるで剣豪小説の主人公か何かみたいじゃないですか」
「荒唐無稽だと思うかい? しかし、オルド側ではしっかり見たという話がたくさんあるんだ」
「そうなんですか……そうするとトリアス山後にすぐ除隊したのかもしれないですね。リィア軍は身分が低いと手柄も手柄にならないところがありますから。だから人が離れて行くんですよ、僕みたいに」
「どこも大変なんだな」
案内人は笑った。ティロは話を変えるように切り出した。
「そう言えば通行証は?」
「そうそう。ここに2枚あるんだが……お連れの方がいたのでは?」
「連れ? ああ、そっちは気にしなくていい。せっかくだから2枚とも預かっておきますが」
案内人が訝しげな顔をしながら通行証を出した。
「でも話だとリィアの上級騎士と女性の方って……」
「どこかで行き違いがあったんでしょう」
「おかしいな……まあ、よくあることだ。深くは聞かないよ」
ティロは案内人から偽造された通行証を2枚受け取った。
「ここは連絡員用の隠れ家か何かですか?」
「ここの住人が昔熱心な革命思想家でね。今となっては表立って何にもできやしないが、とりあえず反リィアのためなら何でもするって話だ。たまにこうやって家を貸してくれる、有り難い方々だ」
「なるほど。それで、これからは?」
「明日の朝、クライオの市場に行くという名目で馬車を出す。あんたは俺の息子ということにしておこう」
その言葉にティロの顔が一瞬曇り、何事か考え込んだ後に答えた。
「……わかりました。他の積荷は?」
「検査が面倒なものがいい。大体は牛や豚なんか積んでいく」
「そうですか。それではよろしく頼みます」
案内人は話を切り上げようとして、何かを思い出したように尋ねた。
「それと気になったんだが……」
「何か?」
「いや、ここで亡命したいという奴はそれなりに世話してきたんだが、ほとんどはここの積荷に紛れて行く。正直偽造の通行証なんかより簡単で確実だ。あんたは箱に隠れるとかできないのかい?」
その言葉にティロの目が泳いだ。
「それが……実は狭いところが大の苦手でして。閉所恐怖症って奴です」
「少しも我慢できないのかい?」
「今の話を聞いただけで寒気がしますね。馬車の客車や自動車なんてのも本当は無理なんですよ」
「そりゃ重症だ……うちの母ちゃんも高いところが苦手でね。2階の窓から外見るのも怖いんだと」
「少し気持ちはわかりますね。普通の人が何故、と思うものが怖いんですよ」
「まあ、明日は無事クライオに届けるよ。今夜はゆっくり休んでくれ」
「よろしくお願いします」
案内人はティロを残して別の部屋に引っ込んでしまった。ティロはしばらく天井を見上げていたが、何かを思い出したように外へ出て行った。
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