<22・結界>

 七つのおまじないが、疵鬼を召喚するための結界になっている。それは最初から想定されていたことではあった。というか、焔にはほぼ最初から予想通りだったと言っていい。明らかに、おまじないに共通点があり、内容的にも儀式めいていたからだ。

 生徒達におまじないをさせる目的は主に三つ。

 一つは、礎となる金属を使った儀式をさせること。恐らくこの犯人は単独犯。祭壇に疵鬼を召喚する祭司や神官の役目を担うというのなら、結界を作るのは別人でなくてはいけない。本来の儀式なら、村人たちのローテーションだったということは、彼らが実際神官補佐だったとみるべきだろう。

 だから、何も知らない生徒達に代行させた。特に覚悟もなく、霊的訓練も積んでいない彼等の儀式の成功率が低いのは当然で、だからそれを母数で補おうとしたのだろう。実際、疵鬼とチャンネルが合わなかった大多数の生徒は疵鬼に遭遇することもなく、神隠しを免れている。結界をより強固にするためにはそのランダム性を加味してのことと、恐らく十年もかけたあたり呼ぼうとしている疵鬼の規模がよほど大きいと考えるのが自然だろうか。

 二つ。おまじないの形にすることで、生徒達の欲望を集めようとした。どのおまじないも、“お金が欲しい”とか、“恋を成就させたい”とか、“嫌いな奴と縁を切りたい”といった内容である。全て欲望に絡んだものであり、しかもおまじないということはつまり“努力しないで超常的な存在に願いを叶えてもらおうとする”ことでもある。楽をしたい、それでいておまじないの力で“誰かの運命を強引に捻じ曲げてでも”願いを叶えたい。それは、無意識の悪意であり、人間の業そのものと言っても過言ではない。そのようなおまじないが繰り返されることで、ただでさえ環境の悪い八辻高校の、さらに元の怪談で淀みが溜まっていた七つのポイントに邪気をため込むことに成功したという理屈なのだろう。

 さらに、三つ。一部の生徒が疵鬼に拉致されて常世に引きずりこまれることで、祭壇の下に埋めたという生贄の代行を果たすということ。大量の疵を刻まれて連れ去られる=埋められる、はまさに大昔に鬼子が埋められた時の再現だろう。近年の板見村の祭りは、全て人形に生贄の代わりをさせていた。それで本来なら済んでいたはずのところ、わざわざ昔の儀式に戻して人間の生贄を、それも複数捧げようというのである。人形ではできない理由があった、と見るのが自然だ。恐らくそれでは力が足らなかった――これは、十年もかけてより強固な結界を作ろうとしていたこととも一致する。そこまで大きな、とてつもなく大きな鬼を呼ぼうとしている人間が八辻高校の教職員にいる。これらは全て手段。これだけのことをして、生贄を作って、人々を巻き込んで成そうとしている――その人物の、目的は。




『疵鬼は今の村の人々を心より愛しているので、きちんと信仰を捧げれば子供達の良き友となり、そして最も清らかな信仰を捧げたものの願いを叶えてくれる鬼であるとされていました。結界を作る儀式の詳細に関しては、けして村の外に持ち出してはいけないものとして、私の取材でも誰も答えてはくれなかったのですが……。まあ、神職でなくても、村の人ならみんなやり方を知っていたかんじですかね、あれは。結界を作る役目は、毎年家ごとにローテーションで移っていっていたようなので……』




 生駒教授が言った、これだろう。

 この鬼使いは、鬼を使って願いを叶えて貰おうとしている。

 焔の経験上、この手の存在の目的は三つのうちのどれか、もしくは全部。

 即ち“愛”か“憎悪”か、“欲”だ。


――ここまで大きな鬼を使って、叶えて貰おうとしている願いはなんだ?


