<16・警戒>
「すみません、田中眞音さんですよね?」
「……?」
焔に呼び止められた少女は、訝し気に眉を顰めた。
「……あの、どちら様ですか。学校の人ですか?」
そりゃこういう反応だよなあ、と閃は思う。焔の顔を見て若干頬を染めているあたり、一応“見た目補正”がかかってないわけではないのだろうが。――非常に残念な現実を言うならば、突然見知らぬ他人に声をかけた時どれだけ警戒されるかどうかに関して、容姿の問題は非常に大きいのである。同じ男性が声をかけるのであっても、イケメンとブ男では明らかに反応が違うだろう。もし焔がでぶでぶに太ったブサイクなおっさんだったら、もうこの段階で悲鳴を上げて逃げられていてもおかしくなかったに違いない。ただでさえ、彼は丁寧語を喋っていてさえなお愛想というものがないのだから。
そしてイケメンはイケメンでも、もし閃が一人で、かつこの学校の制服を着ていなかったら不審がられていただろうなと思うのである(いや、己がイケメンだと思っているわけではないのだが、少なくとも不細工ではないだろうという自負があるという意味でだ)。なんせ、閃はデカいし、自分でも筋肉質だという自覚がある。目の前に立ちはだかられたら、まず間違いなく威圧感を与えていただろう。本人はやや不本意かもしれないが、こればっかりは焔が“細身で平均身長以下の超イケメン”というステータスが大きく影響したことは否めない。
「私は探偵の新倉焔と言います。この学校の一年生である、こちらの古市閃さんに雇われまして」
やっぱり霊能者ではなく、探偵で通すつもりらしい。探偵は探偵で胡散臭いと閃は思うが、まあそれも主観によりけりなのだろう。
「こちらの古市閃さんのことはご存知でしょうか?先日、双子の妹の古市鈴さんが行方不明になったんです。学校で、おまじないをやった後で。……田中眞音さんも同じように、いなくなった浅井るみなさんとおまじないをやったとのこと。その時の様子を詳しく教えて頂きたいのですが」
「……」
焔がそう告げた途端、眞音の顔が露骨に不快感に歪んだ。またその話か、という態度だ。
わからないではなかった。彼女はもう友人や先生から何度もその時の話を尋ねられ、うんざりしていたのだろう。教室の空気からして、いくら彼女が“おまじないをやった後で学校で別れた、おまじないそのもので異変が起きたわけではない”と言っても、周囲の大半が信じなかっただろうことは窺える。
「何度も尋ねられて嫌なのはわかるけど、俺からもお願いします!」
ゆえに、閃が隣から追撃するのだ。
「俺、妹をどうしても取り戻したくて。今の段階じゃ、人間の誘拐事件なのか、オカルトな案件なのかも何もわかんねえんです!何でもいいからヒントが欲しい。あんたの話がそのヒントになるかもしれない。お願いします、ちょっとでいいから力を貸してください」
「……そ、そんなこと、言われても」
何も、冷たい性格というわけではないのだろう。明らかに眞音が戸惑ったような顔をした。
「わ、私はそもそも、おまじないなんて興味なくて……る、るみながどうしてもやるって言うから付き合っただけで。先生に話したことで、全部なんだけど……」
「そこをもう少し詳しく訊きたい。やったのは理科準備室の、金運アップのおまじないであってるんですよね?」
「そう、だけど……」
お金が舞い込んでくるというそのおまじない。東棟一階の、理科準備室の前のに立って呪文を唱えるというシンプルなものだ。必要な道具は針。針をポケットに入れるなりして身に着けておくことで効果を発揮すると訊いている。
が、実は浅井るみながいなくなった話を聞いた時、閃は漠然と違和感を感じていたのである。今日、昼休みにおまじないについて知っている人にかたっぱしから当たっていってその正体を突き止めた。そう、浅井るみなと田中眞音は、学校が終わった夜にそのおまじないを実行しているのだが――実際、これは間違った手順であるはずなのだ。
何故ならこのおまじないには特殊な制約がある。本来、“午前零時から朝の七時までの間に実行する”ことが条件であり、放課後から夜の時間ではそこに合致しないのだ。
――もし、にもかかわらずおまじないの効果が発揮されて、浅井るみながいなくなったんだとしたら。
