<12・好奇>

「やっぱりあれだよ、おまじないのせいなんだよ!」


 休み時間の教室。ひそひそとクラスで女子達が話している声が聞こえて、閃は思わず振り返った。妹の鈴が消えた件について、自分は先生には“夜に二人で校舎に入って、階段でおまじないをした”こと、“おまじないをして気づいたらぶっ倒れてて妹がいなくなっていた”という旨の証言はしている。ゆえに、生徒達にそれくらいの情報が洩れるのはおかしくない。キズニ様、に興味を持つクラスメート達が、それに関して色々と想像を掻き立てられて噂をするのも。

 ただどうにも空気が異様だ、と感じるのは気のせいだろうか。今日の朝、柿沼先生が三年生の少女がいなくなった話をしてから余計にそれが加速している気がする。多分、話題の中心が見知らぬ先輩であるがゆえ、クラスメートの女の子の件よりも遠慮がないのだろうが。


「てゆーか三年一組の浅井るみなっていう先輩、女テニの幽霊部員だったらしいんだけどさ。結構評判悪かったんだって。遊び歩いてて男とっかえひっかえで。ほら、男テニに結構イケメンな先輩多いじゃん?コートも隣だし、そのイケメンな先輩達を間近で見るだめだけにテニス部に入ってたんじゃないかって噂」

「わー、いるんだ、そんな露骨な人ー」

「でもって、結構人使い荒いっていうか?友達いっぱいいるけど本当の友達は全然いない典型っぽいかんじ。なんか人使い荒くて、周りの子にもこっそり愚痴られてたんだってー」

「あ、それあたしも聴いた。吹奏楽部に三年一組の先輩いて、今日朝練の時に話聴いたけどまー……みんな心配してなさそうっていうか?先輩、昨日の夜の段階で浅井って人がいなくなったこと知ってたみたい。なんか電話かかってきたけど、知らんって答えたって。実際なんも知らないし、関わりないし、心配してないしーって」

「うっわ、いなくなっても心配もされないのか」

「男と外泊して数日帰らないこともあったみたいだし、またそんなんじゃないの?って思ったみたい。でも今回はちょっと違うんだって。なんか、金運アップのおまじないをして消えちゃったんじゃないかって」

「誰かにおまじないやるって話してたってこと?」

「ていうか、浅井って人の友達の……同じクラスの人がね。えっと名前……あ、田中眞音って人だって言ってた。その人が無理やりおまじないに付き合わされたんだってさー。まあ、田中さんってその人は、おまじないをやった後、塾があるから自分だけさっさと帰ったって言ってるみたいなんだけどね。本当は浅井って人が消えたのを見てるんじゃないかって噂になってて……」

「消えたの見たのにスルーしたってこと?ていうかスルーされるくらいって……」

「人望なさすぎだよねえ。どんだけその浅井って人嫌われてたんだってかんじ」


 なんというか。仮にも人がいなくなった話を、よくもまあこう楽しげに話せるものだ。クラスメート達の多くは、鈴のことは一応心配している様子だったというのに、それが“悪評高い、よく知りもしない三年生”となった途端にこれである。――一緒にいたという田中眞音という女子生徒は、浅井るみなはおまじないで消えたわけではないと言っているそうだというのに。


――ただ、本当に田中って人が浅井って人に対していろいろ思うところがあったなら……嘘ついて“学校で別れた”って言う可能性はあるよな。……どっちだろうな。


 どっちの可能性もある。というか、閃は田中眞音も浅井るみなもまったくの他人であるため、彼女らの人格や関係性から何かを判断することなどできないからだ。よって、聞こえてくる噂話だけしか材料がない。それも、恐らく憶測によって歪みに歪んだものであろうから、参考にするにはリスクが大きいことだろう。

 できれば、その田中眞音から話を訊いてみたいところだが――果たして、本人が正直に話してくれるかどうか。そもそも、彼女が嘘をついているという確証もないから尚更だ。遊び好きな女子生徒だというのなら、本当に学校で別れて無断外泊しているだけかもしれない。実際、秀晴と累矢のように、おまじないを試してもまったく何も起こらず生還した例もある。流石に彼等の証言に疑う余地はないだろう。余計な嘘をつく理由もないはずなのだし。


――どんどん、見えないところでやばいことが進行してる気がする。というか、そもそも本当に鈴が生きてるかどうかもわからないんだよな……。


 気持ちが沈む。もし、自分が目覚めた時にあの“疵”と鈴が流した血が全部残っていたなら、閃とて彼女の生存を絶望視したことだろう。しかし実際には踊り場に彼女の姿はなく、あの大量の疵も凄まじい量の血も何も残っていなかったのである。自分と鈴が、一緒になんらかの幻を見た上で連れ去られたか、あるいはあの時点でこの世界ではない別の空間に迷い込んでいたと考えるのが妥当だ。

 もし、あの時点で異空間だったとしたら、鈴は本当に切り刻まれてしまった可能性が高くなる。だが、幻を見せられて神隠しされただけなら――肉体と魂が無事なら、取り戻せる余地もあるのではないか。閃が未だに現実感がなく、どこか落ち着いて情報収集に迎えているのはそのためだった。ようは、悪い可能性を信じたくなくて足掻いているだけだ。一歩ずつでも調査を進めていけば、彼女を無事に取り戻せるかもしれないと。そう考えていないと、怖くて目の前が真っ暗になりそうなのである。

 我儘で、甘ったれて、実に迷惑な少女だ。

 それでも。


『兄貴ー!見て見て、あたし一等賞取ったんだよ、褒めてくれーい!』


 それでも、いつも太陽のように明るくて元気いっぱいで――自分が持っていないものをたくさん持っている、可愛い妹に違いないのである。

 彼女がいなくなるということは即ち、魂を半分もぎとられるのと同じこと。


――生きてろよ、鈴。絶対……絶対、兄ちゃんが助けてやるからな。


 ほんのちょっと先に生まれただけの兄だが、それでも兄は兄なのだ。

 自分には、妹を守る義務があるのである。


――落ち着け、俺。沈んでる場合じゃない。やることを整理するんだ。その一、七つのおまじないを全部調べて新倉さんに報告する。その二、出来れば神隠しを目撃したかもしれない、その三年一組の田中眞音って人を探して話を訊く。……とにかく、その二つだけ、その二つだけでもやるんだ。


 頭の中でタスクをまとめつつ、弁当箱を片づけた時だった。


「ちょっといい?閃君」

「!」


 肩を叩かれて振り返れば、そこには不安そうな顔の柿沼先生が。


「お昼の時間にごめんなさいね。……今少しだけ、先生とお話できるかしら?」

「鈴の件、ですか?」

「鈴さんの件でもあるし、貴方の件でもあるわ」


 これは、お説教が来るかもしれないと思った。

 そもそもおまじないのせいで人が消えたかもしれない――そんな空気になった最初の原因は、間違いなく閃がそういう証言をしたせいだろうから。


「キズニ様って学校の守り神のはずなのに、神隠しなんかするわけー?」


 先生に連れられて廊下に出る途中にも、お喋りしている少女達の声は聞こえてきていた。


「ひょっとして、浅井サンって人が悪い事したから天罰が下ったんじゃないの?あ、なら悪い事してない人ならおまじないしても平気なんじゃない?」

「ならあたしは大丈夫そう!やってみようかなー、いやはや、あたしも金欠なんだよねえ」

「勇気あんのねアンター!あ、でも私もお金は欲しー」

「あはははははっ」


 人がいなくなったかもしれないのに、自分達は大丈夫とばかりに面白がっている。それどころか、おまじないを自分達でも試そうだなんて相談をするなんて、明らかに空気がおかしい。あるいは、それが人間の本質なんだろうか。