 残念ながら、現時点では焔にもそれはわからない。なんせ自分は恐らくまだ、犯人の顔も見ていないからだ。今までこの学校に来て、顔を合わせた者達がシロであろうということは大よそ検討がつく。閃や大石は勿論、閃の友人という降幡秀春も無実だろう。消えた田中眞音もだ。鬼使いが少なからず自分を察知していた、もしくは来ることを予想していたのなら、極力自分の前に姿を現すことは避けるはず。実際、顔を見た相手が鬼使いかどうかは、相手がよほどの技量を持った術士でない限り自分には見抜ける場合が多いのだから。

 ただ。

 相手が教職員であり、出身県まで分かった以上、その黒幕に辿りつくのは難しくないだろう。あとはその人物を詰めて、媒介を破壊するか祭壇を破壊すれば恐らく疵鬼の完全召喚は阻止できるはずだ。

 だが、問題は恐らくその時間が限られていること。焔の見立てでは、閃が無事に今夜を越せる可能性は低いと踏んでいた。なんせ、鈴がおまじないをして攫われた現場に居合わせているのだ。ただでさえ、双子というものは良くも悪くも相手に引寄せられやすい存在である。もしも既に鈴が常世に飲み込まれつつあるならば、どう考えても次に“迎え”が来るのは閃ということになってしまう。

 加えて、ここまで噂が一気に蔓延し、邪気が溜まってきているということは。今日の朝までにこっそりおまじないを試した人間がかなりの数いた可能性が高い。まだ発覚してない新たな行方不明者もいるかもしれない。なんにせよ、状況は昨日よりも遥かに悪化していると見ていいだろう。疵鬼の召喚条件が整うまで、余裕は殆どなさそうだ。そうでなくても、最初に儀式を始めてから既に十年が過ぎているのだから。


――今日の夜までに、ケリをつけるつもりでいなければいけない。くそ、こんな時に便利な必殺技の一つでもあれば楽なんだがな……!


 自分の力は、視ることに極振りされている。とにかく、敵の弱点をピンポイントで見抜いて、物理的な破壊行動を行わないと除霊することができないのだ。学校まで入りこめれば、祭壇の場所を突き止めることも難しくないだろうが部外者という立場上の問題がある。そもそも、黒幕が祭壇の場所を術で隠していない可能性は極めて低い。

 だから、自分がまずやるべきことは一つ。

 結界のいくつかを破壊して、その安定を削ぐこと。

 結界は壊しても相手の力量次第ですぐ修復可能ではあるだろうが、それでも時間稼ぎにはなるはずだ。


『祭の間に万が一結界が壊れたら……ですか?えっと、なんて言っていたかな。……ああ、そうだ。思い出しました。その場合は即座に修復しないといけないとのことです。せっかく整えた場が乱れて、溜めた気が外側に流れていってしまいますからね』


 今まで、結界が要になるだろうと予想しながらも、焔が手をつけてこなかった理由は一つ。結界を破壊することが、吉と出るか凶と出るかが不確定だったからだ。場合によっては、疵鬼の被害を学校外に広げるだけで終わる可能性もあったからである。

 しかし、生駒教授はこう話した。


『結界には、疵鬼の気を広めない役目と、場を整えて疵鬼の力を安定させる役目が両方あると思われます。場が安定しないと召喚に失敗したり、あるいはおかしな場所に疵鬼の本体、あるいは一部が飛んでしまうこともあるでしょう。そうなれば、疵鬼の怒りを買ってしまうこともありうる……今は大人しい神様に転じているとはいえ、元は鬼ですからね、祟れば怖いでしょう。そして、疵鬼が怒れば真っ先にその祟りを受けるのは間違いなく召喚者です』


 結界を壊すことで、被害を広める可能性もゼロではない。だが、それ以上にこの黒幕にとって不名誉な結果を齎す公算の方が大きい。ならば、結界の破壊は、召喚者にとって無視できないものであるはず。結界を修復するためになんらかの手を打つはずだ。