おまじないは、多少手順を間違えただけでは無効にならない。
むしろ、それを実行しようとしてその場に近づいただけで危ないかもしれない、ということになるのではないか。
「そのおまじない、誰から訊いたと浅井るみなさんは言ってましたか?」
焔が続ける。相変わらずぶっきらぼうだが、一応言葉遣いには気を付けているつもりらしい。
「私達は、古市鈴さんの件も浅井るみなさんの件も、人災であると考えています。人間の誘拐犯か、オカルトな話か。後者であったとしても、それを教えた人間に悪意があり、なんらかの事情を知っている可能性がある。ゆえにもし二人消えたのが、本当におまじないと関係しているなら……その流通ルートを知っておくことが非常に重要と言えます」
「……ごめんなさい。私は、そういうのは全然。そ、そもそもるみなは、掲示板とかSNSとか、友達とか……みんなその話を知ってるって言ってたし」
「SNS?……学外の人も、おまじないを知っている、と?」
「というか、最近は存在そのものを知らない人は殆どいないんじゃないか、って。そ、その。学校にこっそり侵入して、おまじないをしようとか言ってる部外者もいるとか、そんな話、してました、けど」
「……おい」
最後の焔の呼びかけは、閃に向けられたものだった。閃は慌てて首を横に振る。
自分は、鈴に聴かされるまでおまじないについては全然知らなかった。おまじないのうちの一つを知らないとかではなく、そういうものが存在するということ自体を認識していなかったと言っていい。それは勿論、閃がそういうものに興味を持たない人間だったからで片付くことと言えばそうなのだが――裏を返せば、“ちょっと興味を持たない”くらいの人間の耳には入ってこないくらいの認知度だった、とも言えるのである。
閃がものすごいぼっちキャラだったなら別として、友達はそこそこの人数いるし、女子ともまったく話さないわけではない。人並程度にはSNSもやっていて、部活動も積極的に活動している人間だ。それでも耳に入ってこなかった、それ程度の流行だった。それが。
――鈴がいなくなったあたり……この数日で、そこまで爆発的におまじないの認知度が上がったのか?
いや、鈴がいなくなってからるみながいなくなるまでは、数日さえも開いていない。
そう考えると、これはもしや。
「……誰かがものすごい積極的に、おまじないの内容を拡散してそうだな。今のご時世なら簡単だ」
ぼそり、と焔が呟いた。
「田中さん、もう一つお尋ねしたい。……そのおまじないで、何かおかしなことは起きませんでしたか。何でもいいです、教えてください」
うまい尋ね方だ、と閃は思った。噂が本当なら、彼女は実際に怪異を見たにも関わらず隠している可能性が高い。元々浅井るみなは評判が良くなかったようだし、散々田中眞音が彼女に振り回されて迷惑かけられっているっぽいところも目撃されている。そんな眞音が、怪異の目撃を隠しているとしたら考えられる理由は二つ。
話したところで信じて貰えないと思っているか――彼女を見捨てて逃げた自分を隠したいか、だ。
もし、本当は浅井るみなにいなくなってほしいと田中眞音が願っていたとしたら。それこそ、おまじないによって危険が生じるこをと承知の上で、むしろ眞音が主導してるみなにおまじないをやらせた可能性さえ生じることになるのだから。
「な、何も」
眞音はぶんぶんと首を横に振る。
「も、もういいですか?私、塾があるんで帰らないと……っ」
「田中さん」
立ち去ろうとする眞音に、焔が声をかけた。
「実は、そこの古市閃さんは。妹の鈴さんがいなくなった時、現場にいたんです。私は探偵ですが、霊能者として少しばかり有名でしてね。それもあって閃さんは私を尋ねてきました。妹さんを救いたいだけじゃない……おまじないに、居合わせた人間も呪われる可能性があるのではないかと危惧されたんです」
「え」
「先生方にはお話されていなかったようですがね。閃さんは、鈴さんが怪異に襲われる一部始終を見ておられました。奇妙な引っ掻くような音と共に、爪痕のような“疵”に追われたこと。それに追いつかれた妹さんがズタズタに引き裂かれて、恐怖から助けられず……意識を失って気づいたら妹さんも疵も血も何もかもなくなっていたと。それからというもの、未だにあの“引っ掻くような音”が時折聞こえて怯えている、と……」
