<15・心配>

 小城真理奈。名前さえわかってしまえばこちらのものだ。現代には便利な文明の利器がある。どれほど情報をシャットアウトしようが、一度流れたものを完全に消すことは難しい。おまじないの起源では?と疑われるほどの騒ぎになったなら、どこかに彼女の名前が残っていてもおかしくないはずだ。


「一先ず目的は達成された」


 パタン、と焔は文集を閉じるとそのまま大石に投げ渡す。


「も、ちょ、だから投げるな!本!」

「お前は生き延びたかったらそのままおまじないの調査の続行と、噂の出元をそれとなく探ることだな。それと生徒達に迂闊におまじないをしないように……というか、可能な限り該当の場所に近づくのも避けるように言っておけ。その手の場所は淀みやすいからな」

「相変わらず無視なのね……」


 はぁぁぁ、と大袈裟にため息をつく大石。昔からこいつはリアクションが派手だなと思っていると。


「……あのさ、焔。俺はお前が心配だから、友達として言うんだけど」


 真面目な顔になって、彼は続けた。


「一度訊いておきたいと思ってたんだ。今回はその、俺が当事者っつーか助けてもらう立場だからどうこう言いづらいけど。お前、こんなこといつまで続けるんだよ。事務所まで持ったってことは……本格的に、ってことなんだろ」

「こんなこととは?」

「惚けるなよ。……鬼狩りのことだ」


 今日はこのあと、浅井るみなが消えたところに居合わせたであろう田中眞音という三年生の女子と接触して、八辻高校での仕事は終わりである。さっさと立ちあがろうとしていたところで、焔は動きを止めた。

 大石の目が、真剣そのものだったからだ。


「お前が“本物”なのはわかってる。見えなくてもいいものが昔から見えて悩んでたことも……見えるのに、祓う力が弱いってことに苦しんできたことも。それから……妹の、かおるちゃんのことも」


 薫。

 昔から、素直に好意を出すのが苦手な自分に寄り添ってくれた、数少ない存在だった。自分ほどではないにせよ、悪いものが見えることが多かった彼女。何も見えない両親との間に立ってくれることが多かったのも彼女だった。自分にはない対人能力や人望を持ち、子供の頃から友達がたくさんいた少女。

 そして、肝心な時にそばにいてやれなくて――焔が救うことができなかった家族でもある。


「お前が薫ちゃんの仇を取りたいと思ってるのはわかってる。未だに壷鬼つぼおには野放しになったまま。今すぐの驚異でなくとも、いずれまた薫ちゃんの時と同じ惨劇を繰り返すとも限らない。お前がそれを止めるために、怪異に積極的に関わり始めたってのはわかってる。壷鬼を倒さなきゃ、薫ちゃんが報われないだろうってことも」

「……だから?」

「俺は事件を後で知っただけだ。壷鬼のことも、それから美園ちゃんが巻き込まれた事件のことも。……でも、それでもお前が、俺が理解しきれないやばいところに足を踏み入れようとしてるってことくらいわかるつもりなんだよ。壷鬼を見つけるために鬼を殺し続けていたら、いくらお前の体質があっても危険は免れられない。だって鬼使いは、人間なんだ。お前は怪異には耐性があっても、人間の悪意には無力だろうが」


 それは、ひとつの事実ではあった。焔は、“見るだけで死ぬ”怪異は絶対見ることができないし、“近づくだけで死ぬかもしれない”場所にも、危険度がある程度下がらないと接近することさえ許されない体質だ。恐らく守護霊か、なにかの呪いの類だろうがそこははっきりしていない。様々なものを“視る”ことに特化した焔だが、唯一自分に関することだけは何も感知できないからだ。

 そしてもう一つ、できない事は――人間の悪意を察知すること。鬼使いが操る鬼から身を護ることはできても、鬼使い本人がナイフを持って襲ってくるのを察知して避けることはできないといった具合である。そして、わかっていて鬼を使役して災禍を齎す連中には大抵“人の力ではけして叶えられない望み”がある。いわば、死にものぐるいだ。焔が邪魔しようとすることで、殺意を持って襲ってくることは少なくない。実際、薫が死んでから何度も自分は死にかけている。それを知っている大石が心配してくれるのは有難いことなのだろう。

 しかし。


「生きている、の定義はなんだ?大石」


 例え、誰かを苦しめても、傷つけても。

 自分には、前に進まなければならない理由があるのだ。


「自分には出来ることがあるのに、するべきことがあるのに……それをすることなく、ただ漫然と平穏を享受する。俺はそれを、生きているとは呼ばない。呼びたくもない」

「焔……」

「己の生きる目的など考えなくていいほど日々が幸福な人間はそれでもいい。でも、そうではない者は……目的を得て、それに向かって進まなければ死ぬんだ。体は生きていても、心が」


 無意味かもしれない。

 もっと傷つくことになるかもしれない。

 後でその選択を、後悔する時が来るかもしれない。

 それでも何かをせずにはいられない時が人にはあるのだ。自分がそうであるように――あの古市閃もまたそうであるように。


「血や傷の痕跡が全て消えていたのなら、古市閃の妹は現実で切り刻まれたわけではない可能性がある。肉体が無傷なら、神隠しを受けて日が浅いなら、まだ生きて帰って来られる望みはある。……薫と違って」


 薫は、“そうではなかった”。

 自分たちは彼女のまともな葬式さえ執り行えなかったのだ。あまりにもその末路が悲惨すぎて。


「……お前」


 大石は少しだけ目を丸くして。


「実は結構なツンデレだろ。なんだかんだ、優しいよな、家族思いの人間に」

「黙れ」

「へいへい」


 こんなもの、自分の勝手な私情に過ぎない。それこそ、閃は知らなくていいことだ。

 彼に過去の自分を重ねているのも、彼らを助けて自分が救われた気になりたいのも、完全に自分の都合に過ぎないのだから。




 ***




 焔と二人きりというのは、非常に気分が重い。というか、辛い。

 閃がそう思う理由はいくつかある。

 一つ、昼休みに突然“今日は部活を休め”と通達されたこと。お陰でウインターカップ前のクソ忙しい時期に、レギュラーでありながら練習を休まされる羽目になっていること。確かに妹の行方を探してくれと頼んだのは自分だし、監督やコーチも自分の事情を鑑みて多少配慮を回してくれてはいるが――それはそれ、申し訳ないと感じないわけではなく。

 二つ、彼が非常に愛想がなく、会話らしい会話がまともに続かないこと。昼休みにお互い調べた情報を共有したりもしたが、それだって円滑なコミュニケーションが取れていたとは言い難い。閃の説明をいちいち“それはどういう意味だ”とか“もっと正確に話せ”なんて繰り返し突っ込まれるのも面倒極まりなかった。

 三つ、その彼と現在佇んでいるのが、放課後の学校の裏門の前ということ。正門ほどではないが、裏門から帰る生徒は少なくない。その生徒達、特に女子からの視線がさっきから痛くてたまらないのである。滅茶苦茶黄色いのだ、わかりやすく。何あのイケメン、芸能人?なんてことを言われまくっている同性と一緒にいてそれとなく空気になっている自分。いくら閃がそこまでモテを気にするタイプの男子でなくても、愉快なはずがないわけで。


「……あんた、何でそんなに目立つ格好なわけ」


 閃はげっそりしながら、隣でずっとスマホをいじり続けている焔を睨む。


「顔だけでも目立つんだから、せめて服装くらいは地味にしてよ。黒ずくめってなんなの、まだそんな寒い時期でもないのに」

「俺の勝手だろう、お前にとやかく言われる筋合いはない」

「そーですかー。……不審者だと思われてターゲットに逃げられても知らないですからねー俺」


 気が重い理由、四つ目。それは、彼と現在ここで、ある女子生徒を待ち伏せしていること。

 田中眞音。

 三年生で、浅井るみなと最後にいたとされる少女だ。浅井るみながおまじないをしたのが本当かどうか、そして彼女は本当におまじないで消えたわけではないのか。大石先生から顔写真を見たので、ここで学校を出てくるところを待ち伏せして話を訊こうという魂胆らしかった。たが。


「マジで話を訊くつもりなら、あの堂島さんとかいう秘書さんを連れて来れば良かったのに。女の人の方が絶対警戒されないでしょ」


 閃がそう言うと、一瞬焔はきょとんとした顔をして。


「……あいつはあいつでやって貰う仕事があるからな」


 と、答えた。

 あ、これは本気でそこに思い至ってなかったやつ、と閃は頭痛を覚える。霊能者としては本物なのかもしれないが、この人の対人スキルにはかなり不安しかない。本当になんとかなるのだろうか、こんな具合で。


「必ず成功しなければいけないミッションでもない。お前のおかげで、七つのおまじないも全部判明したからな」

「ええ、それはもう、めっちゃあっちこっちに聞き込みしまくりましたとも!褒めてくださいマジで。昼休み全部潰れたし!」

「よくやった」


 いや、そうストレートに褒められたらそれはそれで照れるんですけど。閃が少しだけ言葉に詰まったところで、焔が小さく呟く――見つけた、と。


「……この掲示板か。あとは……」


 そこでやっと、顔を上げる焔。閃もまた、彼の視線の先を目で追った。


「!」


 校舎の脇から、こちらに歩いてくる少女がいる。眼鏡をかけた、大人しそうな娘。

 見せてもらった写真と同じ顔。田中眞音が、姿を現したのである。

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