 なんだか気分が悪くなって、閃は視線を逸らしたのだった。




 ***




 廊下に出たところで、柿沼はやや小声で話し始めた。


「ごめんなさいね、ご飯食べたばっかりなのに」

「いえ、大丈夫っすけど。……何か鈴の行方についてわかったことでも?」


 そう尋ねてみたものの、閃はまったく期待していなかった。どう見ても今回の事件、警察にどうこうできる案件とは思えない。


「残念だけど……」


 案の定、首を横に振る柿沼。


「その上で、とても言いづらいのだけど。……貴方も気づいてるんじゃない?クラスの……というか学校の異様な空気」

「三年生の先輩が消えたって話ですか?」

「そう。実際、一緒にいた友達は“おまじないで浅井さんは消えたんじゃない、学校で別れた”って話してるにも関わらず。みんなの認識では、その浅井さんがおまじないで消えたってことで確定しつつあるの。何でなのかわかる?貴方が、妹さんとおまじないをした結果妹さんが消えたという証言をしたことと……それから、“おまじないで人が消えたってことにした方が面白い”って考える人が、とっても多いからなのよ。貴方の証言そのものを責めてるんじゃないわ、閃君が嘘をつくような子だとは先生も思ってないもの。実際、妹さんがオバケに襲われて神隠しされたのを見たわけではないでしょう?」

「まあ……」


 本当はがっつりそれっぽいのを見たけれど、実際は伏せているという状況だ。むしろ、見たものを見たまま話したら自分が狂ったと思われかねないと考えたからである。

 あんな光景。閃だって、目撃したのが自分でなかったら信じたかどうか。


「……貴方の話に尾ひれがついて出回ったところで、さらに三年生の子がおまじないをした後でいなくなった。……昔から、そういうオカルトな話が好きな子は多いのよね。それは悪いことじゃないんだけど、先生はちょっと心配で」


 だからね、と彼女は続ける。


「貴方が実際、妹さんの失踪を誘拐事件だと思ってるのか、蒸発だと思ってるのか、神隠しだと思ってるのかはわからないけど。でも、どれだと思っているにせよ、一人で背負いこんで調べようとしたりしない方がいいし、私としてもやめてほしいの。貴方が何かを調査しようとしたら、それがまたあらぬ噂を混乱を招くことになる。それは分かるわよね?……なんでも、貴方が探偵さんを雇ったって話を聴いたものだから。そういうのは、ね?警察に任せた方がいいんじゃないかしら。待つのも勇気って言うでしょう?」


 まあ、先生の立場はわからないでもない。柿沼としても、自分の生徒がおまじないで消えたなんて信じたくないだろうし、そういう噂が立って生徒達が色めき立つのも避けたいことだろう。実際それでまたおまじないを試して消える生徒が出たら、さらに被害が増える可能性もゼロではないから尚更に(犯人が人間であれそれ以外であれ、だ)。


「……先生の、言いたいことはわかります」


 けれど。だからといって、はいそうですか、と退くことはできないのである。

 消えたのは、閃の魂の片割れとも言うべき存在なのだから。


「でも。俺は……何もしないでじっとしてるなんてできないんです。そりゃ、おまじないなんて関係ないのかもしれない。頑張って調査しても全部無駄になるかもしれない。でも、鈴が今も苦しんでるかもしれないのに黙って誰かを信じて待ってられるほど、俺は強い人間じゃないんです……!」

「閃君……」

「だから、先生。俺を助けると思って、少しだけ調査に協力してくれませんか!」


 強引な流れなのはわかっていた。しかし、この機会を逃すとこの教師から話を聴くことは難しいかもしれない。ゆえに。


「おまじないのこと、この学校の秘密とかキズニ様とか、とにかくなんでもいいんで!お願いします、知ってることがあったら教えてください!俺の心を救うと思って。先生が話してくれたら、他の人から必要以上に話を訊こうとか控えるんで……!」


 閃は頭を下げたのである。

 何でもいい。何か一つ、小さくてもヒントを見つける、そのために。

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