<13・先生>
「……気持ちは、分からないでもないわ」
ほんの少し呆れたように、それでいて寂しそうに柿沼晶子は告げた。
「私にも、妹がいてね。……大事な家族を助けるためには、先に生まれた姉や兄は……何でもしなきゃって気持ちになるものよね。自分にはその責任がある、なんとかしなきゃって。そして、実際に救えなかった時、己を責め続けてしまう」
「……救えなかったんですか?」
「そうね。私が子供の時に亡くなってしまったの。年子だったから、双子じゃないけど……でも、双子に近い感覚はあったかもね。本当に仲良しだったわ。あの子を助けるためなら何でもしようと思った。小さかった私には、その“何でも”でさえ、大きな力にはなり得なかったけど」
閃は思う。小さな頃に亡くなった――病気か、事故か。とにかく、彼女にとっては到底承服しがたい理由だったのだろうと。
分からないでもない、というのはそういうことだろう。
昨日まで隣で笑っていた、そこにいるのが当たり前だった身内をある日突然奪われる。なんの予兆もなく、想像すらも出来ないやり方で。それはあまりにも理不尽で、心の準備ができるものでもなくて。その分一瞬にして、自分自身の魂も引きちぎっていてしまうような痛みであろうということが。
今の閃が、まさにそういう心境であるように。
「だからこそ、貴方が自分のために危険な目に遭ったりしたら、妹さんの方がきっと自分を責めてしまうわ。それはわかるわよね?……それをちゃんと約束できるなら、私が知っていることを話してあげる」
「……ありがとうございます!」
閃は勢いよく頭を下げた。思いきり行き過ぎてちょっと首がぐきっとなった気がするのが気づかなかったことにしよう。
「……と言っても、私もそんなにこの学校のおまじないとかについて詳しいわけではなくて。むしろ、いつのまにかこの学校にできてた、って印象なのよ。誰が作ったのか知らないんだけど」
やや困惑したように息を吐く柿沼。
「私もこの学校の卒業生で……丁度中学の終わりに地元からこっちに引っ越してきて、この学校に入ったかんじなんだけど。その時は、こんなおまじないなんか無かった気がするの。キズニ様、なんて聞いたこともなかったわ」
「やっぱり、開校当初からあったものではないんですね、キズニ様のおまじないって」
「そうね。最近聴いて“そんなものがあるの?”って思ったくらい。金運がアップするとか恋愛運がアップするとか、女の子たちを中心に流行しているみたいだけど……みんな好きよね、そういうの。おまじないをやってキズニ様の影が見えたり妙な疵が見えたりしたら大成功!とか言っちゃって。……私も結構オカルトなものとか好きな方で、いろいろ調べたりもしてたんだけど、昔はおまじないじゃなくて普通の怪談だった気がするわ。それも、ちょっとタチが悪いタイプの」
「タチが悪い?」
「先生はね、幽霊とかの類をまったく信じてないわけじゃないのよ?……実際先生が高校生やってた頃にも、幽霊に悪さをされたっぽいような事件がいくつかあったの。七不思議のひとつに、古い花壇が関わるものがあったんだけどね」
音楽室。確か累矢が言っていた、七不思議の六つ目・花壇に埋まる顔――のことだろう。
「今は使われてない花壇だけど、昔は園芸部がお花を植えてたの。逢魔ヶ時にその花壇に言って呼びかけると、御花の群れの中から顔が覗いたり手が生えてくるなんて話があったのよね。で、花壇に踏み込んだ人間が足を掴まれたりするっていう。この学校が出来る時に人柱として埋められた人の一人で、その死体が花壇に埋まっているから生きている人達を恨んで……なんて設定だったわ。人柱っていうなら、地面に埋める意味はわからないんだけど」
まあ、ありがちな怪談だろう。というか、大抵七不思議系の話は、“その場所で昔誰かが死んだ”だの、“そこにお墓がありまして”だのというのが定番である。誰かが死んでその恨みが昇華されず残って、その結果その場所でたまたま通りがかった人間や呼びかけた人間にちょっかいをかけるというのがテンプレートだ。
「本当に、足を引っ張られた人がいたとか?」
閃がそう言うと、もっと凄いわよ、と柿沼はにやりと笑った。
「花壇に下半身が埋まった状態で見つかった男の子がいたの。その状態で何故だか気絶してて、みんなで一生懸命引っ張り出したんですって」
「えええ……」
「近くにスコップの類もなく、掘られた分の土も見つからなかった。一人で埋まるのはまず不可能――というか土もがっちり固められてたしね。じゃあ、その子がいじめられて誰かに埋められたんじゃ?って話だけど……本人は花壇を通りがかっただけで何もしてないし誰かに埋められた記憶もないって言ってて、そもそも柔道部の二年生だったからものすごいごっつい体格だったのよね。仮に苛めてる奴がいても、そうそう簡単に気絶させて埋められるような相手じゃなかったというか。そもそも本当に数人がかりでそういうことでもしたなら、本人がほぼ無傷なのが逆におかしいでしょ?だから、当時はみんなに噂されたっけ。七不思議は本当だった、この学校にはやっぱり何かがいるんだって」
「こ、こわ……」