淡々と、無表情に。一歩眞音の方に踏み出し、彼女の耳元で囁く焔。
「人あらざる力に、人間が無力なのは当然です。仮に怪異に貴女が遭遇していても、貴女がご友人を助けられなくてもなんら仕方ないことでしょう。ご自分を責める必要はないのです。ただ、その場に居合わせただけでもし危険があるなら、貴女もけして他人事ではない。勿論、貴女が“それでも”自分は何も見ていないと主張されるのでしたら、私はただ“ご無事でよかったですね、ご友人が早く見つかることをお祈りします”と返すだけなのですが」
「わ、私……」
「ああ、勿論それは。貴女こそがご友人が神隠しをされるのをわかっていて、浅井るみなさんにおまじないを教えた黒幕ではないなら……の話ですが。ご存知ありませんでしたか、そういう噂があることを。もしそうなら、もっと積極的に否定された方がいいと思うのですけど」
「!!」
ばっ、と眞音は後ろに飛びのき、凄まじい形相で焔を睨んだ。
「わ、私知らない!本当に、本当にるみながおまじないをどこかから仕入れてきて、私は無理やり付き合わされただけ!そ、それで、るみなが怪異に攫われたんだとしても、私関係ないから!攫われることを知ってて教えたとかないから!本当の本当に、何も知らない!私は巻き込まれただけです!!」
この反応。
彼女は明言を避けたつもりだろうが、明らかだった。どう見ても、眞音は浅井るみながいなくなった原因を“怪異”だと認識している。それ相応のものを実際に見た、と判断するのが妥当だろう。
やはりそうだ。眞音は実際に怪異に遭遇したのに、それを周囲に秘密にしたのだ。負い目があったからか、もしくは騒ぎにしたくなかったのかのどちらかの理由で。
「失礼しました。私は勿論、貴女を信じます」
相変わらず焔はにこりともせず、眞音に頭を下げる。
「呼びとめてしまってすみません。お話、ありがとうございました」
「――っ!」
眞音は焔と閃を強く睨むと、そのまま無言で早足で立ち去っていった。
「……あのさあ」
新倉焔。この霊能者に関して、自分は認識を改める必要があるかもしれない。閃は躊躇いがちに口を開いた。
「誘導尋問とか、できるのかよ、アンタ」
「できないと言った覚えはないが?」
「そこでもう少し愛想があったら話は違っただろうに。……ていうか、容赦なさすぎでしょ。彼女は多分、本当におまじないを浅井るみなに聞いて巻き込まれただけ。一緒に現場に居合わせただけの人間まで呪われるかもしれないなんて……無駄に怯えさせる必要があったんですか」
「怯えて貰わなければ、本当のことなど話してくれないだろう。そもそも、俺は本当の意味で嘘なんか言っていない。現場にいるどころか、この学校の人間全員が祟られかけているのは事実だろうが」
「いや、そりゃそう、ですけども……」
それにしても、恐らく黒幕とはなんら関係なさそうな女子をあそこまで露骨に脅すのはどうなのだろう。手段を選ばなすぎである。
「……そこまでこの学校の人を助けたいの?それとも大石先生を?……俺、まだあんたに依頼料払ってないし、あんたがこの仕事やってるのお金目当てじゃないだろ」
あの事務所もそう。事務処理を行う職員も一人しか雇っていない。あのムラサキのオバサンを断った態度といい、いつもあんなかんじで人を追い返しているのなら、金銭的に潤っているとも到底思えない。
「それとも。……そこまでして、鬼を退治したいの?あんたはそこまで、鬼ってやつが憎いの?」
やや踏み込んだ質問をしてしまったのかもしれない。一瞬焔の目に影が過ったのを見て、閃は少しだけ後悔した。
「俺は、鬼を憎んでいない。少なくとも今は。むしろ、憐れんでいる……かもしれない」
低く、静かに、それでいて深く暗く。新倉焔は、呟いたのだ。
「悪いのも、恐ろしいのも。いつだって生きた人間だ。生きた人間の悪意ほど恐ろしいものはない。どんな鬼よりも」
果たして彼は、どんな気持ちでその言葉を紡いだのだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます