<21・疵鬼>
その昔。
長野県板見村が別の集落の名前で呼ばれていた頃。それこそ、平安時代かそれ以上昔のこと。
その集落には、どこから来たのか奇妙な風習があった。毎年一人“神様”の役になる、六歳以下の子供を選んで村の広場の真ん中に生き埋めにし、その上に祭壇を建てて祭りを行うという儀式である。その集落では、六歳以下の子供は神様の使いであり、生きた人間よりも常世に近い存在だと信じられていたそうだ。その中でなんらかの“おしるし”があった子供を選んで埋めて神様にお返しすることで、神様の国との絆を結び、集落の安定と繁栄を約束してもらうということを行っていたという。今の時代からすれば倫理観もへったくれもないと言わざるをえないが、昔の川の氾濫や凶作がそのまま命取りになる小さな集落ではそういう因習があってもおかしくなかったのだろう。
が。当然、自らの子が生贄になるのを嫌がるのが親の感情だ。
集落が規模の大きい村と呼べるほどになったある時、有力者の息子がしるしを受け、生贄に選ばれることになってしまった。有力者はなんとかして、跡取り息子が生贄を回避できる道はないかと探した。そして、考え付いたのが“別の子供に役目を押しつける”というもの。その集落には、“鬼”に憑りつかれていると言われて忌み嫌われている孤児がいた。不思議な力、不思議な痣、この土地の人間とは思えぬ赤い目。集落の人々の残飯を与え、排泄物の処理などを押しつけてきたその子供を、有力者は我が子の代わりに生贄にしようとしたのである。
生贄の儀式は残酷なものだ。ただ生き埋めにするだけでも惨たらしいのに、全身に死なない程度に疵を刻んで、半死半生の状態で埋めるのだから。身代わりの子供は今までの生贄同様、両手両足、腹、胸、に“傷み”を与えられ、さらに両の瞼と唇を裂かれて埋められた。そして例年通りに、生贄を神様の元に送り届けるための祭をしていたのだが。
『あ、ああああああああああああああ!』
神官と巫女たちで祭壇を囲んで鎮魂の舞を行っていた時、地震が起きた。
祭壇に大量の“疵”が走り、その罅割れが地面を伝って神官達を襲ったのだ。罅割れに触れた者が次々と体中に疵を刻まれた挙句、地面に引きずり込まれて消えていったのである。
鬼子を身代わりにした有力者も、有力者が守ろうとした息子も、道でばったりと倒れて全身に“疵”を刻まれた。その傷に触れた者も、関わった者も、次々“疵”を受けて死んでいった。
これはあの子供の祟りに違いない。このままでは祟りは村全てを呑みこみ、全てを滅ぼしてしまう。
ゆえに生き残った神官達は、生贄にした子供の死体を掘り起し、丁寧に供養をした上で神社を作って祀り、祟りを鎮めることに全力を尽くした。大量の疵を受けた赤い目の人形を村のあちこちに偶像として立て、村人たちに毎日の祈りを欠かさないよう告げて回ったという。
その結果、何年もかけて祟りは鎮められた。
『そして村の名前は傷み=悼みがなまって板見村となったそうだ。本が出版されたのは、今から五年も前。今も、その神社の封印が剥がれていないかどうかはわからないし、過去の生贄の儀式も本当にあったかどうかは定かでないとされている。ただ。……状況的に見て、今この学校で猛威を振るっている鬼が、この“疵鬼”を変化させたものであるのはほぼ間違いないだろう。キズニ様、の名前も元は“疵鬼”が訛ったものだと考えればごく自然に説明がつく』
長いメールの最後を、焔はそう締めくくった。
『長野県の地方出身の教職員だ、心当たりはないか?……まだ本に書いてあった疵鬼の話と、学校で起きている事件には多少差がある。この本で書いてある情報が全てではないかもしれないから、俺は執筆者である民俗学者の“
長野県の、地方の村の出身。
つい最近、そんな話を誰かから聴いたことがあったような――そう考えて、閃は凍りついた。授業中、ちらっと見てしまったスマホを無理やりポケットに押し込んで、ゆっくりと顔を上げる。
「……つまり、この図形の体積を出すには、この公式を応用することになるわけだけど……質問がある人はいる?」
黒板の前で、教鞭を手に数学を教えてくれている教師が一人。
自分達の担任である――柿沼晶子。明朗快活で上品な中年女性の教師は、いつも通り笑顔で授業を行っている。
「特にいない?じゃあ、問3やってみましょうか。この立方体の内接球の体積、表面積を求めてみましょう」
彼女は確かに、自分にこう言ったのだ。
『私は元々長野県の山奥の小さな村の出身なんだけど……そこでちょっと気になることがいくつかあったから。怪談とか、伝説とか、お伽噺とか。そういうものって多分、人に浸透して信じる人が増えたり、あるいは“本物だと嬉しい”って思う人が増えると、どんどん現実に取って変わられていくものだと思うの。私の村にあった、小さな子供の神様の話みたいにね』
そうだ。
あの話を聴いた時、何故自分は気づけなかったのだろう。彼女は明らかに、鬼の本質を話していた。
鬼の性質を、理解して話をしていたではないか。
『真相は分からないわよ?その子が“嘘をついた”というのが嘘だったのかもしれないから。でも……私は、ひょっとしたら幽霊も妖怪も神様もみんなそういうものなんじゃないかって疑ってるの。誰かが“そうであってほしい”と願う方に動いていく、変わっていく。……今のクラスの空気は知ってるでしょう?みんな、おまじないの件を他人事のように考えて、“おまじないで人が消えたら面白い”って思ってる人が少なからずいる。それが、本当に影響しないとは限らない、だから怖い……ってのが私の考え。おまじないについて調べるのが危ないんじゃないかって貴方に言ったのは、そういう理由もあるのよ』
神様を、自分の村で祀っていたこと。
それが子供の姿をしたものであること。
そして、彼女が何十年もこの学校に務めているベテランの教師であること――。
――間違いない。
他の教職員を、容疑者から完全に外せはしない。でもこれは。ここまで揃うなら。
――柿沼先生が、鬼使いだ……!