 それはつまり、召喚までの時間稼ぎのみならず――焔の目の前に誘き出せる可能性があることを示している。


――やれるだけのことをやってみるだけだ。……ごめんだからな、もう、“家族”が不幸になるのを見るのは。


 鈴のみならず、閃まで救えなかったら家族はどうなるか。

 焔は身を持って知っている。自分の両親が、薫の死でどのように壊れていったのかを。

 あんなのはもう、たくさんだ。自分達だけで――充分なのだ。


「此処だな」


 今はまだ授業中とはいえ、さすがに校舎内に入るのは控えたい。ゆえに、壊す結界はほぼ二か所に絞っていた。後者の中に入らなくても踏み込める場所――裏門と、校舎裏の旧花壇である。まずは、裏門。


 おまじないその七。

 嫌いな奴と縁を切るおまじない。制約は“いつ行ってもいいから埋めるところを誰にも見られない”こと。必要な道具はヘアピン。赤い色だとなお良し。裏門の前の土にヘアピンを埋めた後正門から出る。正門から出るまでに呪文を心の中で唱え続ける。正門から出るまでに後ろを振り返ってしまうと失敗する。


――分かり易く淀んでやがる。


 土の一部がどす黒く変色している。どこらへんまでは裏門の前に、含まれるのかわからず、皆馬鹿正直に真正面の桜の木の下の土に埋めるということをしたのだろう。というか、裏門の前にはコンクリートの道があるので、土と言われて埋められるのがそこくらいしかないのである。

 ここに埋まっているであろうヘアピンを全て取り除いてしまえば結界は揺らぐだろうが、大量に埋まっているであろうそれらを全て排除するのは至難の技だ。というか、焔も部外者である以上ここで作業しているのを学校関係者に見られるのもまずい。よって別のやり方で結界にキズをつけることにする。


――この手の儀式は、要となる場所にピンポイントで“さかしまのもの”を置くことで揺らぐ……!


 焔は持ってきたハンドバッグから消しゴムで作った“疵のない人形”と釘とトンカチを取りだす。そしてまずは人形を桜の木の下に配置。その前に、同じく取り出した“青く塗った釘”をあてがった。


「ふっ!」


 人形の前に、釘を打ちこむ。瞬間、ノイズのような耳障りな声が聴覚を満たし、黒い霧が一気に散ったのが見えた。ノイズの正体は、多くの人の声だ。この場所に生贄として括られた者達の怨嗟の声。一瞬邪気にあてられて眩暈がしたものの、なんとかよろけた程度で留まった。

 ゆっくりしている暇はない。さっさともう一か所回ってしまわなければ。釘を根元まで打ち込むと、急いで花壇の方へ回る。


 おまじないその三。

 なくした物が見つかるおまじない。制約は、“おまじないをするところを誰にも見られない”こと。必要な道具は安全ピン。東棟裏の旧花壇に安全ピンを埋めて、呪文を唱える。


「ここも大概だな……」


 黒い霧の溜まっている箇所に、二体目の人形を据えた。おまじないでは安全ピンを埋めろとのことだったが、誰かが掘り返したのか埋める手間を惜しんだのか、あちこちそれっぽい小さな金属が土の中からはみ出している。恐らく、地面の中からはじゃらじゃらと掘り起こせることだろう。いくら現在使われてない花壇といっても、少々気の毒な光景である。この状態では再利用しようとしたところで、ろくに花を育てることもままならないのではないか。

 再び青い釘を人形の前に打ち込んだ。肉体労働はあまり得意ではないのだが、焔の力の性質上物理に頼ることは少なくない。こういう時、自分が見抜いた場所を腕力で壊してくれる相棒がいれば楽なのに、と少しだけ思った。やはり、もう少し自分も体を鍛えた方がいいだろうか。体力がないのは少々困る場面が多い。


「よしっ……」


 釘をどうにか打ち込み終えて、トンカチをバッグの中に仕舞った。後は、敵の出方を待つのみだ。


――とにかく、次に俺が連絡するまで古市閃が大人しくしていてくれればいいが。犯人が分かったら、一人でも突っ込んでいきそうなんだよな、あいつ。


 そこまで考えて、焔が立ち上がった時だった。


「!」


 背後に、殺気。

 焔が振り返った時にはもう、悪意は眼前に迫っていたのである。

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