確かに、喧嘩でものすごく強そうな柔道部の少年が体を半分埋められてた、なんて。それこそ数人がかりでもなければ埋めることはできないだろうし、数人がかりでリンチしたなら無傷だなんてあり得ないだろう。本人と誰かの狂言と言うことでもない限り、幽霊の力でも借りなければ不可能に見える事件だ。
「他にも、屋上でミミコさんを見たとか、家庭科室に得体の知れないケーキがあってつい誘われるように食べたら意識が飛んだとか、まあそういうくらいの小さな事件は起きてたわけ。だから、私もひょっとしたらこの学校には何かあるんじゃないかなと思ってたの。大昔に大きな神社があったのが、空襲で焼けてそのまま再建されずに学校が建っちゃったらしいし、悪い気が溜まりやすい場所らしいしね此処。でも実際、神隠しなんて起きたことはなかったのよ?精々、そういう小さなイタズラ?っぽいことをされる生徒がいたってくらい」
「確かに、そう考えると……おまじないで人が一人二人消えたってのはちょっと信じがたい、ですよね」
「そうなの。私は幽霊や妖怪の類はこの世にいるけれど、でも圧倒的質量を持つ人間一人を完全に消し去ることができるような存在なんてそうそういないと考えているわけ。オカルトを信じることと、神隠しを信じることはイコールじゃないの」
なるほどそういうスタンスか、と納得した。そういえば、自分が一番最初に半分パニックになって“おまじないがをしてたら妹が消えた”と話した別の先生も何やら微妙な顔をしていた。あの先生も次期教頭と言われるくらいの超ベテランだったし、過去の七不思議やそれにまつわる話を知っていたとしてもおかしくはあるまい。
「いつの間に七不思議の怪談が“七つのおまじない”になったのかは覚えてないわ。私が赴任してきた頃はまだ怪談だった気がするけど……それも正直うろ覚えだしね。おまじないについても、昔の七不思議に上書きするように同じ場所にできたってことくらいしか知らなくて。役に立てなくてごめんなさい」
ただね、と声ひそめて柿沼は続ける。
「確かにおまじないで人が消えるなんてこと本当にあるの?とは思っているのだけれど。その可能性をまったく否定するわけじゃなくて……むしろ本当に悪い事が起きるならこれからかもしれない、って思っててね」
「というと?」
「私は元々長野県の山奥の小さな村の出身なんだけど……そこでちょっと気になることがいくつかあったから。怪談とか、伝説とか、お伽噺とか。そういうものって多分、人に浸透して信じる人が増えたり、あるいは“本物だと嬉しい”って思う人が増えると、どんどん現実に取って変わられていくものだと思うの。私の村にあった、小さな子供の神様の話みたいにね」
柿沼によると。彼女の村には、座敷童のような小さな子供の守り神様がいるという伝承があったのだという。小さいながらも神社のようなものを建てて丁寧に祀っていたのだが、その“物語”が年を追うごとに少しずつ変わっていったというのだ。
彼女が本当に幼い頃は、信者の願いを叶えてくれるものの力を疑う者には祟りを齎すという恐ろしい神様とされていたというのである。祖母からは、神社へのお参りを絶対欠かせてはいけない、呪われてしまうぞ、ときつく言われるほどの。
ところがある日、村の子供が“神様っぽい子供と楽しく遊んだ、紫色の着物を着ていた”と言い出した。すると、その日を皮切りに恐ろしいはずの神様は、紫色の着物におかっぱの髪をした可愛い男の子の姿に固定され、時折子ども達に目撃されるようになったのである。実際、柿沼も一度だけその神様と遊んで貰ったことがあるのだそうだ。
それだけなら、よくある微笑ましい童話で終わるのだが。
肝心なのはこの話にはある大きなオチがあるということ。――最初に“おかっぱで紫の着物の男の子と遊んでもらった”と言い出した少女が、実は嘘をついていたことが発覚したのだ。彼女は神様の目撃例が増えることがなんだか怖くなり、親に相談したのだという。自分が適当に考えて作った神様が、何故かみんなと遊ぶようになった――と。
「それって……」
焔が言っていた、“鬼”の話に通じるのではないか。人が作った物語によって、怪異が姿を変える――という。
「真相は分からないわよ?その子が“嘘をついた”というのが嘘だったのかもしれないから。でも……私は、ひょっとしたら幽霊も妖怪も神様もみんなそういうものなんじゃないかって疑ってるの。誰かが“そうであってほしい”と願う方に動いていく、変わっていく。……今のクラスの空気は知ってるでしょう?みんな、おまじないの件を他人事のように考えて、“おまじないで人が消えたら面白い”って思ってる人が少なからずいる。それが、本当に影響しないとは限らない、だから怖い……ってのが私の考え。おまじないについて調べるのが危ないんじゃないかって貴方に言ったのは、そういう理由もあるのよ」
「先生……」
「長話になっちゃってごめんなさいね。……でも根拠もなく、調査を止めたわけでないことは分かって欲しいの。私も貴方が心配なのよ。……わかってちょうだいね。」
「…………」
教室に戻ろうとする先生の背中を見送りながら、閃は混乱しかけた頭で考える。
――みんながそう願う方向に、怪異は変わる。もし、それが本当なら。
嫌な予感しかしない。
この事件、本格的にヤバいことはこれから起きるのではないか、と。
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