***
結局焔は、生駒拓郎氏とは電話でしか話すことができなかった。というのも彼は現在北海道の方に出張に行っていて、到底今日中に会える距離ではなかったからである。そもそも、アポイントメントもなしに今日いきなり会いたいと言って話が通る可能性は低かったはずだ。むしろ、電話で話が出来ただけ僥倖だったと言うべきだろう。
『貴方のような若い人が、あの本に興味を持ってくださって嬉しい限りです』
写真には、真っ白な長い髭を生やした温厚そうな老人が写っていた。あれが五年前の写真だというのだから、今は相当な高齢だろう。それでも日本各地を飛び回って民俗学を調べて回っているのだからなんとも熱意にあふれた人物と言える。彼が名誉教授を務める大学に拝み倒して携帯電話の番号を教えて貰い、いきなり電話をかけた自分を嫌うことなく穏やかに話をしてくれた。
ひょっとしたら、彼もまた何かの能力を持っていたのかもしれない。
オカルトなこと、異界のこと、そういったものに触れるにつれ特殊な能力に目覚める人間も時折存在すると知っている。
『疵鬼に関しては、もっと書きたい内容があったんですが……いかんせん、本のページ数に限界がありましてね。調べた内容を全て記すことが出来なかったんですよ。ただ……何でご存知なんでしょう?そう、その通りなんですよ。今の板見村の儀式では、疵鬼を復活させる“場”には結界を作るんです。疵鬼の強大な力は、生きた人間には毒ですからね。それが外に溢れず、内側に溜め込めるように。そしてその念を糧として、疵鬼が現世に顕現できるようにするために』
七本の、鋼の棒を建てて作る結界。
その中心に、祭壇。
祭壇の下に、今は流石に人間の生贄は埋めないが――代わりに、疵を刻んだ人形を埋めている。祭壇の上にもまた、大きな“疵鬼”の偶像を掲げ、結界の外で舞を踊って疵鬼の降臨を祝うのだという。
ただし、今の疵鬼は、板見村の人々には祟りを齎す存在ではなく、時に子供の姿となって現れ、人々に豊穣を齎してくれる“座敷童”のようなものと認識されているそうだ。何十年か前に村の子供が“疵鬼と仲良く遊んだ”という証言をして以来、村の空気がそのように変化していったのだという。疵鬼は村を守ってくれる存在であり、その機嫌を損ねなければ村は豊作に恵まれ、大きな災害からも守られるのだ――と。
『疵鬼は今の村の人々を心より愛しているので、きちんと信仰を捧げれば子供達の良き友となり、そして最も清らかな信仰を捧げたものの願いを叶えてくれる鬼であるとされていました。結界を作る儀式の詳細に関しては、けして村の外に持ち出してはいけないものとして、私の取材でも誰も答えてはくれなかったのですが……。まあ、神職でなくても、村の人ならみんなやり方を知っていたかんじですかね、あれは。結界を作る役目は、毎年家ごとにローテーションで移っていっていたようなので……』
やはり、おまじないはその“結界”を作る儀式の代わりだったということだ。
しかも、攫われた人間がみんな“疵”を刻まれて神隠しに遭っているとなると――その人間が、新たな生贄の代わりとして捧げられていると見るべきか。
――結界の作り方を知っていて、しかもそれを現代の……学校向けのやり方にアレンジしている。鬼使いは、村の人間だ。それも、生徒達の認識をコントロールすることで鬼の姿を思いのままに操っている……!
あまり体力がある方ではない。速足でここまでくるだけで、随分と息が切れてしまった。
「はぁ、はぁ、はぁ……っ」
図書館から、八辻高校まで戻ってきた焔は、正門の前で校舎を見上げて思う。
『では、生駒先生。その結界が、祭の最中に壊れてしまうとどうなりますか?』
――真っ黒じゃねぇか、くそったれが。
ギリ、と奥歯を噛み締める。自分がこの学校に来たのは水曜日だったはず。それなのに、こんな短期間でここまで様子が変貌するとは。
焔の目には、八辻高校は真っ黒な霧に取り囲まれた居城のように見えていた。
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