亡霊

 突然の暴行にレリミアは驚き、縄から逃れようとした。しかしきつく戒められた腕は動かすことが出来ず、余計に縄が腕に食い込むだけだった。ティロは家畜小屋にあったランプに灯りをつけ、縛り付けたレリミアを照らした。


「やめてよ、お願い離して!」

「離す? ふざけたこと言ってんじゃねえよ」


 レリミアはランプに照らされたティロの顔を見て戦慄した。屋敷で兄と剣技の稽古をしていたときの真剣な面差しや先ほどまでの穏やかな表情は消え失せ、今までに見たどんな人物の顔よりも恐ろしい笑みを浮かべていた。


「だって、こんなの……あなた、私のこと愛してるんじゃなかったの!?」


 レリミアは混乱していた。先ほどまで甘く愛を囁き、共に遠くへ逃げようと語っていた人物とこの狼藉を働いた人物が同じ者とは到底思えなかった。


「愛してる? そっか、愛してるかぁ……くく、愛してる、愛してるだって! 聞いたか、この俺が、愛してる? ふふふ、愛してるだって!」


 ティロは吹き出し、腹を抱えて笑い始めた。レリミアは先ほどまでの甘いひとときを思い返して、そして彼が何故笑っているのかを未だに結びつけることが出来ないでいた。


「はぁ、はぁ………あー、面白え」


 ティロは大きく息をつきながらレリミアの顔をランプで照らした。レリミアは自身が見られている恥ずかしさに顔を背けた。


「だって、さっきまで……」

「本当に面白いな、お前。ちょっと抱き寄せただけでそこまでコロっといくとは思わなかった、本気で言ってんのか? 愛してるだって!」


 再びティロが笑い始める。レリミアの疑念が確信へと変わった。


「じゃあ、さっきまでのは全部嘘なの!?」


 ティロは悪びれもせず答える。


「別に嘘はついてねえよ。俺は『君を連れ去りたい』しか言ってないからな。あとはそっちで勘違いしただけじゃねぇか」

「じゃあ、ずっと私を見ていたって言うのも!?」

「そうだよ、最初っからずっと考えてたんだよ。どうすればこんな風に誘拐できるのかって」


 レリミアは先ほどまでの勘違いを恥じた。確かにティロは「見つめていた」「こうしたかった」とは言っていたが、「好きだ」「愛している」ということは一言も述べていなかった。


「そんな……じゃあセドナも騙したの!?」

「あいつを騙す!? そんなの恐れ多くてできないね」


 レリミアはセドナとティロが共謀していたことを知り、驚愕した。


「じゃあ、セドナと知り合いだったの?」

「知り合いも何も……あいつは俺の女だからな」


 共謀していたどころか、ティロとセドナが深い仲であるような発言にレリミアの頭が追いつかなかった。


「なんだその顔。知りませんでしたってか? これだから何も知らないお嬢様はしょうがないな」


 レリミアはティロが窓を見上げているとき、そう言えば隣でセドナが付き添っていたことを思い出した。


「だって……私、そう、私を一体どうするの!?」

「今はどうにも」

「今はって……これからどうするの?」

「じゃあひとつだけ教えてやるよ。これから、死ぬほど酷い目に合わせる。以上だ」


 レリミアの顔が大きく引きつった。


「そんな、どうして……さっき、守るって言ったじゃない!?」

「そんなこと言ったか? 俺は死なせないとは言ったが、守るなんてことは一切言ってない」

「何よ、なんなのよ……優しいティロに戻ってよ……ひっ」


 ティロはレリミアの頭上の柱を大きく殴りつけた。レリミアは短い悲鳴を上げ、首をすくめて身を固くした。


「言っただろ? その名前で呼ぶなって。そんな奴本当は存在しねえんだよ」


 その声に先ほどまでの嘲りは含まれていなかった。ぞっとするほどの冷たい声にレリミアは震えた。


「でも、じゃあ、あなたは誰なの?」


 恐怖の中、絞り出すようにレリミアは尋ねた。


「そうだな、誰なんだろうな……強いて言うなら亡霊だな」

「亡霊?」

「俺は一度死んでるんだ。俺の話はこのくらいでいいだろ」


 ティロはレリミアに背を向けた。


「ちょっと、どこに行くの!?」

「明日から長いからな。そこで豚と遊んでろ」

「嫌よ、痛いし、逃げないから解いてよ!」

「わざと痛くしてあるんだから当たり前だろ。後で様子見に来てやるから、じゃあな」


 レリミアは背を向けたティロに向かって慌てて叫んだ。


「待って、行かないで! こんなところで、ひとりにしないで……」


 ティロは立ち止まると、ゆっくりレリミアへ振り返った。


「怖いのか?」

「怖いに決まってるじゃない……」

「そりゃよかった。怖がってもらえるとありがたいね」


 ティロはにやりと笑ってランプを置いて灯りを消すと、家畜小屋の外に出て行ってしまった。


「待って! お願い! どうして、ねえどうして! お願い、帰ってきて!」


 レリミアは何度も叫んだが、返事はなかった。


「一体どうしてこんなことになってしまったの……」


 レリミアは今朝のことを思い出していた。セドナとティロと、楽しく旅行に出かけることだけを考えていたはずなのに、気がつけばセドナはいなくなっていてティロは最初からレリミアを誘拐するつもりだったと言う。思えばティロの急激に見せた思わせぶりな態度もここまで連れてくるための芝居であったのだろう。


(私、なんて馬鹿だったんだろう……)


 レリミアは闇の中ですすり泣いた。その泣き声は豚の鳴き声に紛れて消えていった。

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